『哲学者のランプ』
マグリット自身らしい横顔、太く長い鼻はパイプを通して自身の口へ(口から得た言葉が鼻を通して自身のなかへ)、つまり巡回している。
自分が発しているメッセージは自身のなかに納め、決して外へは漏らさない秘密と化す。問いかけるが、答えは自身の胸の内にあり誰にもその答えを知られたくないし、禁じてさえいる。
心の闇を照らす一筋の灯り、ロウソクは消えることなく永遠の時の長さをもってわたしの中で燃えている。聖書に登場する蛇、「へびがわたしをだましのです」と答える女。
わたし(マグリット)は蛇の狡猾さをもって世間を騙しているのかもしれない。
しかし、太い鼻は決意であって高慢ではない。
男女の平等(同格)、母への追慕、現実とイメージ(概念)の混沌…etc 強い意志をもって主張しているが、強要すべき意図は皆無であるし、憶測も願い下げである。
哲学者…漆黒の闇、孤独の中の信念を生きるわたくしである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「おれは魚屋の前から来た。」と腹に力を入れて答へました。すると外から支那人が嚙みつくやうにどなりました。
☆語(言葉)也。全て雷(神なり)の福(幸い)である。
力(ちから)也。等(平等)の我意は詞(言葉)を納める図りごとの号(叫び)である。
けれども、日がたつにつれて、もうなにも話すことはなくなってしまいました。最初の日にあんなにすばやく到達できたところから、もう一歩も先へ進めないのです。それから二年間、バルナバスは、この単調で、胸をしめつけられるような生活をおくったのです。
☆程なく理解いたしましたが、明らかに話すことはなくなってしまいました。あまりにも速く成し遂げたので、そのままになってしまってしまったのです。この長い強制の年月、先祖に胸を締め付けられるようにして送ったのです。
『ジョルジェット』
真っ直ぐ前を見つめる彼女の眼差し、どの角度をもってしても彼女は常に前を偏ることなく見つめており、その先は水平線(永遠の真理 )の高さである。そして羽のように軽やかな精神の持ち主であるジョルジェット。
常にわたしの影に居てわたしを見守ってくれている存在のジョルジェット。
頭上の卵は子供の誕生がなく、緑の一枝は子孫を残さなかったことへの心残りではないか。
下の方にあるのは夫であるマグリットの切なる想い、常に自分を被う(手袋)秘密(鍵)を持っていたことへの謝罪。秘密の重さゆえか窓の線条が下降、傾いている。
ロウソクの炎くらいの明るさ(幸福)しか与えられてないのではないか…。
しかし、《ジョルジェット、わたしはあなたを愛している》白い封筒の中には、きっとそうしたためてあるに違いないと思う。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
山男ははじめぎくつとしましたが、すぐ、
(ははあ、六神丸といふものは、みんなおれのやうなぐあひに人間が薬で改良されたもんだん。よしよし、)と考へて、
☆太陽の談(話)は禄(幸い)の心を願うものである。
図りごとである換(入れ替える)仁(博愛)が現れる。
訳(ある言語をほかの言語で言い換える)皆(すべて)は霊(死者の魂)の講(話)である。
わたしは、興奮のあまりなにも言えませんでした。それに、ふたりは、もう長いこと口をきいたことがなかったのです。それで、べつの日にあらためて話をすることにしました。
☆わたしは興奮し、何も言えませんでした。
わたしたちは互いに長いこと話しました。異なる先祖と小舟のことを理解するように押したのです。
毎朝行くラジオ体操、40個の印で記念品がもらえる。
友人たちに聞いても「そんなのありませんよ」と。
主催者側の心づけを有り難く楽しみに頂いている。
今回は冷却タオル、なんでもいいの。この年になると、というか…わたしの人生ではプレゼントなんてほとんど記憶にない。だから…すっごく嬉しいの。
『透視』
透視画法の点からいえば、遠近法を外している。イーゼルやキャンバスは左からの視点であるのに、卵の乗った台は右上からの視点であるし、画家は真正面から描かれている。視点が一か所に定まっていない不思議な絵(空間)である。
卵を見て成鳥を描く、という超能力の認知も架空であり、イメージの領域である。
あたかも自然、静謐な雰囲気である画室の光景の散逸。
キャンバスはイーゼルに定まっておらず浮いているし、卵もイーゼルからの視点でみれば落下は免れない。
卵・卵を見る眼差し・成鳥・成鳥を描く手、この不可視のサークルが作品の焦点であり、動かし難く強力に鑑賞者を誘引する。
非現実的な光景を現実的な空間だと認識させている。
不可知な光景を肯定せざるを得ない緊迫、鑑賞者は肯定することですでに『透視』を認可しており、いわば、共犯関係にある『透視』である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
すると愕ろいたことには山男のすぐ横でものを言ふやつがあるのです。
「おまへさんはどこから来なすつたね。」
☆学ぶべき太陽の談(話)は、往(人が死ぬ)と現れる雷(神なり)なのです。
この成功は、そのときわたしを有頂天にさせました。バルナバスが夕方家に帰ってくる途中わたしにそのことを小声で報告するなり、わたしはアマーリアのところへとんでいき、あの子を掴まて、部屋の片隅に押しつけ唇と歯でキスをしまくりましたので、あの子は、痛いのとおどろいたのとで泣きだしてしまいました。
☆この結果、当時断食日を作りました。バルナバスから一族に向かってそれを囁きましたので、わたしはアマーリアのところへいき、束になった先祖を隅に押し、あばら骨の身体と歯にキスをしました。あなたたちは、痛みと驚きで泣いてしまいました。