普段はほとんどテレビを見ない私ですが、出張でホテルに泊まる時
は、時計代わりにテレビを付けっ放しにしています。
息子に「矜持」という名前を付けようとして、人名用漢字に無いことを
理由に拒否された男性が、国を相手に起こした裁判も、鹿児島の
ホテルで見た朝のワイドショーで知りました。
3月30日の名古屋地裁判決は原告敗訴。続報が見つからないの
ですが、おそらく控訴しているでしょう。
記事を書くに当たって、ネット上の意見をちょっと拾ってみましたが、
意外にもと言うべきか、やはりと言うべきか、男性に対して批判的な
意見が多かったです。
それらの主張を大別すると、
①法律で決められたことには従うべき
②そんな変な(読めない)名前を付けるべきでない
③わざわざ裁判で争うほどのことか
といった感じで、いずれもこの男性は「我が儘」だと断じています。
②と③については、はっきり言って感覚の問題で、どちらが正しいと
言える類の事柄ではありません。だから論ずるまでも無いのですが、
一応突っ込みを入れておきますと、「矜持」が人名に相応しくないと
言うなら、例えば「正義」とか「真理」とか「大志」などは問題無いの
でしょうか。難しくて読めないと言うなら、例えば「莞爾」などが認め
られていることはどうなのでしょう。最近多い当て字も、読みを問題
にするなら禁止されるべきではないでしょうか。
名前が問題になったといえば、'93年に息子に「悪魔」という名前を
付けようとした父親の件を思い起こす人も多いでしょう。あの場合は
「子どもや周囲への影響」といった公序良俗が問題とされましたが、
「矜持」という名前が何か悪影響を与えるとは想像できません。
(ちなみに「悪」も「魔」も人名に用いることが認められており、たまに
使ってる人を見ます。)
親の勝手な思い入れ、押し付けだという批判もありましたが、それを
言うなら、「矜持」に限らずどんな名前だってそうでしょう。私自身、字
も読みも決して変ではありませんが、子どもの頃から自分の名前が
嫌いでした。(今更改名しようとは思いませんが。)「子どもの気持ち」
云々は、他人がとやかく言うものではなく、子ども自身が思い、言う
べきことの筈です。
さて、順番が逆になりましたが、①についてです。
そもそも「人名用漢字」は「当用漢字」(現在は「常用漢字」)から派生
したものです。「当用漢字」はGHQ主導の戦後の国語改革の中で、
「漢字全廃のための当面の措置」として使用可能な漢字を1850字に
定めたものです。当時のメディアや文化人の中にも、「漢字をなくせ」
「全てローマ字表記にせよ」「日本語自体を廃止してフランス語を採用
すべきだ」などといった、占領軍におもねる暴論とも言うべき発言が
見られました。どうも欧米人の目には、漢字文化が「後進性の象徴」
と映ったようです。権力者や知識人が好んで使った文語が一般庶民
を疎外し、結果的に軍国主義の台頭にもつながった、という見方も
できなくはないですけどね。
しかし多くの日本人は、日本語も漢字も捨てることなく使い続けて、
政府も「人名用漢字」の創設・追加や、より緩やかな「目安」である
「常用漢字」への移行(「当用漢字」の廃止)といった措置を取らざる
を得ませんでした。
要するに、「GHQの押し付け」である「当用漢字」に付随する形で設け
られた「人名用漢字」ですから、「当用漢字」が廃止された時点で、
その役割は終わってる筈なのです。にも関わらず、なぜ今も、名前に
使用できる漢字が制限されなければならないのでしょう。
ルールなんだから従え、と言うのであれば、政府も憲法に従え、と
主張して頂きたいものです。
また現に、札幌高裁で「簡易な字にも関わらず人名用漢字に含まれ
ていないために使用できないのはおかしい」という訴えを認める判決
が出されており、'04年の「人名用漢字」の大幅改正は、それを受け
ての措置でした。前例があるわけですから、今回の男性への批判は
成り立ちません。
見ず知らずの人たちを悪し様に言うようで、些か心苦しいのですが、
歴史的経緯も漢字も知らない人たちが、自分の無知を棚に上げて
相手が悪いと決め付ける、最近の風潮がここにも表われてるように
