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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

三浦半島の民俗『どんど焼き』

2016-12-22 09:06:50 | 博物館講座

〔瀬川先生の授業〕

「来年1月8日に久里浜の「どんど焼き」を見学に行来ます。どんと焼きの「どんと」とは、年徳神・歳神(ご先祖様)や子供が囃す「尊い尊い」が訛って「どんど」となってと言われていますが詳細は不明です。 
 ドンド焼き・御幣焼き(おんべやき)左義長(三本の木の柱)さいと焼き等とも言われ多くは子供中心の行事です。
 農耕の予祝いであり、正月飾りを集めて焼き、丸い石(ご神体として)や餅なども焼きます。
 おんべの火にああると風邪をひかないなどといわれ、燃え残った松を持ち帰り戸口に差し厄除けにするという風習もあります。

年中行事には
 1、年占い(オビシャ、粥占い)筒にお粥を入れて炊き、作物ごとに数を数えて占うというものです。(0~9)
 2、歩射ビシャ
 3、邪霊除け(鳥追い・モグラ打ち)
 4、神霊の訪れ(なまはげ/秋田)(スネカ/岩手)
 5、火祭り(ドンド・おんべ焼き)などがあります。

 道祖神からご神体(玉石)を運び出し、どんど焼き(もしくはおんべ焼きなど)で、石が焼けた後はお神酒を注いで五穀豊穣を祈ります。」
「須軽谷のおんべ焼き」のビデオを鑑賞。

 一年両分性説(年神棚・盆棚)
 三戸浜のおしょろ流しは早朝行われ、大人たち舟を作り子供たちが曳航します。(現今の実施は不明です)

 道具の供養~写真・人形供養の事例には、天嶽寺/越谷、勝願寺/鴻巣市などが有名です。
 写真の供養としては、鎌倉の浄智寺の写真供養などがあります。
 これらは浄焚といいます。

 等々の説明を受け来春(1/8)は、いざペリー公園に集合。

 年中行事などまるで無関心のわたし、こういう機会にご先祖様を敬う風習に、思いを馳せたいとおもいます。心の拠り所としての風習は成るべくして生活の要として息づいてきたに違いありません。

 瀬川先生ありがとうございました。


遺跡巡り。

2016-12-10 07:16:53 | 博物館講座

 〔稲村先生の授業〕

 今回は大矢部周辺の遺跡を巡るというFW。(2回の内の1回目)
 衣笠城址で集合、大善寺へ向かって衣笠町へ。隣町である衣笠町を歩くのは、こうしたツアー以外にはないくらい足を踏み入れたことがないので興味津々。

 横穴墓を利用した櫓(?)跡、住吉遺跡は私有地になっているため下から指差し眺めただけ。なるほど高楼、兵糧食の貯蔵庫がお米が残存していたことで証明された由。(ローム層/赤土)
「岩戸の満願寺には佐原氏の横穴墓がありますが、平安末ですから、佐原十郎の墓というのも(いかがなものか)」とは先生の弁。

「石で積み上げられた素朴な五輪塔、地・水の石は13世紀前半の物でしょうが上の方は室町時代あたりの既製品ですね」(矢取不動尊)
 坂口やぐら、はたたてやぐら・・・次第に大善寺に近づくにしたがって急坂。
「南面は猫が通れるほどの細い通路で段々畑を作りましたが、北面は手付かずですから昔からこんな感じだったのでしょう」
「合戦の時などは川に渡した橋を逃げながら落としていったのでしょう」
「大善時には平安末期の仏像があり、市の指定になっています。(まあ、かなり劣化していて仏と思えば仏といったもんです)」

 等々、ぼんやり話を伺いながら、急階段を上り、さらに山の奥へ入っていくのを見て(わたしはここで)とばかり休憩し、その後、先生の貴重なお話も聞かずに帰路を急いでしまった。(申し訳ありません)

