
『記憶』
記憶、経験や情報を忘れないで覚えていること・・・しかし、石膏像に記憶はない。知覚作用がないなどあまりにも自明である。
あえて無機の石膏像の額に流した(血)は何を意味するのだろう。額の奥にある脳には記憶をつかさどる器官があるという暗示、その部位から流れ出ている鮮血。
像の前には赤い薔薇一輪(愛だろうか、棘だろうか)、そして背後には馬の鈴(伝承、伝聞、噂)があり、背景は茫漠とした海と空、定かではない水平線、そして陰鬱に澱んだ暗雲・・・明るい兆しの片りんもない静かで動きのない時空である。
記憶、一体誰の記憶なのだろう。記憶は個人の内に秘められたものである。まさか、他人あるいは一般的な記憶の形というのではないとしたら・・・マグリット自身に他ならず、マグリットの中の物(観念)と化した女性といえば母である。
母を思う時の胸苦しさ、何故、死を選ばざるを得なかったのかという疑念。すでに語ることのない母への思い。石膏像の白は罪なき潔白、薔薇は棘ある誘惑、馬の鈴は陰口・・・あらゆる負の状況が浮上するが、決定的な根拠に欠ける。
薄い記憶は、血を流すような母の苦しみへと近づくことができず、曖昧なまま汚れ亡き母を思慕するのみである。
写真は『マグリット』展・図録より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます