
『秘められたる音』である。秘めた、ではなく・・・秘められたる、は微妙である。主観ではなく客観的に眺めているという態であり、自主的な行為〈わたくしが〉という主語が欠落している。
もちろん、わたくし(デュシャン)が意図して作ったに違いないのだが、突き放して傍観している。
これは《わたくし》であり《世界》なのだ。『秘められたる音』の正体はデュシャン自身であり、森閑とした宇宙でさえある。この封じ込められた中を狭小という観点で見つめるのは観念としての約束にすぎない。
見えないもの、聞こえないものへの冒涜でもある。見えないもの、聞こえないものは無限に広く神聖であり本来、捉え難いものである。
『秘められたる音』は世界への信奉であり、自身との共存関係を暗示している。『秘められたる音』の観点は《無と有》の巡回を図ったものである。
写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.comより
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