食器棚の整理、硝子戸を外し洗浄、内部の清掃…使用していない雑器の数々、見てはため息(あんなに捨てたのに、まだある)切なく元に戻そうとして戻さず(エイッ)とばかり新聞紙でくるんで〈不燃ごみ〉。
もし…を考える、もしわたしが死んだら残されたものは片づけに困惑するだろう。年を取ったら物をため込まないことを身上としている。
《シンプル》必要な物だけ!という思いは脅迫めくわたしを責め立てる。けれど、なかなか思うようにはかどらない。
今日はここまで…。
けれど、明日はさらに物が積み重なっている。
やっと干した梅…これを入れる瓶、この前に棄ててしまったから新品を買う?(こんなふうに、いつまで経っても終わらない)
記憶の方は喪失症を患っているから、すっごく早く無くなるのに…そのうちわたしが消えてなくなるまでの辛抱かな。
神さま、早くわたしを捨てて下さい…。
『深淵の花』
深淵…一見奥深い山中の谷間という感じであるが、これは身体の中咽喉の奥底…心の深淵であり、精神の闇に咲く花である。
馬の鈴という周囲に知らせるべき合図は、人の心の闇の中で静かに、ある時は外に飛び出すこともある合図…すなわち人間においては《言葉》に換言される。
言葉は《真実・虚偽・噂・伝説etc》あらゆる伝達を可能にする。
『深淵の花』は美しくも醜くも変貌する得体の知れない花であり、咲いたかと思うと消え、消えたかと思うと、永遠の持続性を以て人を支配する特定の困難な奇妙な花である。
人の心に隠れた《業》のような性質をもち、抑えようとしても抑えきれない種々の企みを持って口を開けている、いわば美しい怪物のような謎の花である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
そのとき山男は、なんだかむやみに足とあたまが軽くなって、逆さまに空気のなかにうかぶゆな、へんな気もちになりました。
☆太陽の談(話)は、即ち計(はかりごと)の劇(芝居)であり、句(言葉)の仮りの記である。
それでも、わたしは、自分がおぼえてきたことを残らずバルナバスに話してやりました。バルナバスは、まだ真実と嘘とを見わける能力がなく、また、わたしどもの一家がおかれていた状況のためにこうした話を聞きたくてむずむずしていたものですから、どんなことでもよろこんで聞き、もっともっと知りたいと熱望していました。
☆わたしは改めて気づいたことをバルナバスに話しました。真実と嘘の間を見分ける能力がなく、わたしたち一族がおかれていた状況のために、この事柄を猛烈に求めたのです。