先日、「世にも不思議なレーニン」(その3)を書いたが、急いでいたために、最後の部分には触れなかった。
しかし、どうも我々が省略した部分が問題となっているようなので、「追記」として、書くことにした。
「量は少なくても、質のよいものを」の最後の言葉は、いわゆる『労農同盟』のことであるが、どういうわけかこの言葉は現在でも、多くの左翼活動家の心をとらえているようだ。
「悔い改めたレーニン」は『われわれは労農監督部をどう改組すべきか』の最後でも、
「わがソビエト共和国では、社会制度は労働者と農民という二つの階級の協力に基礎をおいており、いまでは『ネップマン』すなわちブルジョアジーも、一定の条件でこの協力にくわわることをゆるされている。もしこの階級のあいだに重大な階級的な不一致が生ずるならば、分裂は避けられないであろうが、わが社会制度には、必ずしもこのような分裂の基礎はない。わが中央委員会と中央統制委員会の主要な任務は、わが党全体の任務と同様に、分裂の源となる恐れのある事情を注意ぶかく監視し、そういう事情を未然にふせぐことである。なぜなら、結局、わが国の運命は、農民大衆が労働者階級とともに進み、労働者階級との同盟を忠実に維持するか、それとも『ネップマン』すなわち新ブルジョアジーが農民大衆と労働者とを引き離し、農民大衆と労働者を分裂させようとするのを許すか、どうかにかかっている。」といっている。
まさに「悔い改めたレーニン」のこの言葉こそ、すべてのスターリン主義者の金科玉条なのだが、言っていることは全然正しくない。
たしかにすべての歴史は階級闘争の歴史であり、階級と階級が相闘う歴史であるのだが、すべての階級闘争は政治闘争でもあるのである。
つまり、階級闘争は「政治」という媒介項を経て行われるのであるが、いわゆる政治家なり、革命家なり、活動家にとってこのことは自明なことである。
階級闘争のなかで生きようとするわれわれは、好むと好まざるとにかかわらず、政治、すなわち、政党なり、党派なり、分派なり、政治的な潮流なり、政治的傾向なりの、さまざまな異なった政治的な関係の中の身を置かざるをえない。したがって、労働者が、農民が、などという抽象的なかたちで階級関係を語ることはしないし、できない。
むしろ、こういったぞんざいな言い方自体が、「悔い改めたレーニン」の出自、つまり、いわゆる政治家なり、革命家なり、活動家なりといった政治的な経験なしに、学者やインテリの腐った気分をもったままいきなり政権党の指導者になった人物であることを物語っている。(したがって「悔い改めたレーニン」が「労働者」というのは「ソ連共産党」のことであり、そのように読み替えなければ論文の意味が通らない。)
労働者と農民の協力関係もしくは同盟関係というのは、とりもなおさず、労働者の政治団体と農民の政治団体の協力、同盟関係でなければならないのだが、そういう関係は革命当初には確かに存在した。
ボリシェヴィキはソビエト大会で多数派となるために、農民に基礎を置くエス・エルの農業綱領をそのまま丸呑みするとともに、人民委員会(政府)に左派エス・エルを閣僚として入れ、連合政府として出発した。
しかし、この『労農同盟』は左派エス・エルがブレスト・リトフスク条約に反対して閣外に去り、全国的な規模で武装反乱を起こすにあたって解消されている。
こうしてロシアは内戦の時代へと入っていくのだが、この時代は、どういうわけか、「戦時共産主義」の時代とも呼ばれており、食料の配給制と農民からの穀物の強制徴収の時代でもあった。
しかし、農民に銃剣を突きつけて穀物を強制的に取り上げるのは文字通り略奪なのであり、労働者にほんのわずかばかりの食料しか与えず長時間働かせるのは強搾取であろう(配給が足らず餓死したのは労働者ばかりではなく農民もまたそうであり、その数はしだいに増加していったは)。
どうしてこういうことになったのかという理由はきわめて簡単であった。トロツキーが100万人の赤軍の創設構想を提唱し、レーニンがそれを承認し、ロシア政府が実際に大量の赤軍兵士を抱えるなかでロシア政府は大量の穀物の現物が必要とされたのである。
この時、レーニンは「ロシアには9000万プードの穀物が必要だ、それをどうやって手に入れるか、すべての政治の議論はそこから出発するし、出発しなければならない。こういう前提に立たない人とは議論できない。」と語ったが、「戦時共産主義」の時代とも呼ばれている食料の配給制と農民からの穀物の強制徴収の時代は、要するに、内戦によってボリシェヴィキが経済的に追い込まれてしまった結果でしかない。
