「中道」を名乗る人物が、われわれのロシアの論評に対して悪意ある攻撃を行っています。
「ユコス問題の強引な処理が行われた時、米国ライス大統領補佐官(当時)が、プーチンのやり方を次のように言っている。
レーニンの古い格言である『政治闘争において最終目標は政敵の主張の論破ではなく、地上からの抹殺だ』と。
つまり先祖返りで、レーニンの復活でもある。」これが「中道」氏の見解です。
最初に「ユコス問題」について、ユコスは脱税と公有財産の横領と窃盗の罪によって検察に告発されました。この件について、ホドロコフスキーは無罪であり、えん罪であると言うのでしょうか?
彼は確かに、その他のロシアのブルジョアがそうであるように、税金は払っていなかったし、彼が取得した国有財産も合法的に取得されたものではない。彼はソ連時代の国有財産をソ連崩壊のどさくさにまぎれて、盗んで私物化し、私物化した企業で得た利潤から払わなければならない税金を払わなかったのです。
現在のロシアの私企業の多くがこのようなエリツィン時代の無法状態の結果として生まれています。すなわちロシアの有力企業は何らかのかたちで犯罪を行った結果としてそうなっている、または私企業として存在しているのです。
だからプーチンが「法と秩序」を掲げて登場し、過去にさかのぼって犯罪を摘発する宣言したということは、エリツィン時代の権力者を犯罪者として摘発するということであり、結果として生まれるものはプーチンの独裁体制だということです。
ソ連時代の国有財産をソ連崩壊のどさくさにまぎれて、違法な行為によって私物化して私腹を肥やした人々とエリツィン時代の有力政治家はイコールですので結果としてそうならざるをえないでしょう。
これを「強引な手法」というのはまったくわからない。アメリカ合衆国はブルジョア民主主義さえ信奉していれば、脱税をしようが、窃盗を行おうが、競争相手をマフィア(元KGB)を使って暗殺しようが、何をやってもかまわないというわけですか?それこそ「強引な手法」というものでしょう。
そして、「レーニン」ですが、「中道」氏がいっていることは何も分かりません。ロシア(ソ連邦)はすでに何十年も前から、マルクスとも、レーニンとも無縁な社会であり、政治体制でした。だからこそソ連邦は崩壊したのではないですか?
だからこそ、ロシアにおいて労働者の生活状態はひどいままですし、政治的には無権利状態が続いているのではないですか?
アメリカ合衆国が本当にロシアに民主主義を根付かせたかったのであれば、ソ連邦の崩壊時にロシアの国民、とりわけ大多数を占める労働者とこそ手を組むべきであったでしょうが、アメリカ合衆国が手を組んだのはどさくさにまぎれて権力と財力をかすめ取ろうとするドロボーたちでした。
したがって結果は推して知るべし、というものでしょう。ドロボーたちの支配に終止符を打ったのは独裁者プーチンであり、プーチンの支配はロシアにおけるブルジョア独裁の結果でありその完成にすぎません。プーチンがエネルギー部門を国有化したのは自分たち(新興財閥や治安官僚、経済政策グループ)が巨万の富と絶大な権力を手にするためであり、それ以外ではありません。新興財閥や治安官僚、経済政策グループという新しいロシアの支配層はマルクスとか、レーニンとか、社会主義とかいう概念とはまったく無縁な連中ばかりです。
アメリカ合衆国は手を組むべき相手を間違えたにすぎません。
レーニンの古い格言である『政治闘争において最終目標は政敵の主張の論破ではなく、地上からの抹殺だ』うんぬんというのもよくわかりません。
レーニンは政治闘争は「階級闘争の最高の形態」ということはいったと思いますが、そういう点からするなら、政党間の議論の目的は「相手を論破」することでないことぐらいは自明ではないでしょうか?
