直立した山高帽の紳士の背中に花の女神フローラの姿が重なっている。
ボッティチェルリの《春》に描かれたものと、同じに描かれている。そのイメージを背中に被せるということの意味は恋情、ごく自然の恋慕・憧憬であり、本能である。
男が胸に抱く女への切望は当然の生理であり、このフローラはその象徴だと思う。
しかし、彼は厳然として前を向いている。眼の前に広がる林(自然)、分け入っても分け入っても緑…という光景の広がりがある。
彼と林を隔てている柵(石造)は、越えようとすれば越えられる高さであるが、彼は固まったように直立している(ように見える)。(行こうとして行けない)という妙な緊張感を感じる。果たして、石造の柵の向こうは、男の立地点と同じだろうか。越えられぬほどの深さ、あるいは峡谷、切断された異世界かもしれない。
林のずっと向こうは輝いているように見え、男の背中は影である。
男の直立には向こう側への憧憬と崇拝が感じられる。
心に思う女性はすぐ傍にいるのに、それに背を向けて自分は異世界を向いている。ぴったり寄り添う女性を離れがたく(愛している)、しかし・・・。
『レディ・メイドの花束』、すでに用意された美しい花束を背にしているにもかかわらず、自分はあらぬ方に心を奪われていて、手に取ることも呼び寄せることも絶対に不可能な《向こう側》を見ている。切なくも矛盾した彼の真意である。
固く閉じ、触れることを許さない秘密の領域が、マグリットの《向こう側》である。
(ちなみにフローラではなく妻を描けば男が特定されてしまう。任意である必要性をもってフローラを選択したのだと思う)
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)