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夕焼け金魚 

不思議な話
小説もどきや日々の出来事
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最近は俳句ばかりに

清洲会議について

2012-12-25 | 日記
清洲会議は信長亡き後の天下の後継者を選ぶ重臣会議と言われています。 信長後の織田家頭領を選ぶというか、次男織田 信雄と三男神戸 信孝の争いを止める織田家親族会議と見るべきだと思います。 参加者は信長の四男秀勝を養子としている秀吉、信長の養女(信長の兄・織田信広の娘)を妻にしている丹羽長重の父の丹羽長秀、信長の乳兄弟池田恒興(乳兄弟は実の兄弟と考えられた)と柴田勝家の四人が参加者です。 この時織田家 . . . 本文を読む

謀殺20

2012-12-23 | 創作
蘭丸が引き戸を閉めようとしたとき、微かに火縄の臭いがした。信長は、植え込みの中から自分を狙っている鉄砲が見えたような気がした。蘭丸が、上様危ないと言おうとしたとき、境内の植え込みの中から、ドオーっと鉄砲の音がした。引き戸から一斉に木屑が飛び散る。厠口の壁にボコ、ボコ、ボコと大きな穴が開き土煙が巻き起こった。 信長がいた後ろの壁には、一面の血飛沫が上がって、ベットリとついていた。 「上様」 蘭丸が慌 . . . 本文を読む

謀殺19

2012-12-22 | 創作
午前三時頃。本能寺の境内で、弥八郎は考えていた。 「今なら、中には四十人ほどしかいない。我等武田者と雑賀の鉄砲放ちを合わせると二十人になる。一気に襲えば、信長を殺せるやも知れぬ」 信長暗殺。刺客を生業とする者にとって、天下に名を轟かせられる。 「ダメだ。この程度の人数では、本堂の部屋を一つ一つ探している内に、夜明けとなってしまう。何とか、信長の方から我等の前に現れるようにして、そこを鉄砲で撃つそれ . . . 本文を読む

謀殺18

2012-12-20 | 創作
                                        京都妙顕寺 まだ人気のない京都の町を信忠を乗せた駕籠が、三条坊門小池通りから妙顕寺へと向かっていた。 妙顕寺への木戸を潜ったところで、籐右衛門の回りにいた武田素波がバタバタと倒れた。背中や胸に四・五本の矢が突き刺さっていた。前方の通りに五人ほどの人影が見える。駕籠の回りに伏せた、籐右衛門が刀を抜こうとした。 「籐右衛 . . . 本文を読む

謀殺17

2012-12-19 | 創作
六月二日午前零時。時が動き始めた。歴史を動かす一団の動きであった。 沓掛の闇の中から沸き立つように動き出した集団は、一個の意思を持った蛇のように、黙々と押し黙って北へと向かった。 「北じゃ、北に向かうぞ」 監視していた武田素波の血が沸き立ち、鳥肌が立ってきた。 「狼煙を」 「しかし、狼煙では明智にも見つかるぞ」 「弥八郎殿は、狼煙でと仰った。見つかることは覚悟の上」 沓掛の山中から一筋の赤い光が北 . . . 本文を読む

謀殺16

2012-12-18 | 創作
                               老いの坂(旧道) 六月一日の夕刻、光秀は家中のもの頭を集めて「中国出陣の軍容を上様にお見せする。早々に人数を率いて上洛する」と言い渡した。光秀は直ちに軍団の集合地点、亀山から東二キロ半余の野条に向かった。集まってくる軍団を光秀自身が、馬を乗り回して三段に編成している。午後八時過ぎ、編成を終了した光秀は明智秀満、明智次右衛門、藤田伝五、 . . . 本文を読む

謀殺15

2012-12-17 | 創作
五月二十八日。織田信長は近江日野城主蒲生賢秀を安土の留守居役として、森蘭丸以下の小姓衆百名のみを引き連れて、京都四条西洞院の本能寺に入った。これより八日前の二十一日、嫡男織田信忠はすでに馬回衆四千余名と共に室町薬師寺町の妙覚寺に入った。信忠も主力を岐阜・尾張にまだ残したままの上洛であった。いずれも、弥八郎が流した中納言謀反の噂の真偽を確かめられずに、疑心暗鬼を伴った上洛であった。 五月晦日、北陸よ . . . 本文を読む

謀殺14

2012-12-14 | 創作
                     連歌会が催された威徳院付近。現在、社務所がある。 五月二十五日。 越中魚津陣にて柴田勝家は岐阜からの使者、猪子兵四郎の家臣と会っていた。岐阜からの使者は六月三日には京にて西国への出陣式がある故、それまでに魚津城を落として、出陣式に参列するようにというものであった。これは、弥八郎からの偽りの情報を信じた兵四郎からの、独断の使者であった。しかし、柴田には使 . . . 本文を読む

謀殺13

2012-12-13 | 創作
                                 上杉景勝 五月中旬。柴田陣営から越後の春日山に密かに使者が立った。魚津城は海と山に囲まれた堅城ではあったが、五月六日には二の丸を落としてもはや時間の問題であった。ここで、柴田陣営は攻撃の主力を属城であった松倉城に矛先を向けている。本丸だけの裸城をそのままにしての、方向転換であった。 春日山では、当初柴田側の申し入れを罠として取り合 . . . 本文を読む

謀殺12

2012-12-12 | 創作
                                 丹羽長秀 天正十年五月七日、織田信長は三男織田信孝を総大将とし、丹羽長秀を副将とする四国平定軍を任命した。 過去の例では、四国長宗我部との取り次ぎであった者が 副将となることが多く、明智がこの役に当たるはずであった。しかも、光秀の領国であった丹波の国侍にも武器弾薬の調達を直接命じられているのである。これは、光秀の権威を著しく失墜さ . . . 本文を読む