 衣笠城址・・・具体的に思い描くことは困難ですが、薄ボンヤリ、平安の昔を偲んだ授業でした。

 稲村先生、瀬川先生、ありがとうございました。


クリスマス・リース作り。

2016-12-04 07:36:03 | 博物館講座

 〔山本薫先生の授業〕

 博物館に新しく入られた植物の先生は女性です。
 したがって今まで考えられなかったようなワークショップが企画されたので即申し込み、一日を愉しませていただきました。
『森のさんぽとクリスマスのかざりづくり』この表題を見て気づくべきだったのだけれど、参加者は小さなお子さんのいるファミリーばかり。

 25人くらいの参加者の中に、薄ボンヤリの方がもう一人。並んで講座を受講。

 小さなお子さんがはしゃぎまわってスキップしながらの小高い山の昇降を、69歳のわたしは「よいしょ、よいしょ」と醜態。

 先生は、リースの材料のほかに栞やカード作りまで準備してくださいました。
 もちろん植物のお話も、「まつぼっくりとは球果といい、乾くと、かさが開いて中から種が出てきます。まつぼっくりは種を守るとともに、種が風でコントロールする働きをするのです。」
 それから、まつぼっくりが出来るまでのお話や、飛ぶ仕組みを小さな紙片を折り適当な重さ(クリップ)をつけての実践まで…。

 採取した木の葉や木の実を学習棟で作ったクリスマスリース。小さなお子さんたちは一生懸命可愛い飾りをつくりました。(👏)

 わたしも作ったものを、早速、飾りました。
 山本先生ありがとうございました。


手子神社の神楽/湯立。

2016-10-17 07:15:20 | 博物館講座

 〔瀬川先生の講座〕

 京急金沢文庫駅の近く、手子神社での神楽を拝観。(1473年に瀬戸神社の分霊を勧請したのが起源、創建当初は宮ケ谷にあったものを、1679年、釜利谷の領主伊丹左京亮の末裔が現地に再建。境内社「竹生島弁財天」が神社内にある)

 神官は瀬戸神社の神官が兼任(他に二人の神官)、氏子の方々が白の半纏を着け鎮座。
 神楽の様子は室内だったため、ちらちらと覗えるに尽きましたが、神聖な雰囲気でした。

 近隣の方も見えていましたが、博物館講座のメンバーを含めても大勢とは言いかねる状況。真静かに淡々と、けれど、1時間以上にわたり神官の舞は鈴や太鼓の音と共に続きました。先生のお話では前回は屋台のようなものも出たそうですが集客の少なさを見込んでか、今年はゼロの淋しい状況でした。

「だんだん、こうした行事も寂れていくんですかねぇ」とは先生のコメント。

 この年になるまでこうした行事が延々継承されているとは露知らずのわたし、この流れを食い止めることは難題かもしれません。

 瀬川先生、稲村先生、ありがとうございました。


三浦半島の民俗探訪。

2016-10-02 07:37:35 | 博物館講座

〔瀬川先生の授業〕

 今回は横浜市金沢区釜利谷南の手子神社でのお神楽を見学に行くための予備授業。
 「まず、横須賀市浦賀にある叶神社で行われた神楽を撮ってきましたので、ビデオを見てください。市長さんもお見えになり、70名くらいの拝観者がおりました。
 
 神楽とは何か…場を清めて神さまを迎え、時には芸能を披露しながら、鎮魂・飲食・神託を得て、神様を送ることです。
 採物神楽ー手に鈴・扇・榊・剣・弓などをもって舞う神楽であり、神話をもとにした演目が多い。
 湯立神楽ー鎌で湯を沸かしその場を神様に献上し周囲の人にも振りかけることによって穢れをはらい再生をはかる神楽のことです。霜月(旧暦11月)の行われることが比較的多い。
旧暦11月には、日照時間が一番少ない冬至があり神様を含め生命力が減退するという考えから、湯を浴びることで清められ、再生(生命の回復)をはかったとされています。 
 獅子神楽ー獅子頭に神様を招き、厄除けや火伏せの祈祷を目的とした獅子舞。家々を回り門付けをすることが多い。
 巫女神楽ー巫女が鈴や榊をもって舞う神楽。「浦安の舞」が代表で、全国の神社で見られる。
 鎌倉神楽ー鶴岡八幡宮で職掌8家が伝えていた湯立神楽。800年以上前に京都の岩清水八幡宮より伝えられたとされているが職掌制度がなくなり、詳細は不明。戦後、藤沢の神職が講習会を開くなどして普及に尽力しています。