思いました。
は、時計代わりにテレビを付けっ放しにしています。
息子に「矜持」という名前を付けようとして、人名用漢字に無いことを
理由に拒否された男性が、国を相手に起こした裁判も、鹿児島の
ホテルで見た朝のワイドショーで知りました。
3月30日の名古屋地裁判決は原告敗訴。続報が見つからないの
ですが、おそらく控訴しているでしょう。
記事を書くに当たって、ネット上の意見をちょっと拾ってみましたが、
意外にもと言うべきか、やはりと言うべきか、男性に対して批判的な
意見が多かったです。
それらの主張を大別すると、
①法律で決められたことには従うべき
②そんな変な(読めない)名前を付けるべきでない
③わざわざ裁判で争うほどのことか
といった感じで、いずれもこの男性は「我が儘」だと断じています。
②と③については、はっきり言って感覚の問題で、どちらが正しいと
言える類の事柄ではありません。だから論ずるまでも無いのですが、
一応突っ込みを入れておきますと、「矜持」が人名に相応しくないと
言うなら、例えば「正義」とか「真理」とか「大志」などは問題無いの
でしょうか。難しくて読めないと言うなら、例えば「莞爾」などが認め
られていることはどうなのでしょう。最近多い当て字も、読みを問題
にするなら禁止されるべきではないでしょうか。
名前が問題になったといえば、'93年に息子に「悪魔」という名前を
付けようとした父親の件を思い起こす人も多いでしょう。あの場合は
「子どもや周囲への影響」といった公序良俗が問題とされましたが、
「矜持」という名前が何か悪影響を与えるとは想像できません。
(ちなみに「悪」も「魔」も人名に用いることが認められており、たまに
使ってる人を見ます。)
親の勝手な思い入れ、押し付けだという批判もありましたが、それを
言うなら、「矜持」に限らずどんな名前だってそうでしょう。私自身、字
も読みも決して変ではありませんが、子どもの頃から自分の名前が
嫌いでした。(今更改名しようとは思いませんが。)「子どもの気持ち」
云々は、他人がとやかく言うものではなく、子ども自身が思い、言う
べきことの筈です。
さて、順番が逆になりましたが、①についてです。
そもそも「人名用漢字」は「当用漢字」(現在は「常用漢字」)から派生
したものです。「当用漢字」はGHQ主導の戦後の国語改革の中で、
「漢字全廃のための当面の措置」として使用可能な漢字を1850字に
定めたものです。当時のメディアや文化人の中にも、「漢字をなくせ」
「全てローマ字表記にせよ」「日本語自体を廃止してフランス語を採用
すべきだ」などといった、占領軍におもねる暴論とも言うべき発言が
見られました。どうも欧米人の目には、漢字文化が「後進性の象徴」
と映ったようです。権力者や知識人が好んで使った文語が一般庶民
を疎外し、結果的に軍国主義の台頭にもつながった、という見方も
できなくはないですけどね。
しかし多くの日本人は、日本語も漢字も捨てることなく使い続けて、
政府も「人名用漢字」の創設・追加や、より緩やかな「目安」である
「常用漢字」への移行(「当用漢字」の廃止)といった措置を取らざる
を得ませんでした。
要するに、「GHQの押し付け」である「当用漢字」に付随する形で設け
られた「人名用漢字」ですから、「当用漢字」が廃止された時点で、
その役割は終わってる筈なのです。にも関わらず、なぜ今も、名前に
使用できる漢字が制限されなければならないのでしょう。
ルールなんだから従え、と言うのであれば、政府も憲法に従え、と
主張して頂きたいものです。
また現に、札幌高裁で「簡易な字にも関わらず人名用漢字に含まれ
ていないために使用できないのはおかしい」という訴えを認める判決
が出されており、'04年の「人名用漢字」の大幅改正は、それを受け
ての措置でした。前例があるわけですから、今回の男性への批判は
成り立ちません。
見ず知らずの人たちを悪し様に言うようで、些か心苦しいのですが、
歴史的経緯も漢字も知らない人たちが、自分の無知を棚に上げて
相手が悪いと決め付ける、最近の風潮がここにも表われてるように
思いました。