夕焼け金魚 

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言うは勘兵衛 13

2013-07-08 | 創作
 大聖寺城落城後、越前金津付近まで来たとき、利長は急遽反転して、金沢へと引き返している。
反転の理由は、敦賀の大谷吉継が利家の二女の夫、中川光重に大谷軍が海路金沢に攻め込むという偽書を書かして、それに利長が騙されたとも、また越後において一揆が発生したと言う情報が入って、引き返したとも言われている。
しかも浅井畷において小松の丹羽長重と前田軍のしんがり長連龍とが合戦になり、前田側に大きな被害がでた。
 結局ここでの反転により、七尾の前田利政が関ヶ原への出兵に参加せず、前田利長は関ヶ原の合戦に間に合わなかったのであった。しかし、利長は大聖寺の一戦や関ヶ原に駆けつけようとしていたことが評価されたが、七尾の前田利政は城から出なかったと言うことで、関ヶ原以後改易となり、七尾は利長に任されることとなり、利長は百二十万石の大名となった。 
関ヶ原合戦以後、天下は徳川家康のもとに帰趨するかと思われたが、大坂の一大名の豊臣家であったがなお西国に数多くの恩顧大名が存在し、豊臣秀吉が残した膨大な財宝は徳川にとっては脅威であった。
 慶長十九年十月にわかに大坂と江戸で緊張が高まり、加賀でもいつ開戦かという気運が高まってきた。
由比勘兵衛の家でも話題は戦の話になることが多くなった。
「あなた、今度はいつ頃いくさになるのでしょうか」
「近々としかいいようがないな」
「でも、豊臣様、勝てるのでしょうか」
「無理だろうな、よい戦は出来るかもしれんが、勝てないだろうな。大坂方の主な武将はみんな浪人よ。浪人に守るものはない。名を上げたいという欲のみでは勝てまい」
「ご浪人方相手のいくさでも、ご褒美は出るのでしょうね」
「褒美は出るだろう。でなければ誰も戦などしないだろうから」
「なら、お前様、ご褒美で小袖を買っても宜しゅうございますか」
「もう褒美で買い物の算段か、俺がいくさ場にでるのだぞ、心配しないのか」
「お前様が、死ぬなんて考えたこともございませんから」
 富は勘兵衛の顔を見てくすりと笑った。
「儂の顔に何か付いておるか」
「戦が待ち遠しいと書いてありましたゆえ」
勘兵衛は慌てて顔を拭きながら「そんなこと書いてあるものか」と言った。

慶長十一年十月十一日の夜半前田利常が江戸から帰城した。
当主が夜半に帰城するなど、異例のことであり、勘兵衛はこの話を聞くとすぐに出陣の準備にかかった。予想どおり翌日には出陣の触が廻り、勘兵衛は藩主より一日早く先手二番組の岡田助右衛門配下の鑓衆として出陣した。
戦場までは、鎧兜は着用せず組頭クラスが旗、陣羽織を目印とし行進した。馬は乗用と言うより槍・甲冑等を運ぶ方が主な目的であった。勘兵衛の馬は小さいが、力は強い。
前田家では知らない者はいなかったが、よそに行くと一際小さい馬が目立つことになった。
「可愛そうにこんな子馬連れてきて」とか口の悪い者が声高に騒ぐのだが、大柄な勘兵衛の姿を見るとこそこそといなくなった。
前田家が持ち場の田辺に到着したのは、十一月九日頃であった。
大阪冬の陣である。

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