Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

矜持

2006年05月25日 23時57分01秒 | 時事・社会
普段はほとんどテレビを見ない私ですが、出張でホテルに泊まる時
は、時計代わりにテレビを付けっ放しにしています。
息子に「矜持」という名前を付けようとして、人名用漢字に無いことを
理由に拒否された男性が、国を相手に起こした裁判も、鹿児島の
ホテルで見た朝のワイドショーで知りました。
3月30日の名古屋地裁判決は原告敗訴。続報が見つからないの
ですが、おそらく控訴しているでしょう。
記事を書くに当たって、ネット上の意見をちょっと拾ってみましたが、
意外にもと言うべきか、やはりと言うべきか、男性に対して批判的な
意見が多かったです。
それらの主張を大別すると、
 ①法律で決められたことには従うべき
 ②そんな変な(読めない)名前を付けるべきでない
 ③わざわざ裁判で争うほどのことか
といった感じで、いずれもこの男性は「我が儘」だと断じています。

②と③については、はっきり言って感覚の問題で、どちらが正しいと
言える類の事柄ではありません。だから論ずるまでも無いのですが、
一応突っ込みを入れておきますと、「矜持」が人名に相応しくないと
言うなら、例えば「正義」とか「真理」とか「大志」などは問題無いの
でしょうか。難しくて読めないと言うなら、例えば「莞爾」などが認め
られていることはどうなのでしょう。最近多い当て字も、読みを問題
にするなら禁止されるべきではないでしょうか。
名前が問題になったといえば、'93年に息子に「悪魔」という名前を
付けようとした父親の件を思い起こす人も多いでしょう。あの場合は
「子どもや周囲への影響」といった公序良俗が問題とされましたが、
「矜持」という名前が何か悪影響を与えるとは想像できません。
(ちなみに「悪」も「魔」も人名に用いることが認められており、たまに
使ってる人を見ます。)
親の勝手な思い入れ、押し付けだという批判もありましたが、それを
言うなら、「矜持」に限らずどんな名前だってそうでしょう。私自身、字
も読みも決して変ではありませんが、子どもの頃から自分の名前が
嫌いでした。(今更改名しようとは思いませんが。)「子どもの気持ち」
云々は、他人がとやかく言うものではなく、子ども自身が思い、言う
べきことの筈です。

さて、順番が逆になりましたが、①についてです。
そもそも「人名用漢字」は「当用漢字」(現在は「常用漢字」)から派生
したものです。「当用漢字」はGHQ主導の戦後の国語改革の中で、
「漢字全廃のための当面の措置」として使用可能な漢字を1850字に
定めたものです。当時のメディアや文化人の中にも、「漢字をなくせ」
「全てローマ字表記にせよ」「日本語自体を廃止してフランス語を採用
すべきだ」などといった、占領軍におもねる暴論とも言うべき発言が
見られました。どうも欧米人の目には、漢字文化が「後進性の象徴」
と映ったようです。権力者や知識人が好んで使った文語が一般庶民
を疎外し、結果的に軍国主義の台頭にもつながった、という見方も
できなくはないですけどね。
しかし多くの日本人は、日本語も漢字も捨てることなく使い続けて、
政府も「人名用漢字」の創設・追加や、より緩やかな「目安」である
「常用漢字」への移行(「当用漢字」の廃止)といった措置を取らざる
を得ませんでした。
要するに、「GHQの押し付け」である「当用漢字」に付随する形で設け
られた「人名用漢字」ですから、「当用漢字」が廃止された時点で、
その役割は終わってる筈なのです。にも関わらず、なぜ今も、名前に
使用できる漢字が制限されなければならないのでしょう。
ルールなんだから従え、と言うのであれば、政府も憲法に従え、と
主張して頂きたいものです。
また現に、札幌高裁で「簡易な字にも関わらず人名用漢字に含まれ
ていないために使用できないのはおかしい」という訴えを認める判決
が出されており、'04年の「人名用漢字」の大幅改正は、それを受け
ての措置でした。前例があるわけですから、今回の男性への批判は
成り立ちません。
見ず知らずの人たちを悪し様に言うようで、些か心苦しいのですが、
歴史的経緯も漢字も知らない人たちが、自分の無知を棚に上げて
相手が悪いと決め付ける、最近の風潮がここにも表われてるように
思いました。