 65世帯くらいの小さな寒村が25世帯くらいに減少した今でも、この季節(お盆)には若者も帰省し総勢相揃ってこの神楽を盛り立てていると聞きます。小さな集落だからこそ神様との親交が厚いと言えるかもしれません。


 当日の手子神社では、「拝殿での演目は見えにくいかもしれませんが他の見学者の方と席を譲り合って見てください。」との注意事項をレクチャー。

 瀬川先生、ありがとうございました。


『野比海岸の地層』

2016-05-09 07:06:25 | 博物館講座

  

 好天の下、野比海岸を歩いた。
 年一度のイベント「地層見学会」。
 行けば(あの人に会えるな)と思うと必ず参加しているAさんや顔馴染みの人たちとの楽しい会話。
 東京は江戸川区から参加される方も(もともと横須賀出身とのこと)いらして会話は侃々諤々。
 Aさんは身近な方を次々に亡くされた由、でも元気。「お互い元気でいましょうね!」と、固い約束。

 ところで、断層の境界の土は粘土状…手でこね回せるほど柔らかい。矢部層と逗子層に挟まれた北武断層の破砕帯を活断層調査会の方がスコップで掘ってその粘土状を確認。
《動いているんだ》という恐怖が粘土を持つ指先にジワリと。
「このあたりの砂は、海流によって三浦海岸の方へ流されているため、こちらの砂が削られ前には見えなかった断層の土が露出したというわけです」

 タービダイト(混濁流によってつくられた地層)、平行葉理やリップル斜交葉理など海岸では露呈しているので配布された資料の写真と見比べ、はっきり確認できる。
「このあたりの地層は1600万年前の地層です」
(1600万年前って!!)
「こちら葉山層群は約1400万~1500万年前の新第三紀中新世中期につくられた地層です」
(??・・・)

 野比東ノ入公園から〈小地溝/断層によってできた溝状のへこみのうち小規模のもの〉を臨み、先生方の説明の後解散。

 柴田先生、三浦半島活断層調査会の先生方、ありがとうございました。


三浦三崎『チャッキラコ』

2016-01-16 07:18:23 | 博物館講座

 〔瀬川先生の授業〕

 京急三崎口駅から城ケ島行きのバスに乗り三崎港で下車。

 相州三浦総鎮守海南神社の行事は毎年一月十五日。(ユネスコ無形文化遺産・国指定重要無形民俗文化財)

 本宮で神官の祝詞や地域の役員さんの祝辞の後、四、五歳から十二歳までの女児たちの母親や祖母による唄に合わせた踊りの奉納。
 年の順に赤や黄や茶の揃いの着物と黄色の兵児帯、唄い手は黒色の着物にそれぞれの羽織という出立。
 化粧した少女たちの冠りは桃色の花飾り、手には舞扇とチャッキラコという綾竹を持ち、それぞれの唄(六曲)に合わせて可愛い仕草で拍子を取るという具合。同じ位置で起立したままの舞いですが、輪になって歩を進めていく唄(場面)もありました。

 ちなみに、♪三崎若イ衆にチョイト抱かれたい~♪ なんて歌詞があったり、♪十七が忍ぶ細みち、小袖がからんで忍ばれぬ。この藤をきりりとまるいて重ねて、さ夜明かす~♪ なんて幼子の踊りにしてはちょっと色っぽいかもしれない。

  唄は口伝えゆえ聞き間違えて異なる唄になったり、削除や時節の追加など比較的自由に替えられた部分もあったらしい。聞いていると浮かれ気分になるような唄なのに、ひどく真面目に唄い、無垢な乙女が可愛らしい素振りで踊るという風景に、漁師町の粋というか少々荒っぽい気風を感じた。