それでもロシアの労働者と農民はこの「戦時共産主義の時代」を耐えた。それは白軍が勝利すればすべてを失うことが分かっていたからだ。(実際、白軍は労働者と農民を見境なく虐殺していた。)
しかし、内戦が終結するとともに、ロシア各地で、労働者のストライキと農民の武装反乱があいついで起こるようになり、ついにクロンシュタットの反乱で労働者と農民の「戦時共産主義体制」への反逆は頂点に達する。
それで新経済政策(ネップ)への移行となるのだが、それは農民への配慮であって、協力関係もしくは同盟関係とは異なるものである。
「悔い改めたレーニン」のいう同盟関係というのは、むしろ、現在の「日米同盟」に近いものであって、アメリカが同盟関係をたてにして、日本に在日米軍の“思いやり予算”(駐留費の肩代わり)を要求したり、イラクやソマリア沖への“出兵”を要求して、アメリカの戦争の“お手伝い”をさせているようなものであろう。もちろん、日米同盟の片務的な性格は日本政府と大資本が望んでいるものであり、日本はアメリカ市場に参入させてもらうという経済的な見返りがあるからこそそうしているだけなのだが、「悔い改めたレーニン」のいう同盟関係にはそのような見返りはない。
「悔い改めたレーニン」によれば、『労農同盟』とは次のようなものでなければならないそうである。
「われわれは、労働者が農民に対する指導と、自分に対する農民の信頼を維持することのできる国家われわれの社会関係のうちから、最大の節約によって、むだというむだはなにによらず、跡形もなく根絶することのできる国家を建設するようにつとめなければならない。
われわれは国家を最大限節約しなければならない。われわれは、帝政ロシアから、その官僚主義的=資本主義的機構からひきつづいてたくさん残っているむだなものの痕跡をすべて国家機構から根絶しなければならない。
これは農民的偏狭さの支配ということになりはしないだろうか?
もしわれわれが、農民に対する指導を労働者階級に保障してやるならば、われわれは、わが国内の経済をこのうえなく節約するという代価を払って、われわれの機械制大工業を発展させるため、電化、水圧利用泥炭採取を発展させるため、またヴォルホフ河水力発電所建設工事その他をやりとげるために、たとえどんなにわずかであろうともあらゆる貯蓄をするようにつとめる可能性をうるであろう。
ここに、そしてここにだけ、われわれの頼みの綱があるであろう。そのときにはじめて、われわれはたとえで言えば、一つの馬から他の馬に乗りかえることができるであろう。すなわち、農民的・百姓的な、零落した馬から、破産した農民国を目当とした節約の馬から、プロレタリアートが自分のために探し求め、探し求めざるをえない馬、すなわち、大工業、電化、ヴォルホフ発電所建設、その他等々の馬に乗り換えることができるであろう。」
ムダを排除して安上がりの国家を建設しますから、われわれの指導を受けてください、われわれの馬になってくださいという「悔い改めたレーニン」は、ソ連共産党なんかにいないで、安上がりの政府をつくりますから消費税を上げさせてくださいという日本の自民党か民主党にでも入ればいいのだろうが、ここでは「悔い改めたレーニン」のいう『労農同盟』の意味が率直に語られている。
つまり、「悔い改めたレーニン」によれば、『労農同盟』というのは、第一に労働者が農民を指導すること(農民が労働者の従属関係にあること)を認めることであり、第二に農民が労働者の“馬”になることを認めることである。
農民が労働者の“馬”になるというのは、農民を収奪してソ連の工業化の原資を獲得することを承認するということであり、“乗り換えられた馬”というのは機械化された工場で働く労働者が国家によって搾取されるということであり、“馬に乗る人”というのは共産党員であるとともに、国家官僚であるノーメンクラトゥーラ(ソ連の支配階級)のことである。
もちろんこの「悔い改めたレーニン」の主張はその後のソ連の基本方針となっていくのだが、1920年代後半には頓挫することになる。
もちろんその理由は、いうまでもないことだが、労働者と農民は共産党の馬などではないし、従属化に置かれなければならない理由もないからである。
したがって、ウソとデマで塗り固めた「悔い改めたレーニン」の政策は、農民の消極的な抵抗、すなわち、穀物を酒にしてより多くの儲けを獲得しようとする風潮となり、国家は予定の穀物を調達できなくなりつつあった。
そこで、スターリンの強行的な農業集団化へと移行していくのだが、農民を“馬”にして工業化の原資をえようとする「悔い改めたレーニン」の基本的な政策は受け継がれている。
しかし、どうも我々が省略した部分が問題となっているようなので、「追記」として、書くことにした。
「量は少なくても、質のよいものを」の最後の言葉は、いわゆる『労農同盟』のことであるが、どういうわけかこの言葉は現在でも、多くの左翼活動家の心をとらえているようだ。
「悔い改めたレーニン」は『われわれは労農監督部をどう改組すべきか』の最後でも、
「わがソビエト共和国では、社会制度は労働者と農民という二つの階級の協力に基礎をおいており、いまでは『ネップマン』すなわちブルジョアジーも、一定の条件でこの協力にくわわることをゆるされている。もしこの階級のあいだに重大な階級的な不一致が生ずるならば、分裂は避けられないであろうが、わが社会制度には、必ずしもこのような分裂の基礎はない。わが中央委員会と中央統制委員会の主要な任務は、わが党全体の任務と同様に、分裂の源となる恐れのある事情を注意ぶかく監視し、そういう事情を未然にふせぐことである。なぜなら、結局、わが国の運命は、農民大衆が労働者階級とともに進み、労働者階級との同盟を忠実に維持するか、それとも『ネップマン』すなわち新ブルジョアジーが農民大衆と労働者とを引き離し、農民大衆と労働者を分裂させようとするのを許すか、どうかにかかっている。」といっている。
まさに「悔い改めたレーニン」のこの言葉こそ、すべてのスターリン主義者の金科玉条なのだが、言っていることは全然正しくない。
たしかにすべての歴史は階級闘争の歴史であり、階級と階級が相闘う歴史であるのだが、すべての階級闘争は政治闘争でもあるのである。
つまり、階級闘争は「政治」という媒介項を経て行われるのであるが、いわゆる政治家なり、革命家なり、活動家にとってこのことは自明なことである。
階級闘争のなかで生きようとするわれわれは、好むと好まざるとにかかわらず、政治、すなわち、政党なり、党派なり、分派なり、政治的な潮流なり、政治的傾向なりの、さまざまな異なった政治的な関係の中の身を置かざるをえない。したがって、労働者が、農民が、などという抽象的なかたちで階級関係を語ることはしないし、できない。
むしろ、こういったぞんざいな言い方自体が、「悔い改めたレーニン」の出自、つまり、いわゆる政治家なり、革命家なり、活動家なりといった政治的な経験なしに、学者やインテリの腐った気分をもったままいきなり政権党の指導者になった人物であることを物語っている。(したがって「悔い改めたレーニン」が「労働者」というのは「ソ連共産党」のことであり、そのように読み替えなければ論文の意味が通らない。)
労働者と農民の協力関係もしくは同盟関係というのは、とりもなおさず、労働者の政治団体と農民の政治団体の協力、同盟関係でなければならないのだが、そういう関係は革命当初には確かに存在した。
ボリシェヴィキはソビエト大会で多数派となるために、農民に基礎を置くエス・エルの農業綱領をそのまま丸呑みするとともに、人民委員会(政府)に左派エス・エルを閣僚として入れ、連合政府として出発した。
しかし、この『労農同盟』は左派エス・エルがブレスト・リトフスク条約に反対して閣外に去り、全国的な規模で武装反乱を起こすにあたって解消されている。
こうしてロシアは内戦の時代へと入っていくのだが、この時代は、どういうわけか、「戦時共産主義」の時代とも呼ばれており、食料の配給制と農民からの穀物の強制徴収の時代でもあった。
しかし、農民に銃剣を突きつけて穀物を強制的に取り上げるのは文字通り略奪なのであり、労働者にほんのわずかばかりの食料しか与えず長時間働かせるのは強搾取であろう(配給が足らず餓死したのは労働者ばかりではなく農民もまたそうであり、その数はしだいに増加していったは)。
どうしてこういうことになったのかという理由はきわめて簡単であった。トロツキーが100万人の赤軍の創設構想を提唱し、レーニンがそれを承認し、ロシア政府が実際に大量の赤軍兵士を抱えるなかでロシア政府は大量の穀物の現物が必要とされたのである。
この時、レーニンは「ロシアには9000万プードの穀物が必要だ、それをどうやって手に入れるか、すべての政治の議論はそこから出発するし、出発しなければならない。こういう前提に立たない人とは議論できない。」と語ったが、「戦時共産主義」の時代とも呼ばれている食料の配給制と農民からの穀物の強制徴収の時代は、要するに、内戦によってボリシェヴィキが経済的に追い込まれてしまった結果でしかない。
