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shetland'A blog

スキーでの靱帯断裂の闘病記から始まって介護問題。今は趣味や日常での楽しみを記録。

銭の戦争

2013年10月06日 | インポート
2013/10/05(土)
今日は筋トレもいれず、昼寝をしながらだらだらとすごそうと決めていた。
昨夜は老親の不穏があまり起きなかったので、割合私自身も眠れたのだが、無理すると体も心も疲れてしまうので、人に対して労力を使ったあとは、自分は休養としている。

で、読もうと思っていた「銭の戦争:波多野聖」
この本は4巻ある。
今日は第1巻。
金融関係の本なので、わかりにくい事が結構あるのだが、明治時代に金融を動かしていた人たちとその生活の中で茶道の話も出てくる。

茶道に関しても筆者が結構な見識があるらしく、かなりの詳細さ。

相場の話なのだが、昨今ちょっと興味のある私はこの部分でも面白い。

1巻でロシアのラスプーチンが出てくる。
知っている人もいると思うが、昔々の曲で「怪僧ラスプーチン」というドイツの音楽グループの歌があった。同一人物だなと思ってyoutubeで曲の歌詞を検索したらすごい歌詞だった。

歴史がわかって、歌の歌詞(訳文)を読んだらびっくり!

なーんにも知らない自分にもびっくりだが、新たな知識が遠い記憶と結びついていくのも面白い。


あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない

2013年09月30日 | インポート
2013/09/30(月)
長ったらしいタイトルだけど、これは映画のタイトル。
今日は昨日の代休だったので、夕方から映画を見に行った。
その映画のタイトル。

アニメーション。

なぜこれを見たかというとジムのトレーナーが感動したと言っていたからだ。

繊細な物語だった。
だけども、映画の出来事は悲しすぎて、こういうことがあったら私は一生忘れないだろうと思った。
主人公たちもそうなんだけれども。

小学生だったときとても仲のよかった友達が事故で死んでしまう。

こういう設定がちょっと辛過ぎない?

繊細すぎて私はちょっと駄目かな。
「風立ちぬ」は重さもあったし辛さも悲しさもあったが、今回のは10代20代前半の人に染みとおるものかな。



脳ドック

2013年09月27日 | インポート
2013/09/26(木)
老親のことではなく、自分の脳ドックを申し込んだ。

普通の人間ドックでは共済からの補助金が3万円上限でくるし、職場からも1万円の援助があるのだが、今回は基本の人間ドック+脳検査ではなく、完全に独立した脳ドックを受けることにした。

よって、補助金等は0。

補助金あったほうがいいかなと悩んだのだが、結局今回したいのは脳の詳細な検査である以上、+で入るより主目的で行くか!と思ってのこと。
代金は40000円。
さて、どうなるだろう。

脳ドック単独の受診の人はあまり多くないのだろうな~。
10月の半ばに予約も取れた。
1日二人らしい。
病院は老親が救急搬送されて、脳波などを撮ってもらった国立。

自覚症状のない脳梗塞があってもショックを受けないように心の準備をしていこうっと。



2013年09月24日 | インポート
2013/09/24(火)
秋祭りの能の最後の演目:融

途中狂言「口真似」もあったが、これは静止画も、動画もとってなかった!





諸国を見てきた僧が、六条河原院にたどりついた。
そこには田子を担った老翁がいた。
尋ねると
「ここの汐汲みです。」と言う。
僧は不審に思って
「このような都の中に汐汲みなどいるはずがない。」と問い詰めれば

「この辺は昔、融の大臣が陸奥の千賀の塩釜を真似して造ったところなので、汐汲みがいてもおかしくないのですよ。」と老翁は答えた。

ちょうど秋の月も出たので、二人は「まがきが島」の景色をたたえながら、融の大臣の故事などを語り、なおも見えわたる山々を、一つ一つ指差して教えあった。

長話はよくないと老人は田子を担って水を汲むようにして忽ち姿を消してしまった。

僧はこの地に一宿したところ、夢の中に融の大臣の霊が現れて、豪奢を極めた昔を話しながら、興に乗って舞をまった。
月などを鑑賞していたが、明け方になって月界に去っていってしまった。



六浦

2013年09月23日 | インポート
2013/09/23(月)
秋祭り能はまだまだ続く。
今回は「六浦」



京都洛陽から出てきた僧、東国修行の途中に相模の国、六浦にたどり着いた。
ここの称名寺に立ち寄って、折からの山々の紅葉しているのを眺めていると、庭の向こうに一樹の楓だけが一葉も紅葉していなかった。

不審に思って人に尋ねようと思っていたら、たまたまそこに女が通りかかった。
「なぜこの楓だけが紅葉していないのですか?」

「昔鎌倉の中納言為相卿という人が、紅葉を見ようとして六浦にこられました。
ですが、山々の紅葉はまだ色づいておらず、この樹のみが深く紅葉しておりました。
それをみて『如何にしてこの一本に時雨けん山に先立つ庭の紅葉ば』と詠まれました。
それ以来、樹は功なり名遂げて身退くは天の道なりと言う古語を信じて、紅葉をやめ常盤木のようになったのです。」

僧は、手向の歌を詠み
「そこまで、この木の心を知っているあなたは如何なる人ですか?」と尋ねると

「本当は私はこの木の精です。」
といって姿を消してしまいました。

夜が更けたころ、楓の精があわられて舞をまい、
「仏果を授け給え」と願って消えていった。


<女のシーンは能の笛、鼓の音よりもお囃子の音が大きく入っているな。>