 その後、場所を海南神社に移し、再び同じ舞いを奉納するのですが、そのころには関係者も増え、一般の見学者であるわたし達は海を見下ろす崖面に張り付くように見物。

 そこで、隣り合わせた人は何やら忙しく短冊のようなものに書き込んでいたので拝見させていただくと、俳句/吟行である。この光景を、どう一句にまとめたものか仕切に試行錯誤していた。
 そのうち、巡回の人が
「この行事は500年前、室町時時代に始まったんですよ」と、教えてくださり、
「昔は男の子が満月の前日に餅を搗いて奉納したんです。そして翌一五日に女の子の踊りがありました。大漁祈願・商売繁盛の行事で、みんな一緒のお祭りみたいなもんです。
 それに、今はありませんが、船霊さまを造ったりもしましてね、その中には女人の陰毛なんかも入れたんです・・・」
「ふん、ふん・・・」と、聞き耳を立てていたわたし、途中で下の方から集合の合図。

次は三崎昭和館へ移動。(午後は仲崎・竜神様~花暮・竜神様~うらり~西野~花暮~仲崎と廻るらしい)

 時計を見たら11時45分、わたし達はここで解散し、ポカポカ陽気のなか三崎港バス停へ向かった。
 初春の潮風を受けながらの可愛い女児(乙女)たちの舞い。昔から連綿と受け継がれてきた華ある祭りに胸打たれた今回のイベント。
 瀬川先生、稲村先生、ありがとうございました。


『三浦半島の自然誌』

2015-12-19 07:07:24 | 博物館講座

〔萩原先生の授業〕

《魚とは何か》 
 脊索動物門(背中に棒状の神経を持つ動物)-脊椎動物亜門(背骨を持つ動物)

 無顎綱~ほとんどが太古に絶滅、現在はカワヤツメ(顎はなく吸盤状)・ヌタウナギ(顎も眼もない)のなかまが残るのみとなっている。三浦半島では周辺海域にヌタウナギの仲間が生息。

 軟骨魚綱~顎や対鰭を備えるが、骨格はすべて軟骨でできている。ギンザメのなかま(全頭亜綱)とサメ・エイのなかま(板鰓亜門)に分けられる。(チョウザメは硬骨魚)世界に約930種、日本に約110種。

 硬骨魚綱とは~顎や対鰭を備え骨格は少なくとも一尾が硬骨でできている。最も多様に分化した魚で、現在目にする魚のほとんどがこれに含まれる。世界/約2万7000種・日本/約4000種。(ウナギ・マイワシ・サケ・メアジ・マハゼ・クサフグなど)

《魚類の歴史》
 地球上に現れたのは、古生代のカンブリア紀後期(約5億年前)といわれる。
 最古の魚類は無顎綱だが、そのほとんどは古生代のうちに絶滅、現生のヤツメウナギ・ヌタウナギの直接的な祖先は不明。
 軟骨魚類は古生代のシルル紀(約4億4000万~4億1600万年前後)に出現し、デボン紀(約4億1600万~3億6000万年前)に発展したとされる。この時期に出現した古代ザメとよく似た形質をもち、生きた化石といわれる現在のサメ、ラブカは三浦半島近海からも採集される。(博物館の標本は2005年鎌倉市材木座海岸に打ち上げられたもの)

 硬骨魚類はデボン紀に出現。現在の肺魚目、シーラカンス目などのいwゆる「古代魚」はこの時期に出現し、現在の種に続いている。
 身近な硬骨魚は中生代の白亜紀にニシン目、ウナギ目、ナマズ目など、新生代の第三紀にはコイ目、スズキ目などが出現。
 現在最も繁栄しているのはスズキ目といわれ、世界に約1万2千種が確認されている。

《三浦半島の魚》
 純淡水魚・・・コイ・フナ(類)・モツゴ・アブラハヤ・ドジョウ・ミナミメダカなど。
 通し回遊魚・・・ウナギ・マルタ・サケ・アユ・ヨシノボリ類・ウキゴリ類
 周縁性回遊魚・・・アカエイ・ボラ・スズキ・クロダイ・ギンガメアジ・コトヒキ・マハゼ・クサフグなど。