この政治闘争のもっとも秩序だった形態である選挙闘争を考えてみれば分かるのですが、いろいろな選挙でカンパニアを行う(自分たちの主張を掲げて他陣営と闘うこと)の目的は、「相手を論破」することですか?違うでしょう。いろいろな党派が自分たちの主張を掲げて他党派と闘うのは、有権者に自分たちの見解を支持してもらって選挙に当選することであり、有権者の支持獲得競争に勝利することが目的なはずです。
この支持獲得競争で勝利するためには、「相手を論破」するのは一つの有効な手段でしょうが、それは目的ではなく、あくまでも手段にすぎません。
あの賢明なライス氏が民主主義のイロハさえ分からないほどにもうろくしたとは思えないのですが、ライス氏はここからいきなり、政治闘争の目的は「政敵の地上からの抹殺」を導き出すのだそうです。
「政敵を地上から抹殺する」ことにより、政治闘争に勝利できるのであれば、サン・ジュストやロベスピエールが政治闘争に敗北して、自らがギロチン台に送られるというようなことがなぜ起こるのでしょうか?
またスターリンが「血の粛清」を行って、「社会主義の敵」を次から次へと「地上から抹殺」したにもかかわらず、ソビエト連邦が30年代にはすでに国家資本主義という一つの特殊な資本主義体制になっていき、社会主義とは名ばかりで、実際には労働者や農民に対する搾取や収奪が行われ、労働者・農民の無権利と迫害が日常化するようになったのはなぜでしょうか?
「政敵の地上からの抹殺」が政治闘争とはまったく無縁な言葉であることはレーニンが百も承知のことでした。だからこそ彼はナロードニキの闘争、すなわち「政敵の地上からの抹殺」闘争に反対したのです。
当時のナロードニキは「政敵の地上からの抹殺」を主な闘争手段として掲げ、皇帝や政府の高官たちを暗殺することが政治闘争に勝利することだと主張し、実際に暗殺された皇帝もいました。
レーニンは皇帝を暗殺しても何も変わらないとナロードニキを批判しましたが、それはその通りでしょう。
「ユコス問題の強引な処理が行われた時、米国ライス大統領補佐官(当時)が、プーチンのやり方を次のように言っている。
レーニンの古い格言である『政治闘争において最終目標は政敵の主張の論破ではなく、地上からの抹殺だ』と。
つまり先祖返りで、レーニンの復活でもある。」これが「中道」氏の見解です。
最初に「ユコス問題」について、ユコスは脱税と公有財産の横領と窃盗の罪によって検察に告発されました。この件について、ホドロコフスキーは無罪であり、えん罪であると言うのでしょうか?
彼は確かに、その他のロシアのブルジョアがそうであるように、税金は払っていなかったし、彼が取得した国有財産も合法的に取得されたものではない。彼はソ連時代の国有財産をソ連崩壊のどさくさにまぎれて、盗んで私物化し、私物化した企業で得た利潤から払わなければならない税金を払わなかったのです。
現在のロシアの私企業の多くがこのようなエリツィン時代の無法状態の結果として生まれています。すなわちロシアの有力企業は何らかのかたちで犯罪を行った結果としてそうなっている、または私企業として存在しているのです。
だからプーチンが「法と秩序」を掲げて登場し、過去にさかのぼって犯罪を摘発する宣言したということは、エリツィン時代の権力者を犯罪者として摘発するということであり、結果として生まれるものはプーチンの独裁体制だということです。
ソ連時代の国有財産をソ連崩壊のどさくさにまぎれて、違法な行為によって私物化して私腹を肥やした人々とエリツィン時代の有力政治家はイコールですので結果としてそうならざるをえないでしょう。
これを「強引な手法」というのはまったくわからない。アメリカ合衆国はブルジョア民主主義さえ信奉していれば、脱税をしようが、窃盗を行おうが、競争相手をマフィア(元KGB)を使って暗殺しようが、何をやってもかまわないというわけですか?それこそ「強引な手法」というものでしょう。
そして、「レーニン」ですが、「中道」氏がいっていることは何も分かりません。ロシア(ソ連邦)はすでに何十年も前から、マルクスとも、レーニンとも無縁な社会であり、政治体制でした。だからこそソ連邦は崩壊したのではないですか?
