
『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』
おかしいでしょう、この題名。
言語というのは相手に通じることを前提に形作られている。言葉は時代を経た不壊の完成品でもあるが、それを否定する言語を熟考した結果の題名ではないかと察する。
「彼女の独身者たち」ということ自体が微妙にずれている。「彼女と独身者たち」もしくは「独身者たちの彼女」なら分かるが、彼女は独身者たちを所有するだろうか。
「独身者たちによって裸にされた花嫁」、「彼(許婚)によって裸にされた花嫁」なら分かるが、複数の者が花嫁を裸にするなど事件である。(しかし、例外的にあり得るかもしれない)という余地が言葉のミソでもある。
しかも独身者たちは、男に限らず女の独身者も当然いるのに、なぜか男性であると思い込む、思いこませる流れを方向付けている。
全体、この題名は曖昧不明であるが、断言している点で納得しがたいが納得せざるを得ないような奇妙な迫力に押し切られてしまう。
「、さえも」って何? 止む無く、仕方なくという嘆息も滑稽というかユーモアを感じてしまう。
通念の否定、言葉と物、言葉とイメージ・・・蓄積され慣習化した観念の否定、破壊である。
存在を破壊(崩壊)によって否定(無)し、存在の意味を問いかけている。
(写真は『デュシャン』新潮美術文庫より)
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