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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『レディ・メイドの花束』

2015-11-05 07:18:18 | 美術ノート

 直立した山高帽の紳士の背中に花の女神フローラの姿が重なっている。
 ボッティチェルリの《春》に描かれたものと、同じに描かれている。そのイメージを背中に被せるということの意味は恋情、ごく自然の恋慕・憧憬であり、本能である。
 男が胸に抱く女への切望は当然の生理であり、このフローラはその象徴だと思う。
 しかし、彼は厳然として前を向いている。眼の前に広がる林(自然)、分け入っても分け入っても緑…という光景の広がりがある。

 彼と林を隔てている柵(石造)は、越えようとすれば越えられる高さであるが、彼は固まったように直立している(ように見える)。(行こうとして行けない)という妙な緊張感を感じる。果たして、石造の柵の向こうは、男の立地点と同じだろうか。越えられぬほどの深さ、あるいは峡谷、切断された異世界かもしれない。
 林のずっと向こうは輝いているように見え、男の背中は影である。
 男の直立には向こう側への憧憬と崇拝が感じられる。

 心に思う女性はすぐ傍にいるのに、それに背を向けて自分は異世界を向いている。ぴったり寄り添う女性を離れがたく(愛している)、しかし・・・。

 『レディ・メイドの花束』、すでに用意された美しい花束を背にしているにもかかわらず、自分はあらぬ方に心を奪われていて、手に取ることも呼び寄せることも絶対に不可能な《向こう側》を見ている。切なくも矛盾した彼の真意である。
 固く閉じ、触れることを許さない秘密の領域が、マグリットの《向こう側》である。

 (ちなみにフローラではなく妻を描けば男が特定されてしまう。任意である必要性をもってフローラを選択したのだと思う)


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』130。

2015-11-05 06:35:16 | 宮沢賢治

遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或いは三角形、或いは四角形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光ってゐるのでした。


☆掩(おおわれた)章(文章)は襟(心の中)にある。
  代(入れ替わる)掩(おおわれた)答えの講(はなし)の根(物事のもと)は照(あまねく光があたる=平等)であると吐く。
  章(文章)は惑(正常な判断が出来ずに迷う)が、散(ばらばら)になったものを、較(くらべ)継(つなぐ)。
 惑(正常な判断が出来ずに迷う)詞(ことば)の変(うつりかわり)を警(注意する)。
  澱む差(違い)を継(つなぐ)也。
 現れる講(はなし)はある。


『城』2135。

2015-11-05 06:27:47 | カフカ覚書

バルナバスは、彼らのそばでは、いつも小さくなってかしこまっているのです。つまり、バルナバスが高級従僕だなんてことは、まったく問題にもならないのです。


☆言ってみると、それについての談話ではバルナバス(生死の転換点)は先祖の優れた晩餐だったことは少しもないというのです。