それでもロシアの労働者と農民はこの「戦時共産主義の時代」を耐えた。それは白軍が勝利すればすべてを失うことが分かっていたからだ。(実際、白軍は労働者と農民を見境なく虐殺していた。)
しかし、内戦が終結するとともに、ロシア各地で、労働者のストライキと農民の武装反乱があいついで起こるようになり、ついにクロンシュタットの反乱で労働者と農民の「戦時共産主義体制」への反逆は頂点に達する。
それで新経済政策(ネップ)への移行となるのだが、それは農民への配慮であって、協力関係もしくは同盟関係とは異なるものである。
「悔い改めたレーニン」のいう同盟関係というのは、むしろ、現在の「日米同盟」に近いものであって、アメリカが同盟関係をたてにして、日本に在日米軍の“思いやり予算”(駐留費の肩代わり)を要求したり、イラクやソマリア沖への“出兵”を要求して、アメリカの戦争の“お手伝い”をさせているようなものであろう。もちろん、日米同盟の片務的な性格は日本政府と大資本が望んでいるものであり、日本はアメリカ市場に参入させてもらうという経済的な見返りがあるからこそそうしているだけなのだが、「悔い改めたレーニン」のいう同盟関係にはそのような見返りはない。
「悔い改めたレーニン」によれば、『労農同盟』とは次のようなものでなければならないそうである。
「われわれは、労働者が農民に対する指導と、自分に対する農民の信頼を維持することのできる国家われわれの社会関係のうちから、最大の節約によって、むだというむだはなにによらず、跡形もなく根絶することのできる国家を建設するようにつとめなければならない。
われわれは国家を最大限節約しなければならない。われわれは、帝政ロシアから、その官僚主義的=資本主義的機構からひきつづいてたくさん残っているむだなものの痕跡をすべて国家機構から根絶しなければならない。
これは農民的偏狭さの支配ということになりはしないだろうか?
もしわれわれが、農民に対する指導を労働者階級に保障してやるならば、われわれは、わが国内の経済をこのうえなく節約するという代価を払って、われわれの機械制大工業を発展させるため、電化、水圧利用泥炭採取を発展させるため、またヴォルホフ河水力発電所建設工事その他をやりとげるために、たとえどんなにわずかであろうともあらゆる貯蓄をするようにつとめる可能性をうるであろう。
ここに、そしてここにだけ、われわれの頼みの綱があるであろう。そのときにはじめて、われわれはたとえで言えば、一つの馬から他の馬に乗りかえることができるであろう。すなわち、農民的・百姓的な、零落した馬から、破産した農民国を目当とした節約の馬から、プロレタリアートが自分のために探し求め、探し求めざるをえない馬、すなわち、大工業、電化、ヴォルホフ発電所建設、その他等々の馬に乗り換えることができるであろう。」
ムダを排除して安上がりの国家を建設しますから、われわれの指導を受けてください、われわれの馬になってくださいという「悔い改めたレーニン」は、ソ連共産党なんかにいないで、安上がりの政府をつくりますから消費税を上げさせてくださいという日本の自民党か民主党にでも入ればいいのだろうが、ここでは「悔い改めたレーニン」のいう『労農同盟』の意味が率直に語られている。
つまり、「悔い改めたレーニン」によれば、『労農同盟』というのは、第一に労働者が農民を指導すること(農民が労働者の従属関係にあること)を認めることであり、第二に農民が労働者の“馬”になることを認めることである。
農民が労働者の“馬”になるというのは、農民を収奪してソ連の工業化の原資を獲得することを承認するということであり、“乗り換えられた馬”というのは機械化された工場で働く労働者が国家によって搾取されるということであり、“馬に乗る人”というのは共産党員であるとともに、国家官僚であるノーメンクラトゥーラ(ソ連の支配階級)のことである。
もちろんこの「悔い改めたレーニン」の主張はその後のソ連の基本方針となっていくのだが、1920年代後半には頓挫することになる。
もちろんその理由は、いうまでもないことだが、労働者と農民は共産党の馬などではないし、従属化に置かれなければならない理由もないからである。
したがって、ウソとデマで塗り固めた「悔い改めたレーニン」の政策は、農民の消極的な抵抗、すなわち、穀物を酒にしてより多くの儲けを獲得しようとする風潮となり、国家は予定の穀物を調達できなくなりつつあった。
そこで、スターリンの強行的な農業集団化へと移行していくのだが、農民を“馬”にして工業化の原資をえようとする「悔い改めたレーニン」の基本的な政策は受け継がれている。