
『壜掛け』
壜をかけ乾燥させる器具らしい。(日本では見たことがない)
これを作品として会場に提示する。
「なに?なんで?」
鑑賞者の戸惑いが目にに見えるようである。家庭内の日常品は慣習的に使用するものであって、作品という意図を持っていないはずだと確信するからである。
しかし、日用品が作品に昇華されたのではない。
その物はその物であり続けるしかないが、それを展示会場に確信的に設置し鑑賞者にメッセージを発するところに、意味のないところから意味を見出すように働きかけているのである。
この壜掛けは、会場において何ら意味をもたない物質と化している。第一この物が何であるかさえ不明な状態である。
写真で見ているだけなのでよくは分からないが、この物の立地点は奇妙に浮き、奇妙に外れているのではないか、つまり危機一髪を危惧されるギリギリの状態なのではないか。とすると、この作品(壜掛け)を鑑賞するのには非常な危機感を併せ持たなければ鑑賞できない空間づくりがあったと思われる。
この壜掛けは『壜掛け』と名付けられているので、壜掛けであると了承するが、それ以外の有効性は剥奪されている。意味のないもの、有効性を見いだせない奇妙なものとさえ映る。
目的をもって制作された物が、目的を外された状況に置かれることの滑稽さ。
《無意味》の象徴は孤立し、鑑賞者を困惑から救い出せない。しかし、やがて、鑑賞者は思考を巡らせ、《無意味》の意味に気づかされる。
物質と言葉との約束は有用性をもって果たされるが、破棄された状況においては漠とした無意味だけが浮上するのみである。
(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)
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