続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット《一致の光》

2015-12-13 07:20:56 | 美術ノート

 キャンバスに描かれた女体のトルソと傍らにあるロウソクの灯り、あたかもこのロウソクが、トルソを浮かび上がらせているような図である。
 《一致の光》、光りが一致するなどということは無い。光源(ロウソク)と、光りに照らされ見える存在として浮かび上がったトルソは、異空間にある。光源(ロウソク)によって照らし出されたように見える陰影を持つ画に描かれたトルソを配置したのは、偶然ではなく必然的な結果であり、符合させた作意である。

 見えるということの絶対条件は、眼(網膜)を刺激する光りである。
  光がなければ、事物は明らかになることは無い。
 事物がなければ、光りは通過するのみである。

 光によって人は事物を認識し、存在を確信する。

 鑑賞者は、光りなしに作品(画面)を見ることは適わない。《一致の光》というのは、〈光りがある〉という時空の中では、一致は必然的な結果である。
 しかし、人工的な照明には照射角度に差異が生じ、太陽光の場合も時刻による変化は免れないので、本来一致の光と言うものは存在しない。

 《一致の光》という作品は、一致の光を逆説的に説明している。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


「銀河鉄道の夜』167。

2015-12-13 06:52:04 | 宮沢賢治

それでもたしかに流れてゐたことは、二人の手首の、見ずにひたったとこが、少し銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えたのでもわかりました。


☆縷(細く長く続く)字の図りごとは殊(異なる)趣(ねらい)を遂げている章(文章)を推しはかる。
  吟ずるものは普く兼ねた主(中心)が趣(ねらい)であり、派(元から分かれ出る)。
  倫(人の行うべき道)の講(はなし)である。


『城』2172。

2015-12-13 06:26:00 | カフカ覚書

でも、わたしたちの場合は、そういうわけにはいきません。とくにバルナバスにとっては、自分が話をしている相手がほんとうにクラムであるのか、そうでないのかということは、死活にかかわる問題ですわ」
「ぼくの場合も、それに劣りませんよ」と、kは言った。そして、ふたりは長椅子に腰をかけたままいっそう近く身を寄せあった。

 Bannk→Bann/束縛、罰令区を暗示。
 Ofen→Offen/開いている、覆いのない、未解決の、を暗示。

☆わたしたちの場合はそうはいきません。バルナバス(生死の転換点)にとっては、話しているのがほんとうにクラム(氏族)であるのかどうかは死活問題なのです。わたしの場合もそれに劣りません、とKは言った。そして二人は未解決の罰令区の近くに移動した。