続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『風の又三郎』424。

2012-08-28 06:21:18 | 宮沢賢治
「どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみの、吹きとばせ
 すっぱいくゎりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう
 どっどど どどうど どどうど どどう」

☆星として遂げることを推すはかる。

 ちなみにこれだけ同同同・・・を繰り返し詠っている。つまりは平等、平等・・・《絶対の平等だ!》と叫んでいるのだと思う。

『城』1016。

2012-08-28 05:50:14 | カフカ覚書
「そうでしょうね」村長は、それだけ言って、あとはだまってしまった。
「美しい奥さんですね」と、Kは言った。「でも、すこし血色がわるくて、病身のようです。あの奥さんは、どうやら城の出のようですね」この最後の言葉は、なかば質問であった。

 血色がwarui/bleich→blech/駄弁。
 城/Schloss→Schluss/終り、終結。
 出/stammen・・・~に由来する、人種、種族。

☆「そうかもしれません(明白です)」村長(死への/入門の伝説)、そしてあとはだまってしまった。
 「なるほど」「でも、駄弁であり、痛ましいですね」
 「終結=死の種族(死んだ人)ですね、不完全な存在は総ての論争点であった。

M『赤いモデル』

2012-08-27 14:27:26 | 美術ノート
マグリット『赤いモデル』
 このおかしな靴の奇妙さばかりが目に付く作品の意味は何だろう。

『赤』といえば血液、生命・・・。
 あるいは赤字から不足・・・。
 あるいは共産主義についてか・・・。

 思いを巡らせて見る、観る、凝視する。
 板で隔てられた空間は質素であり、釘跡が見えるので辛うじて裏で支えられていることが判明、もちろん全面的に信用の出来る造作として描かれているわけではない。
 落ちている数個のコイン。ぎりぎりまで吸ったと思われる煙草の吸殻とマッチ、捨てられたヌードの切り抜き。
 最も異様なものは、素足と革で作った靴との結合。
 そして小石のざらつく地面。

 少なくとも豊かと言うイメージではない。素足に小砂利は痛いだろうし、コインは小銭・・・。けち臭い煙草の吸殻は嗜好品の貧しさであり、捨てられたヌード写真の切り抜きは快楽の抑制を意味しているのかもしれない。

 とすると、あの足先と結合した靴は頑強な労働者の靴、素足は強制的かつ重労働を想起させる。
 
『赤』は、共産主義を意味し、過酷な労働を暗示する。肉体上部が描かれていないのは『個性の喪失』ではないか。作品の大部分を占める虚しいほどに張られた板の等間隔、横線。削られただけの板は質素なイメージ。・・・これは虚飾を排した平等を暗示しているに違いない。何に支えられて在るのか、危うい平等である。
 赤い血の流れるべき肉体の喪失(不足)したこの作品・・・共産主義という現象を説明するための暗示、単純化した仮説としての作品なのだと、わたしは解釈する。
 マグリットの静観、答えは作品の中にある。
                                (写真は西村書店『シュルレアリスムの絵画』より)

未来?

2012-08-27 06:50:41 | 日常
 二十四時間テレビのテーマは『未来』

 わたしにとっての未来・・・65才のわたしの未来はどれくらいあるのなか?

 とにかくはっきりしているのは死ぬまで生きなくてはならないという基本的な事実。健康への願い、自分の足で歩き続けることへの執着・・・(そのほかはどうでもいい)というわけでもない。未練?

 宿題を地道にクリアーしていくライフワーク。無に帰していく徒労だとしても構わない。なぜか自分の中でやらねばならないと決めている仕事にわたし自身が逆らえない。

 無心論者に近い考え・・・だから信仰者であったり、信仰を否定するような立場にないノンポリ凡人。それなのに、どういうわけか強く押されるような運命を感じて思考し続けている。何かを否定しようかとか、攻撃することも視野にない。ただひたすらカフカや賢治、独歩の考えに忠実に耳を傾けているに過ぎない。

 地道な作業に未来は感じられないけれど、行間の中に見る真実に胸を打たれ共感し、喜びを得るという至福。極めて個人的な喜びかもしれないけれど、それがわたしにとっての進行中の未来である。

『風の又三郎』423。

2012-08-27 06:41:39 | 宮沢賢治
   九月十二日、第十二日

 九月はク・ツキと読んで、空、付き。
 十二日はジユウ・ジ・ヒと読んで、自由、字、陽。
 第十二日はダイ・トウ・ジ・ジツと読んで、題、等、慈、実。

☆空に付き、自由な字(文字による)太陽。
 題(テーマ)は、等(平等)である慈しみの実(内容)である。

『城』1015。

2012-08-27 06:18:55 | カフカ覚書
「皮屋のラーゼマンのですか」と、Kはたずねて、ラーゼマンのところで会ったひげ面の男のことを話してきかせた。
「そう、その男です」
「彼の奥さんも知っていますよ」Kは、いくらか当てずっぽうに言った。

