続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『ピレネーの城』

2019-02-18 06:25:07 | 美術ノート

   『ピレネーの城』

 ピレネーの城、つまり、任意の城ということである。特別ではないが固有であり、他とは線を画するものである。
 空中浮遊、重い巨岩石が空中に漂っている光景・・・重力のない世界、物理の法則に著しく反する時空、即ち精神界の光景に違いない。しかし現実の世界に堂々と位置している。まぎれもなく現実の海であり空であり雲の浮遊のなかの光景である。

 生きているわたし(マグリット)の実証はこのような形でしか表現できない。
 現実を生きているが、衆目の眼下にはなく、雲に紛れ浮遊している。わたしの城の在処は誰からも見えない岩上にあり、質的に言えば石に同化し硬質であるが、常に天に向き陽に浴しているという心地よさである。

《岩石が空中に浮くはずがない》という当然の理を覆す反骨、つまり《イメージへの反抗・否定である》
 岩石を持ち上げる精神力(エネルギー)と解してもいい。それは観察眼への疑念であり、習得された観念からの脱却でもある。地球が大きな石であると考えるなら、人もまた自由な石と考えられるのではないか。生死の時空において存在は同格である。

 物理界(自然)と精神界(人)は常に共存しているが、視界(観察眼)は物理界のみに加担している。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『オツベルと象』52

2019-02-18 06:13:54 | 宮沢賢治

よくまあ、五把の藁などで、あんな力がでるもんだ。
 じつさい象はけいざいだよ。それといふのもオツベルが頭がよくえらいためだ。オツベルときたら大したもんさ。


☆語(言葉)で把(つかむ)講(話)である。
 利器(便利な道具)は章(文章)であり、等(平等)が他意である。


『城』3128。

2019-02-18 05:58:13 | カフカ覚書

「あなたは、失望をなさったことがすでに何度かおありのようですな」と、ビュルゲルは言って、なかなか観察眼があることをまたもや証明してみせた。事実、Kは、この部屋に足を入れたときから、ビュルゲルを甘く見てはいけないと、何度か自分に言ってきかせたのであるが、いまのような状態では、自分の疲労以外のものを正しく判断することは困難であった。


☆「あなたは先祖に幻滅なさったことが、すでに何度かあるように見える」と、ビュルゲルは言い、観察眼を再び証明してみせた。要するに、Kはこのテーマに介入した時からビュルゲルを過小評価してはいけないと思ったのだが、今の状態では自身の眠気(死に至る)以外のことを正当に判断することは難しかった。