shetland'A blog

スキーでの靱帯断裂の闘病記から始まって介護問題。今は趣味や日常での楽しみを記録。

脳ドック

2013年09月27日 | インポート
2013/09/26(木)
老親のことではなく、自分の脳ドックを申し込んだ。

普通の人間ドックでは共済からの補助金が3万円上限でくるし、職場からも1万円の援助があるのだが、今回は基本の人間ドック+脳検査ではなく、完全に独立した脳ドックを受けることにした。

よって、補助金等は0。

補助金あったほうがいいかなと悩んだのだが、結局今回したいのは脳の詳細な検査である以上、+で入るより主目的で行くか!と思ってのこと。
代金は40000円。
さて、どうなるだろう。

脳ドック単独の受診の人はあまり多くないのだろうな~。
10月の半ばに予約も取れた。
1日二人らしい。
病院は老親が救急搬送されて、脳波などを撮ってもらった国立。

自覚症状のない脳梗塞があってもショックを受けないように心の準備をしていこうっと。


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2013年09月24日 | インポート
2013/09/24(火)
秋祭りの能の最後の演目:融

途中狂言「口真似」もあったが、これは静止画も、動画もとってなかった!





諸国を見てきた僧が、六条河原院にたどりついた。
そこには田子を担った老翁がいた。
尋ねると
「ここの汐汲みです。」と言う。
僧は不審に思って
「このような都の中に汐汲みなどいるはずがない。」と問い詰めれば

「この辺は昔、融の大臣が陸奥の千賀の塩釜を真似して造ったところなので、汐汲みがいてもおかしくないのですよ。」と老翁は答えた。

ちょうど秋の月も出たので、二人は「まがきが島」の景色をたたえながら、融の大臣の故事などを語り、なおも見えわたる山々を、一つ一つ指差して教えあった。

長話はよくないと老人は田子を担って水を汲むようにして忽ち姿を消してしまった。

僧はこの地に一宿したところ、夢の中に融の大臣の霊が現れて、豪奢を極めた昔を話しながら、興に乗って舞をまった。
月などを鑑賞していたが、明け方になって月界に去っていってしまった。


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膝の様子

2013年09月23日 | リハビリ&ダイエット
2013/09/23(月)
金曜日から膝が腫れている。
昨日の筋トレでも膝がパンパンで有酸素のみで筋トレは上半身のみ。
今日は昨日よりも少しはましな程度で、やっぱりパンパンしている。

見ても右左の膝の大きさが違う。

痛みはないので、常にアイシング状態。

トレーニングは負荷が強いときは必ずアイシングしないとだめだよね。
やっと学習できて来た。

今日も有酸素と上半身のみ筋トレ。
そろそろボディチェックがあるが、どうも太ってきているのでサイズも体重も体脂肪も前回より悪そう。

しばらく猶予をもらったので、調整していかねば。
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六浦

2013年09月23日 | インポート
2013/09/23(月)
秋祭り能はまだまだ続く。
今回は「六浦」



京都洛陽から出てきた僧、東国修行の途中に相模の国、六浦にたどり着いた。
ここの称名寺に立ち寄って、折からの山々の紅葉しているのを眺めていると、庭の向こうに一樹の楓だけが一葉も紅葉していなかった。

不審に思って人に尋ねようと思っていたら、たまたまそこに女が通りかかった。
「なぜこの楓だけが紅葉していないのですか?」

「昔鎌倉の中納言為相卿という人が、紅葉を見ようとして六浦にこられました。
ですが、山々の紅葉はまだ色づいておらず、この樹のみが深く紅葉しておりました。
それをみて『如何にしてこの一本に時雨けん山に先立つ庭の紅葉ば』と詠まれました。
それ以来、樹は功なり名遂げて身退くは天の道なりと言う古語を信じて、紅葉をやめ常盤木のようになったのです。」

僧は、手向の歌を詠み
「そこまで、この木の心を知っているあなたは如何なる人ですか?」と尋ねると

「本当は私はこの木の精です。」
といって姿を消してしまいました。

夜が更けたころ、楓の精があわられて舞をまい、
「仏果を授け給え」と願って消えていった。


<女のシーンは能の笛、鼓の音よりもお囃子の音が大きく入っているな。>






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前頭葉

2013年09月21日 | 介護
2013/09/21(土)
20時前に老親のところに見舞いに行ってきた。
フロアーに数人の高齢者がいる。
老親は眠りが長く続かないので、出来るだけおきているように指導されているのだが、一日中椅子に座っているのはつらいらしい。

自分だって動けない椅子で1日中いろと言われたら、辛くてしょうがないだろう。

脳梗塞で前頭葉が梗塞し、その後の1年間で前頭葉は萎縮している。
考える力がなくなってきている老親は、食事も出来なくなってきているし、しゃぺることも難しい。
私の手を握って、自分の額や頬に持っていく。

額や頭をなでてあげると安心するようだ。
やさしい表情のときは、本当に可愛い。

いろんなことを話していたころが懐かしい。

介護は残り少ない貴重な時間なのか、いつまでも続く重い時間なのか?

いつかはなくなることを考えると悲しい。
だとするとやっぱり貴重な時間なのかなぁ。

お茶の師匠が亡くなった病院の中に老親の入所先はある。
昨年11月の炉開きをして数日後に体調を崩され2ヶ月で旅立たれた。
昨年の12月はフロアー違いで見舞いのはしごをしていた。

老親が旅立てば、私はこの病院に出入りすることはなくなるだろう。
どういう思いでこの病院を見つめることになるんだろうな。
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