 最近の平作川~外来生物問題が一般化するとともに、外来生物法の規制が実施されたものの、外来生物の「ゲリラ放流」は減る傾向を見せない。
 そのため、これまで大型河川でしか記録されていない魚類の生息が確認されている。
 ※絶滅した三浦半島の淡水魚・・・ホトケドジョウ/津久井川・平作川・田越川などの上流に生息していた)
 ※絶滅寸前の三浦半島の淡水魚・・・1970年代までは水田や用水路で普通に見られたが農薬散布やヒメダカなど改良品種の放流により野生個体が激減し、現在三浦半島の純粋な個体が生息する場所は一か所のみになってしまった。
 ※外国から持ち込まれた魚…ガー・シルバーアロワナ・ソウギョ・カダヤシ・グッピー・オオクチバスブラックバス)ブルーギルなど。このうち、カダヤシ、オオクチバス、ブルーギルは三浦半島で繁殖が確認されています。
 ※国内の他所から持ち込まれた魚…コイ・フナ・オイカワ・ニゴイ・タモロコ・ナマズなど。
 (平作川での繁殖は認められていない。繁殖は大きな湖・川で散乱し隠れ場所(ヨシ原)などでないと、一度雨が降ったら流されてしまう由)

 現今、平作川にはクロダイやアユの生息が認められるということです。

 萩原先生ありがとうございました。


『三浦半島の自然誌』

2015-12-11 06:50:40 | 博物館講座

 〔柴田先生の授業〕

ー三浦半島の地層ー
 5000万年前以降の岩石と地層は深海で作られました。500万年前くらいにプレートの働きに影響をうけ、50万年前くらいに三浦半島の陸地は浅い海で作られました。
 貝化石とナウマンゾウの時代-宮田層は約30万年前(水深0~200m)
 津久井化石床(貝やクジラの化石・東京ホタテ/1万年前・絶滅した貝です)

 逗子層(600~400万年前)と横須賀層(5万年前/大津砂泥部層)に地層の不整合が見られます。

 横須賀市のナウマンゾウは、2万年前くらいに棲んでいた象で、エドムンド・ナウマンがベース(基地)のある稲岡町で港を造成する際に発見しました。
 1867年11月(大政奉還の頃)長井・荒崎入口あたりでも発見されています。(漂流の拠るものと思われる)

 三浦半島の縄文時代(6000~7000年前)はとても暖かで、吉井貝塚ではイノシシの下あごやニホンジカの角などが発見されています。

 断層とは地層や岩盤の食い違いを言い、左右から押し付けられたものを逆断層、左右から引っ張られたものを正断層と言い、水平にずれ込んだものを横ずれ断層と言います。
 活断層と言うのは数千年の周期で起きる地震の断層であり、三浦半島には5本の活断層があります。その意味で北断層群は近い将来、活動の可能性が高いと予想されています。

 三浦半島と房総半島はほとんど同じ地質、ほぼ同じ地層岩石が観察されていますが、伊豆半島の地質とは全く異なります。伊豆半島は南から移動してきて約500万年前に本州に衝突した域です。利根川からの古東京湾は2万年前くらいにできたと思われます。


 地層はあまりに長い時間を要しているので、明確には把握できませんが、そんな風な変動により今の三浦半島があり、これからの予測不能な変動に、どこまで人間が付いていかれるのか・・・。地球の変遷の一端に、わたし達は住まわせてもらっているに過ぎないのかもしれません。

 柴田先生ありがとうございました。


『三浦半島の自然誌』②-2

2015-11-13 09:56:18 | 博物館講座

〔山本薫先生の授業・続き〕

 二名法   
 ヒト Homosapiens Linnaeus
 現在でもこの命名法が国際命名規約にのっとった正式な種名の表記方法として使われています。ラテン語オンリーから最近では英語でも可となりました。

 たとえば分類してみると、レモン(ミカン科)・イチゴ(バラ科)・モモ(バラ科)パイナップル(パイナップル科)ナス(ナス科)、ユズ(ミカン科)トマト(ナス科)
 亜種とは種の下位に必要に応じて設けられる分類単位です。
  変種(Variety)とは形体的に差異があり地理的にも異なるものです
 品種とは自然状態で区別できるものを言います。

