『啓蒙時代』
石積みの開口部から山嶺と空とを望む景は、全体うすぼんやりと霞みがかっている。
その空に、眼・鼻・口、そして、向かって右の眼のある位置にはなぜか気球とそれに乗った二人が小さく見える。
この景が『啓蒙時代』であるという。
ここに見える理念とは何だろう。
目・鼻・口、部分であるということは奇怪であるのにもかかわらず、顔を想起し、人に関連付けていく操作が働く。しかし、右に位置する気球は置換にしては大きさに差異があり、並列するには空間の歪みを是認しなくてはならない。
この気球だけの浮上であれば自然の光景に映る、むしろ目・鼻・口のパーツが並列される奇異をこそ追及されるべきかもしれない。
ただ、この気球は浮くという条理はあるが、乗っている人に比して異常とも思える大きさである。
要するに、空に見えるそれぞれがあり得ない状態であり、いかにも顔らしいものにパーツが収まっていること自体が奇跡的な一致を見せているに過ぎない。
つまり《そのように見える奇跡》である。
たとえ、それぞれの事物が不一致であっても、人は常にデーターの集積に基づき、想念(イメージ)の一致を図るのではないか。
《見ること》は、意識下で概念への修復を図ることであり、《物理的論理を超えること》ではないか。マグリットの提案する新しい考え方の示唆である。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)
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