安倍晋三政権下の「教育再生会議」はゆとり教育の見直しと称して詰め込み教育を強化しようとしている。
その第一歩として提起されているのが、授業時間の一割増しである。
たかが一割というなかれ、現行の学校生活のもとでは、この一割はかなり大きな意味合いをもっている。
この増加した授業時間を土曜日の開校によって補おうとする場合、教育労働者、すなわち教員の40時間労働制がくずれる。これは教員に対するさらなる加重労働であり、ただでさえ加重労働が指摘されている教員の健康破壊が進むことになる。
それでは一割分を平日の授業で補おうとすればどうか?
当然、一部で言われているように、一日7時間授業にでもしなければならないだろう。
この場合、終業時間は4時近くになる。それから掃除や「帰りの会」をやって子どもが家にたどり着く頃には5時近くになる場合もあり、冬場には家に着いたら暗くなりはじめていることもあろう。
いくら小学校高学年からであろうとはいえ、午後からの3時間の授業時間に一部の子どもたちは耐えられないかも知れないという心配(この心配は単なる杞憂ではない)ばかりではなく、太陽が出ている時間が子どもの活動時間という“世界常識”の観点からも大きな問題がある。
つまり、平日の子どもたちの拘束時間を現行より一割増加させると、季節によっては学校生活が子どもたちの生活時間のすべて占めてしまうことになってしまうのである。
不思議なことに、こういうことは非常に重大な問題ではないのか、子どもへの教育負荷が大きくなりすぎないか、という教育専門家は日本には一人もいない。これこそ日本の子どもたちの悲劇であろう!
友達と遊ぶ時間や課外活動をする時間、自分の好きなことをする時間、何ものにも強制されない自分だけの時間を持つことは子どもの発育にとって重要なことだが、そういうことの必要性を今の政府は認めていない。
つまり「教育再生会議」、すなわち安倍晋三政権にとって、子どもの人間としての成長なんかははじめからどうでもよくて、学校は軍国日本の有為な人材を育成することだけが目的であり、そのために詰め込み教育を強化することだけを考えており、子どもたちの個人的な生活時間がなくなろうが知ったことではないのである。(まさか安倍晋三政権自体が子どもたちの夜間徘徊を推奨するわけではないであろう。)
そもそもが、この子どもたちへの強制的な残業労働の強要が生まれてきた背景には、「ゆとり教育」への反省があると言われるがそれは正しくない。
というのは、教科の学習時間が減ったのは“総合学習”や“道徳”といった“読み、書き、そろばん”以外の授業時間が設けられているか、“道徳”の時間に遅れている教科の授業をやるなどというのはとんでもないことだという教員に対する規制の強化が図られているからである。
「ゆとり教育」の反省というのであれば、これら「ゆとり教育」のために設けられた授業時間をもとの“読み、書き、そろばん”の授業時間にもどせばすむことであるのだが、「教育再生会議」、すなわち安倍晋三政権は“総合学習”をそのまま残しているから、追加の授業時間が必要となるのである。
「教育再生会議」、すなわち安倍晋三政権が“総合学習”の時間をそのまま残しているのは、この時間を使って、愛国心教育の強化や社会奉仕の強要、すなわち、子どもたちを軍国日本の奴隷にするための教育を行うことを考えているからである。
かくして学校が子どもたちを拘束する時間は長くならざるをえないのだが、その悪影響はすぐにでも出てくるだろう。
その第一歩として提起されているのが、授業時間の一割増しである。
たかが一割というなかれ、現行の学校生活のもとでは、この一割はかなり大きな意味合いをもっている。
この増加した授業時間を土曜日の開校によって補おうとする場合、教育労働者、すなわち教員の40時間労働制がくずれる。これは教員に対するさらなる加重労働であり、ただでさえ加重労働が指摘されている教員の健康破壊が進むことになる。
それでは一割分を平日の授業で補おうとすればどうか?
当然、一部で言われているように、一日7時間授業にでもしなければならないだろう。
この場合、終業時間は4時近くになる。それから掃除や「帰りの会」をやって子どもが家にたどり着く頃には5時近くになる場合もあり、冬場には家に着いたら暗くなりはじめていることもあろう。
いくら小学校高学年からであろうとはいえ、午後からの3時間の授業時間に一部の子どもたちは耐えられないかも知れないという心配(この心配は単なる杞憂ではない)ばかりではなく、太陽が出ている時間が子どもの活動時間という“世界常識”の観点からも大きな問題がある。
つまり、平日の子どもたちの拘束時間を現行より一割増加させると、季節によっては学校生活が子どもたちの生活時間のすべて占めてしまうことになってしまうのである。
不思議なことに、こういうことは非常に重大な問題ではないのか、子どもへの教育負荷が大きくなりすぎないか、という教育専門家は日本には一人もいない。これこそ日本の子どもたちの悲劇であろう!
友達と遊ぶ時間や課外活動をする時間、自分の好きなことをする時間、何ものにも強制されない自分だけの時間を持つことは子どもの発育にとって重要なことだが、そういうことの必要性を今の政府は認めていない。
つまり「教育再生会議」、すなわち安倍晋三政権にとって、子どもの人間としての成長なんかははじめからどうでもよくて、学校は軍国日本の有為な人材を育成することだけが目的であり、そのために詰め込み教育を強化することだけを考えており、子どもたちの個人的な生活時間がなくなろうが知ったことではないのである。(まさか安倍晋三政権自体が子どもたちの夜間徘徊を推奨するわけではないであろう。)
そもそもが、この子どもたちへの強制的な残業労働の強要が生まれてきた背景には、「ゆとり教育」への反省があると言われるがそれは正しくない。
というのは、教科の学習時間が減ったのは“総合学習”や“道徳”といった“読み、書き、そろばん”以外の授業時間が設けられているか、“道徳”の時間に遅れている教科の授業をやるなどというのはとんでもないことだという教員に対する規制の強化が図られているからである。
「ゆとり教育」の反省というのであれば、これら「ゆとり教育」のために設けられた授業時間をもとの“読み、書き、そろばん”の授業時間にもどせばすむことであるのだが、「教育再生会議」、すなわち安倍晋三政権は“総合学習”をそのまま残しているから、追加の授業時間が必要となるのである。
「教育再生会議」、すなわち安倍晋三政権が“総合学習”の時間をそのまま残しているのは、この時間を使って、愛国心教育の強化や社会奉仕の強要、すなわち、子どもたちを軍国日本の奴隷にするための教育を行うことを考えているからである。
かくして学校が子どもたちを拘束する時間は長くならざるをえないのだが、その悪影響はすぐにでも出てくるだろう。