 皮屋/Gerber→Garbe/光の束。
 ラーゼマン/Laseman→Lase man/読む、人。

☆「光の達人?」と、Kはたずねて、読み解く人のところで会った気性の激しい人について話してきかせた。
 「そう、そうです」
 「自由の存在を知っていますよ」と、Kは運を天にまかせて言った。

ゴーヤのスムージー。

2012-08-26 06:53:09 | 日常
 ゴーヤの収穫も最盛期、この先もっとは望めそうもないけど、二本しか植えていない苗からどしどし採れたゴーヤは、毎日何とか食べているのにまだ冷蔵庫の中に八本。

 炒めたりサラダにしても・・・一人では食べきれない量。ゴーヤは他の野菜と異なり好き嫌いがはっきりしているので、他所へ差し上げるのにも若干面倒な応答をしなくてはならず、ならばと一人で頑張っている。

 ゴーヤ一本で複数の人数分、それを一人ではと沈黙の悲鳴をあげているわたし・・・結局いま流行のスムージーで、食している。一日一本は最低のノルマ。ゴーヤの中綿、種を除き、細く切ってミキサーに入れ、蜂蜜と牛乳をくわえてスイッチオン。
 他の果物を入れる勇気がない。(もし梨などを混ぜて一個200円もする梨を台無しの味にしてしまったら勿体ないし、人参やほうれん草を加えて複雑な味にするのも怖い)

 そうして舌にざらつくけど、身体にいいと信じる飲み物を飲み干している。不味くないけど、抵抗感があるし、ゴーヤ食べすぎのきらいも若干心配。

 かくて、ゴーヤとの戦いはあと数日間は続くと思われる。(処分したほうが身のためかもしれない)

『風の又三郎』422。

2012-08-26 06:37:49 | 宮沢賢治
「そでない、そでない。」みんなは一しょに叫びました。ペ吉がまた一人出て来て、
「そでない。」と云ひました。又三郎は、気味悪さうに川のほうを見ましたが色のあせた唇をいつものやうにきっと嚙んで
「何だい」と云ひましたが、からだはやはりがくがくふるってゐました。
 そしてみんなは雨のはれ間を待ってめいめいのうちへ帰ったのです。

☆惑星は逸(遊ぶ)神だと推しはかられる。雷(神なり)の運/めぐり合わせ。
 幽の太陽の鬼(死者の魂)の魅(もののけ)は和/おだやかである。
 遷/うつりかわる幻の死期。
 新しい光の化(形、性質を変えて別のものになる)の運(めぐりあわせ)。
 有(存在)の還(一巡りしてもとに帰る)胎(物事の始め)を記す。

『城』1014。

2012-08-26 06:20:04 | カフカ覚書
ここでとくに名前を売ったのが、ブルーンスヴィックという男です。あなたは、たぶんこの男をご存知ないでしょうが、おそらく下司な人間ではないとおもいます。ただ、頭がお粗末なうえに気まぐれな空想屋ときているのです。ラーゼマンという男の義兄弟にあたります」

 ブルーンスヴィック/Brunswick→brunstig/熱烈な、激情。
 ラーゼマン/Laseman→Lase man/読む、人。
 義兄弟/Schwager→Schwanger/抱いている、孕んでいる。

☆とくにこの際、標をつけたのが先祖の激情の人です。たぶん知らないでしょう。悪意はないと思いますが、不快なうえ、机上の空論をいたします。ラーゼマン(読み解く人)である先祖を孕んでいると思われます。

もう秋?

2012-08-25 06:40:24 | 日常
 夏の入道雲、眩しいほどの鮮やかに光る白・・・不意に現われる絹雲。現れては消え、消えては現われる雲の転移。

 猛暑ではあるけれど、不意に流れ込んでくる涼風・・・。

 深夜に聞く虫の声・・・蝉と秋の虫が鳴き競っている。オーシンツクツク・・・もう夏も終りに近い。海の水温はグッと低く波は秋の気配を吸い込んでいる。

 予報ではこの猛暑は九月中旬まで続くといっている。それにしてもあと少しの辛抱。思いっきり汗をかくという爽快感も忘れた昨今、ひたすらじっと耐えている。

(もう秋?)

 この言葉が胸の中で冷風を呼んでくれる。
 でも、カタッと音立てて秋へ雪崩れ込んでいくのも淋しい・・・時が過ぎ去るのを待っているけれど、時が過ぎ去っていくのは胸に痛い。人は矛盾不条理の中で混沌として生きている。