山の上に置かれた岩、しかもこの絵において岩は山頂の尾根に在る。どの山の頂上よりもさらに高く聳え立っている巨岩石、有り得ない光景である。というのは、岩は樹と異なり大地に密接に結びついていないからである。
神秘的・・・神の領域である。
主なる神はとこしえの岩だからである。
わたしのほかに神があるか。
わたしのほかに岩はない。(『イザヤ書』より)
神に対する恐れと敬虔。
《ガラスの》という修飾がある。ガラスの特質には何があるだろう。
第一に、可視光線に対して透明性があり、良く見えること。
第二に、壊れやすいこと。(「ガラスの地球を救え」とも)
そして、逆に見えにくいことの例えにも使用される。(「ガラスの天井」など)
透明なまでに熟知され崇められている信仰(神の存在)、しかし、見える形に刻むな(「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」『出エジプト記』より)とも言っている。
とこしえ(永久)に神の姿を見ることは適わない。存在するものであるが、見えにくく、見えないものである神は、「とこしえの岩である」と抽象化している。
しかし、マグリットは秘かに《壊れるものである/ガラス》と含ませているのではないか。
鍵、Key…これが答えである。要害(守りやすく険しく攻めにくい場所/砦)に聳え立つ巨岩石は、存在しているが、存在を危ぶまれるような神秘的な有り様である。
これらの条件を踏まえた光景が、マグリットの(神に対する)解答なのではないか。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)