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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)足だるく。

2021-07-26 07:23:23 | 飯島晴子

   足だるく川筋の葱喰いいそぐ

 川筋はセン・キンと読んで、専、近。
 葱喰いいそぐ(葱喰急)はソウ・ク・キュウと読んで、捜、苦、杞憂。
☆足がだるいと、専(もっぱら)近(近所)で捜(探し求める)苦(にがにがしい)杞憂(取り越し苦労)がある。

 足だるく(足怠)はソク・タイと読んで、束、帯。
 川筋はセン・キンと読んで、鮮、錦。
 葱喰いいそぐ(葱喰急)はソウ・ク・キュウと読んで、層、躯、窮。
☆束帯(朝廷の公事に着用した正式の衣服)は鮮(色あざやか)である。錦の層(幾重にも重なる)は躯(からだ)に窮(窮屈、身動きできない)。

 足だるく(足怠)はソク・タイと読んで、即、他意。
 川筋はセン・キンと読んで、千、襟。
 葱喰いいそぐ(葱喰急)ソウ・ク・キュウと読んで、想、句、究。
☆即ち他意である。
 千(沢山)の襟(心の中)の想いの句を究めている。

 足だるく(足怠)はソク・タイと読んで、足、腿。
 川筋はセン・キンと読んで、繊、筋。
 葱喰いいそぐ(葱喰急)はソウ・ク・キュウと読んで、総、躯、及。
☆足の腿が繊(ほそい)。
 筋(筋肉)の総ては躯(体)に及(影響する)。


D『9つの雄の鋳型』

2021-07-26 06:44:07 | カフカ覚書

   『9つの雄の鋳型』

「9は全てであり、0であり、無である」という。要するに不思議な数字を置いたのだと思うが、鋳型のなかを雄と限定するのも見えないので限りなく疑惑が残る。しかも作品は鋳型の外観であるのも関わらず、それなりの何かを想像できるような設えである。鋳型であれば、中の構造が重要であり、外観は問題外である。

 論点が見えない、見えないように巧みに構成された作品『9つの雄の鋳型』は外観、つまり有っても無くてもどうでもいい物のそれらしい意味を問うことで意味を隠蔽している。

 一つ一つ、既知のものに結び付け考える、まるでゲームのように。閉じられた中身に主眼があるように見せて、閉じられた中身は当然見えず、外観が手だてである。
 これはこうだから…と当てはめていくが決定的な答えは当然でない。
《あたかも》…人の考えは固定されている、意識するとしないに関わらず、過去のデータや常識という一般論に束縛されている。

 雄であることは普通にまかり通っているが、では厳密にという調査が入れば鑑定は心理的領域を含めて極めて困難である。
 つまり見えない、内包されている広域への挑戦、果てしないほどの未知をこの鋳型に閉じ込めたのである。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』29。

2021-07-26 06:17:38 | カフカ覚書

 ヴィルトバハ橋のところでぼくたちは立ち止った、もっと先まで駆けて行った子供が戻って来た。下では波が、もうすっかり夜になったとは思えないほど、石や木の根を打っていた。そうしていけない理由はなかったのに、なぜ誰も橋の欄干に飛び上らなかったのだろう。


☆急流な橋のところでわたしたちは立ち止った。もっと先まで走っていたが、後方へ回転した。流れは星や激怒を打ち、下に流れて行った。確かに終末(死)に遅れたのではないが、何故、誰も破損(失敗)を訴えなかったのだろう。