井上梅次って言う監督さんは日本映画の五社依頼なんと東宝映画以外の各社で作品を撮ってる
ある意味職人監督である
そんな彼が高倉健、鶴田浩二二大スターを筆頭に東映オールスターまではいかないものの超豪華キャストで描くギャング抗争劇
そうなんですよね東映さんが鶴田浩二御大で「人生劇場」で着流しヤクザ映画に新しい金脈を見つけるまで
こう言ったギャング映画というかジャンルで凌いできてたうちの一本でありますし
脚本自体井上梅次が書いているんだけど
プロットは外国ギャング資本をバックに旧態以前のが任侠団体に挑戦して行く中で
任侠団体の中でしのぎを独占しようとする安部徹の悪玉が暗躍して
任侠道を守る高倉健のヤクザ組織と大木実のギャングとの三つ巴の覇権争いの中で
大木実の義兄弟的な存在でアメリカ帰りのギャンブラー鶴田浩二が第三者的な存在で映画を回して行くって言う寸法なんですが
細かいことは抜きにして時代を昭和初期、大正時代に明治って置き換えて
着てる衣装を背広から着流し姿のが着物に置き換えたら
新しい金脈だって思って見てる任侠路線作品と根底プロットは同じなんですよね
さらに拳銃がぽん刀や九寸五分に変わっただけで
いわゆる主人公側にそれなりの犠牲者が出てゴリ押しのが親分をやっつけるわけだし
今日見てて東映が低迷していたギャングもの自体その基本プロットは根本的に変わってないのにあれだけ金脈になったのは
やっぱ昭和40年代って言う全学連世代に共感されたって言う
時代が受け入れたってことだったんですね
だからこの作品のテーマは仁義に生き、自己犠牲に美を見い出す“やくざ”の漢気に投影されてる訳で、見にくるお客さんはそこに共感していた訳で
なんら根本は変わってないわけだったんですね
任侠路線が改めて見出されたのは拳銃での銃撃戦でのあっけなさよりも
一応ぽん刀を通して人対人の肉弾接近戦のいわゆる新しい時代劇としての殺陣がさらに時代的に拍車をかけたんでしょうねぇ
この作品でも数百人が撃ち合ってもその死になんのカタルシスもの得られずただただ死体が重なっていくだけってあまりにも呆気ない描写なんですよね
ただただクライマックスとして派手に見えるだけで対決のが緊張感がないから大団円とはなるもののそこにカタルシスは皆無なんですよね
健さんと鶴田御大はじつの兄弟だったんですね
だから親分が死んで次男が跡目を継いだってことだったわけだ
梅宮辰夫さんの存在感が薄い作品だったなぁ
梅宮辰夫さんの存在感が薄い作品だったなぁ
1963年製作、日本映画、東映作品
井上梅次脚本・監督作品
出演:鶴田浩二、高倉健、大木実、植村謙二郎、梅宮辰夫、佐久間良子、久保菜穂子、安部徹、薄田研二、沢彰謙、小林重四郎、神田隆、志摩栄、永島明、三島一夫、安藤三男、室田日出男、山之内修、潮健児、沢田実、仲塚光哉、小林稔侍、杉義一、水城昌人、八名信夫、日尾孝司、久地明、関山耕司、曾根晴美、滝謙太郎、岩城力也、萩原正勝、南廣、北峰有二、伊沢一郎、河合絃司