ソメイヨシノ(染井吉野)江戸の染井村(現在の駒込)はヤマザクラとは異なる種の桜であり、エドヒガシとオオシマザクラの雑種といわれています。(エドヒガシではなくコマツオトメとの雑種だとも)
 ソメイヨシノは花弁5枚・葉が出る前に花が咲き満開となる。咲き始めは淡黄色だが満開になると白色になる。開花しても果実はなりにくく、まれに多少有毒なものもあります。

横須賀の学名をもつ植物にヘビノネゴザ (Asplenum Yokosuka Frach et Savat)などがあります。テリハノイバラ (Asarum Savatei Franch)のように人名が入った命名が多かったのですが、最近は地名重視の命名になっています。

三浦半島の成り立ちとしては12・3万年前であり、最終間氷河期でさえ陸地であった。海流は黒潮で、比較低温暖・平均気温は15℃・最低気温0℃、南部では3℃以上、最暖日の8月でも平均26℃です。
 代表的な樹としては照葉樹林・最近まで私たちの生活と最も密接な関係にあった落葉広樹林。
 ハマユウをはじめとして多様な海岸植物があり、豊かで美しい植生が見受けられます。
  ワダン・スナビキソウ・ハイネズ・イズアザミ・ハママツナ・エビアマモ・タチアマモ・ウミヒルモ・イソギク・ハマカンゾウ・ヤブカンゾウなどがあります。

  砂浜・海岸ではツルオオバアサギなど水分が逃げていかない葉の形態。
  葉が厚く地面を這うような根(ハマゴウ・オカヒジキ・ハマボウフウ・ハマニガナ・ハマグルマ・ツルナ・ナガミノオシバ)
 磯の植物・ハマンデシコ・ハマエノコロ・ハマゼリ・テリhノイバラ・タイトウメ・オニヤブソテツ・ヤブソテツなどがあります。ナガバヤブソテツなどはクローンで広く繁殖しています。
 クローンとは無性生殖・地下茎・走出枝・無融合繁殖などを言います。
 彼岸花は根を伸ばして繁殖しますが、中国では雌雄があるということです。

 三浦半島を北限とするものにハマボウなどがあります。
 海流によって散布される植物にハマオモト・ハマユウなどがあります。

 塩沼地の植物にはアマモ・コアマモといった海草があります。半冠水地では根の発達が悪く茎や葉が多肉化しています。トウオオガ・ハマカンゾウ・スカシユリなどがあります。

 海岸沿いにはエノカズラ・クロマツ・マルバシャリンバイ・イソギク・ハナイソギク・ヤマラッキョウ・イズアサツキ・ハマサワヒヨドリ・マルバハマシャジン・ソナレマツムシソウなどがあります。

 三浦半島を特色付ける海岸植物としてウバメガシ(北限)があります。消えた海岸植物にはクロマツなどがあります。分布を広げつつある植物としてはハマアザミ(秋谷)などがあります。

 海草とは一生を海中で過ごし、花を咲かせ身を実らせる植物を言います。タチアマモ・コアマモ・エビアマモ・ウミヒルモなどは果実や種子も水中に分布され、耐塩性があります(茎や葉に気孔がない)

 渓流にはネコノネソウ・ワサビ・ユリワサビ(クレソン)・オランダガラシ(クレソン)
 池や沼の植物としてはミズキンバイ・タコノアシ・ミゾソバ・ハンゲショウ・ミズワラビなどがあります。
 絶滅種としてはイヌクログワイがあります。

 河口の植物としてはハマボウ・アイアシなどがあります。

 帰化植物として繁茂したものにはトキワツユクサなどがあります。

 ヘビノネゴザは鉱山の標識とされていますが、それはカドミウムやアルミニウムなどの金属イオンを吸収するためです。
 西洋タンポポは在来タンポポの花粉を取り込むため急増しました。

 沢山のお話、覚えきれませんが、嬉しく拝聴いたしました。ありがとうございました。