今回紹介する句は、深見けん二氏の句集「菫濃く」から
人生の輝いてゐる夏帽子 です。
小川軽舟氏は「人生が輝く」という気取った慣用表現を平然として使っていることに驚くという。慣用表現は通俗的で俳句で使えば陳腐になりかねない。
その慣用表現を一瞬で俳句にしたのが、「夏帽子」だという。
俳句は愛唱されてこそ名句になる。
誰にでも受け入れられる親しさが必要である。
ふとした時に口ずさまれる親しさが必要だという。
この唄には誰もがそれぞれの人生の輝く場面で、思い描いて味わうことができるという。
しかし、この句は誰が詠んでも良いと言うものではないと言う。
作者が91歳で編まれた句集にあるという事と作者の人格の理解がこの句の鑑賞には欠かすことができないという。
人生の晩年のあり方への憧れがこの句の詩情を深めている。
作者を知らずして読むこの句の味わいと、作者を知って読むこの句の味わい、その二段構えあって、心にしみる句になったのだと評しています。
正直、普通の読者は作者の人格や人生など知ること無く、句を読むと思う。
金魚も人生の輝きの時に、ふと口ずさまれる平易な表現が名句の条件だと思うのです。
例えば秋、柿を食べるときに「柿食えば鐘が鳴るなり」の句を思い浮かべながら、鐘が鳴らないなぁとか思いませんか。
金魚も人生の輝くときに口ずさむことのできる句を詠みたいです。
そこで一句
人生は今日が最高虹の橋 夕金魚
てな調子で頑張りましょうご同輩。