だからこそ、ロシアにおいて労働者の生活状態はひどいままですし、政治的には無権利状態が続いているのではないですか?
アメリカ合衆国が本当にロシアに民主主義を根付かせたかったのであれば、ソ連邦の崩壊時にロシアの国民、とりわけ大多数を占める労働者とこそ手を組むべきであったでしょうが、アメリカ合衆国が手を組んだのはどさくさにまぎれて権力と財力をかすめ取ろうとするドロボーたちでした。
したがって結果は推して知るべし、というものでしょう。ドロボーたちの支配に終止符を打ったのは独裁者プーチンであり、プーチンの支配はロシアにおけるブルジョア独裁の結果でありその完成にすぎません。プーチンがエネルギー部門を国有化したのは自分たち(新興財閥や治安官僚、経済政策グループ)が巨万の富と絶大な権力を手にするためであり、それ以外ではありません。新興財閥や治安官僚、経済政策グループという新しいロシアの支配層はマルクスとか、レーニンとか、社会主義とかいう概念とはまったく無縁な連中ばかりです。
アメリカ合衆国は手を組むべき相手を間違えたにすぎません。
レーニンの古い格言である『政治闘争において最終目標は政敵の主張の論破ではなく、地上からの抹殺だ』うんぬんというのもよくわかりません。
レーニンは政治闘争は「階級闘争の最高の形態」ということはいったと思いますが、そういう点からするなら、政党間の議論の目的は「相手を論破」することでないことぐらいは自明ではないでしょうか?
この政治闘争のもっとも秩序だった形態である選挙闘争を考えてみれば分かるのですが、いろいろな選挙でカンパニアを行う(自分たちの主張を掲げて他陣営と闘うこと)の目的は、「相手を論破」することですか?違うでしょう。いろいろな党派が自分たちの主張を掲げて他党派と闘うのは、有権者に自分たちの見解を支持してもらって選挙に当選することであり、有権者の支持獲得競争に勝利することが目的なはずです。
この支持獲得競争で勝利するためには、「相手を論破」するのは一つの有効な手段でしょうが、それは目的ではなく、あくまでも手段にすぎません。
あの賢明なライス氏が民主主義のイロハさえ分からないほどにもうろくしたとは思えないのですが、ライス氏はここからいきなり、政治闘争の目的は「政敵の地上からの抹殺」を導き出すのだそうです。
「政敵を地上から抹殺する」ことにより、政治闘争に勝利できるのであれば、サン・ジュストやロベスピエールが政治闘争に敗北して、自らがギロチン台に送られるというようなことがなぜ起こるのでしょうか?
またスターリンが「血の粛清」を行って、「社会主義の敵」を次から次へと「地上から抹殺」したにもかかわらず、ソビエト連邦が30年代にはすでに国家資本主義という一つの特殊な資本主義体制になっていき、社会主義とは名ばかりで、実際には労働者や農民に対する搾取や収奪が行われ、労働者・農民の無権利と迫害が日常化するようになったのはなぜでしょうか?
「政敵の地上からの抹殺」が政治闘争とはまったく無縁な言葉であることはレーニンが百も承知のことでした。だからこそ彼はナロードニキの闘争、すなわち「政敵の地上からの抹殺」闘争に反対したのです。
当時のナロードニキは「政敵の地上からの抹殺」を主な闘争手段として掲げ、皇帝や政府の高官たちを暗殺することが政治闘争に勝利することだと主張し、実際に暗殺された皇帝もいました。
レーニンは皇帝を暗殺しても何も変わらないとナロードニキを批判しましたが、それはその通りでしょう。
最近のネット右翼(プロ奴隷)の中には、自らを「中道左派」と称して左派の人に論争を挑む者がおります。が所詮勉強不足なので話がかみ合わないことが多いと思います。適当にあしらっておくことを推奨します。
私はレーニンの素晴らしさを紹介しただけです。
世界で、レーニンの決断力・実行力に信服している人は多い。