「おとうさん!誕生日で70才だもの古希祝いしょう!温泉に行こうか?どこ行きたい?湯の浜?仙台?東京?」
「東京に行きてのー!」 「じゃぁー競馬する?」
ダンナの顔は下がり目が、なお下がり、締まりのない顔になった。
それが5日の昼の話。すぐ「びゅー」に行って、切符の手配。6日・7日のスケジュールをたてた。
私が見たかった「シンデレラ」のバレーのチケットもとり、6日は湯河原温泉の「東横ホテル」に予約をとりました。
フェイスブックで身近になった、「野尻信行」さんに電話をすると、「チェックインまで、オレが湯河原温泉を案内するよ!」
なんてびっくり、なんてありがたいんでしょう。
「東横ホテル」の板長で忙しいのに、駅まで迎えに来ていて、テレビでも放映していた、湯河原の梅林公園に案内してくれました。
山全体が梅、梅、それを遠くから見に来る団体のバス、車、人人、
なんて不思議なんでしょう。こんなに「野尻」さんと身近になれるなんて、
お客様の料理を出してから、私たちのお部屋に活き造りをもって来てくれたではありませんか。
なんて幸せなんでしょう。こんなに息子みたいに慕ってくれるなんて、
話せば24年も前の話です。鶴岡駅前で「大宝軒」のラーメン屋さんの息子で、家族で千山閣に食べに来てくれた時、その時が19才でした。
私の旦那から「板前になれ!」と言われたそうです。
「父ちゃんが15年も闘病生活をやってて、3回も入退院をやった。お金がなくてどん底だった。
そのたびにオレはホテルで板前をがんばって、お金を送らなきゃだめだった。夢中だったよ!」
「父ちゃんが死んでからも、母ちゃんは一人でラーメンを打って、大宝軒をやっていたんだ。去年大宝軒は47年目でやめたんだ!」
なんて涙の出るお話なんでしょう。
去年、湯河原から帰って千山閣にきてくれました。
「母ちゃん!ごくろうさま!苦労してオレたちを育ててくれてありがとう!」と、
子供たち、孫たちから言われて、母ちゃんは涙ぐんでいました。母ちゃんがわたしの同級生で「富子」さんです。
すばらしい光景を見せてくれました。
本当にがんばりましたね。子供たちも立派に育ちましたね。
逃げ出したい気持ちをおさえながら、自分との闘いに勝って、乗り超えてきたんですね。
それを見ていた息子さんたちは、立派に育ったんですね。
野尻さん!あなたとお部屋で夜遅くまで一緒に飲めて、幸せでした。
フェイスブックをやっていたから、24年ぶりに巡り合うことが出来たんですね。
貧困な家庭に生まれ、いつかはきっと人並の生活がしたいと思った私たちは、
こんなにすばらしい出会いがあり、すばらしい古希を祝う旅ができたことに、私たちは、心から幸せを感じました。
これからも親子と思ってください。本当にありがとうございました。