「僕は全くの旅客でこの土地には縁もゆかりも無い身だから、知る顔もなければ見覚えの禿頭もない。
☆目(ねらい)は繕(つくろうこと)を、慮(あれこれ思いめぐらせる)。
規約の度(ものさし)は、字を掩(隠す)謀(はかりごと)である。
新しい質(内容)の眼(要)である謀(はかりごと)が現れる。
較べて読んで、問うことである。
※見覚えの禿頭というのは、太陽。ここ冥府には現世でよく見た太陽がないと言っている。
腥い臭いが人々の立騒ぐ袖や裾に煽られて鼻を打つ。
☆逝(人が死に)終わると尽(すべてが無くなる)。
腎(要)の律は双(二つ)である。
周(あまねく)拠(よりどころ)は換(入れ替えること)である。
備(あらかじめ用意してあるもの)に兌(とりかえる)。
鯛や比良目や海鰻やタコが、其処らに投げ出してある。
☆諜(図りごと)は秘(人に隠して見せない)。
霊(死者の魂))は、黙っている。
悔(くやむこと)が満(いっぱい)の傷(悲しみ)がある。
語(言葉)の記を諸(もろもろ)問い推しはかる。
売っている品は言わずもがなで、喰っている人は大概船頭船方の類にきまっている。
☆媒(仲立ち)は頻(しばしば)現れる。
嘱(委ねる)腎(要)は諦(真理)の我意である。
千(たくさん)問う。
千(たくさん)の法(神仏の教え)が塁(より所)である。
露店が並んで立食いの客を待っている。
露店はロ・テンと読んで、路、展。
並んではヘイと読んで、蔽。
立食いはリツ・ジキと読んで、律、自記。
客はカクと読んで、覚。
待っているはタイと読んで、諦。
☆路(物事の筋道)を展(ひらく)。
蔽(見えないようにする)律である。
自記で覚(さとる)のは、諦(真理)である。
叫ぶもの呼ぶもの、笑声嬉々として此処に起れば、歓呼駑馬乱れて彼処に湧くという有様で、売るもの買うもの、老若男女、何れも忙しそうに面白そうに嬉しそうに、駈けたり追ったりしている。
☆教(神仏のおしえ)の個(一つ一つ)の章を省(注意して見る)奇(珍しい)記である。
詞(言葉)は諸(もろもろ)の記に換(入れ替わる)。
個(一つ一つ)に努(力を尽くし)場を覧(よく見ると)秘(人に見せないように隠している)法(神仏の教え)がある。
幽(死後の世界)と融(心が通じる)要(かなめ)の媒(なかだち)と倍(多くする)。
弄(思いのままにする)二役の談(話)を叙(述べる)。
化(教え導く)謀(図りごと)は綿(細く長く続く)と吐く。
記の句(言葉)は対である。
大空は名残りなく晴れて朝日麗らかに輝き、光る物には反射を与え、色あるものには光を添えて雑踏の光景を更らに殷々しくしていた。
☆他意の句(言葉)は、冥(死後の世界)に竄(文字文章を変え)省(注意して見て)調べると実(内容)は霊(死者の魂)の鬼(死者/亡霊)の講(話)である。
仏を範(手本)とし赦(罪や過ちを許す)。
予(あらかじめ)私記は講(話)を転(ひっくり返して)造っている。
透(すかして見える)講(話)の系(つながり)は恒(つねに)音に隠れている。
奥に松山を控えているだけにこの港の繁盛は格別で、分けても朝は魚市が立つので魚市場の近傍の雑踏は非常なものであった。
☆往(人が死ぬ)傷(悲しみ)を惨(痛ましく思う)講(話)である。
講(話)は反(繰り返す・元に戻る)状(ありさま)を常に書く。
瞥(ちらりと見て)文を調える。
語(言葉)を試す律がある。
語(言葉)を視て常に造(こしらえる)。
套(おおって)秘(人に見せないように隠す)帖(書付)である。
夏の初めと記憶しているがぼくは朝早く旅宿を出て汽船の来るのは午後と聞いたのでこの港の浜や町を散歩した。
☆化(教え導くこと)の諸(いろいろ)は、鬼(死者)への臆(思い)である。
粛(謹んで)推しはかる記である。
遷(移りかわること)に頼る語(言葉)の講(話)である。
問う講(話)は、頻(しきり)に調べ算(見当をつけた)譜(物事を系統的に書き記したもの)である。
「その次は四国の三津ヶ浜に一泊して汽船便を待った時のことであった。
次はジと読んで、弐。
四国はシ・コクと読んで、詞、告。
三津ヶ浜はサン・シンケ・ヒンと読んで、算、申、化、品。
一泊はイツ・ハクと読んで、逸、吐く。
汽船便はキ・セン・と読んで、記、詮。
待ったはタイと読んで、他意。
時はジと読んで、示。
☆弐(二つ)の詞(言葉)を告げる。
算(見当をつけ)申(のべる)化(教え導くこと)の品(種類わけ)である。
逸(隠して)吐く(言う)記の詮(意味を明らかにし)、敏(すばやく)他意を示す。