少年倶楽部・旅・絵日記

流離いの・・・

ピエンロー

2008-10-31 20:39:18 | 居酒屋&B・C級グルメ
昨夜、ちょい寒、で、家人からの注文あり、で、今季初のピエンロー、でした、な、鍋が・・、いつも使ってた鍋がない ! 引越しのドサクサで、古い、お気に入りの鍋、捨てられてしまったらしい・・・、ちょっとした、小人数向きのいい鍋だったんだけどなあ・・・、めげず、作りました・・、ってもんじゃないけどネ、白菜&ブタ肉の、中国貧乏鍋です・・・、







↑ これ、お椀ではありません、鍋です・・・、昨日は、ちょっとね、ハルサメが多過ぎました・・、たった二人分、作るのは難しい・・・、鍋はやっぱ、多人数で、作って食べるもんだね、肉と椎茸からダシが出て、冬の白菜、絶妙、美味 !!
これから、白菜、どんどん美味しくなっていきます、是非、お試しアレ !!

参考に、
http://www.yui.or.jp/7jigen/club/penro1.html


http://oisiso.com/pyen_ro.html

下町のジャン・ギャバン

2008-10-31 16:06:41 | マイ・フレンド




16年前の丁度今頃、萩の花も金木犀も終わって、紫式部やホトトギスが色づく頃のこと、普通の大工なら朝8時仕事開始なのだけど、訳あっての俄か大工の我々、昼メシを食ってからの13時開始です、それを路地の向こうから伺うようにして見てた白いズボン、白い上着、白い帽子を斜に被ったオジサン、今、思うと、シューチャン、御歳56才の秋のこと、顔や身体のあちこちに、さも今まで仕事をしてた、と言わんばかりに、白い粉をつけて、「いよっ、なにかい、こんどはカラオケかい・・?」という、「バーカ、ランジェリーパブだよ・・」というのが、初対面、初会話、台東区谷中3丁目、道具と雑貨の店を造る時のオハナシ、相手のオジサンは麺、餃子の皮、ワンタンの皮をそれぞれ、粉を練る機械、延ばす機械、麺にカットする機械、3台の機械を使って朝早くから仕事に精を出してた、三和商工の修造さん、この頃はまだ、兄のシローさんが健在で、シュウチャンと奥さんのカツエサンは工場長の立場、ったって、製造は二人だけだけど、銀座の天龍の餃子の皮や六本木の支那そば・大八のメンを卸してたくらいだからたいしたもの・・・、名前の無い雑貨屋も放送作家のジュンチャンに「かなかな」という名を考えてもらっての開店は11月の2日、当時はなにもかも様子がわからずに、とりあえず、11時出勤の小生、掃除をして、水をまいて、開店なのだけど、昼間ってのはとんと客の気配がなく、ケヤキの古材で作った囲炉裏でお茶ばっかり、でした、そのときはいつも、天性の人懐っこさからか、コーヒータイムの常連というか、昔っからの仲間のような間柄になっていました、もう一人、紙きりのうまい、野村酒店のオジサンもいました・・、相変わらずのバカッパナシです、店先の床机に座っては、「いよっ、お出かけかい ?」、誰彼かまわず路地のメンメンに声をかけるシュウゾウ、まるで、映画の寅さんのようでした、・・・そういえば、しゃべるとボロが出るので、みんなで「黙ってると、日本のジャンギャバンだよ・・」とからかったこともしばしば、まさか、路地裏に道具と雑貨の店「かなかな」なんて、当時流行り始めた和の雑貨を扱う店が出来るとは思うはずもなく、シュウゾウ、店に毎日何度も入り浸りです、谷中といえば谷中生姜くらいしかイメージのない我々には路地のこと、人の関係、街の行事、いろんなことを、黙ってても教えてくれる神様のようでした・・、おかげさまで、その年は小生や家人の知り合いの客も多く、毎日が閉店後囲炉裏を囲んでの宴会状態、毎晩、隣の床屋・松竹のオバサンの糠漬け、シュウチャンのカミサンのカツエさんにご飯を炊いてもらい、の、で、千代田線最終の常連でした、店のシャッターを下ろし、翌朝のゴミ出しをお願いし、じゃあ、またね、と言うと、「サイツエン」とかるく敬礼をするシュウゾウ、・・・また、翌日は、シュウゾウ、4時に起きて麺&皮の製造で、夜になると、また、何事も無かったかのように我々と飲み始めるのでした・・・、そして、また、朝4時起床、・・当時は正月の3日間とお盆の3日間だけが休みだったようです・・、そうそう、開店以来、毎正月、かなかな、3日からの営業で、その時は丁度、谷中七福神の谷中巡りで、賑わっているので、かなかなのチラシ撒きです、シュウチャン、Yタカ君、あっちのほうが人が多いよ、と、二人三脚のチラシ撒き、でした・・、佐渡の石臼の水槽の掃除と水替え、植木の手入れ、掃除、ゴミだし、重い荷物の運び、なにか、男手が欲しい時、面倒くさいことはみんなシュウゾウにお願いしてきてしまったようです、町内でも、面倒くさがらず、なんでもやってくれるシュウゾウ、便利屋で、重宝、お気に入りだったようです、おかげさまで、道具と雑貨・やなか「かなかな」も日本のバブル崩壊直後に始めた店ですが、まあ、それなりに、谷中の土地に根を下ろし、いまや、そのての店では、老舗(?)と言われるほど・・??

3年前の暮れのこと、シュウゾウ、前からの働きすぎ(自宅の隣の工場の床はコンクリで体が冷える)、と飲みすぎ(?)、坐骨神経の方からか、右足が動かなくなり、日医大に入院、しばらくして、工場閉鎖、機械は「横浜ラーメン博物館」へ、そして、また、何ヶ月かたって、今度は黄疸がひどく、緊急入院、退院したものの、一向に良くなる気配無く、この10月、再度入院、16日20時31分、とうとう、元気な姿を見せることなく、・・・残念です、「横丁のジャンギャバン」、某宗教学会の誰かが、山田修造さんの人となりを、語った際、「東京神田須田町生まれ、昭和42年結婚、多彩な趣味の持ち主で、マッチ、バック、芸能人の色紙、時計等の収集、サイクリング等々、・・」と語ってたようだけど、どれもこれも、ネ、ちょっと、怪しい・・・、最後に会話を交わしたのは9月末、いつものように、勝手にシュウチャンとこの玄関を開け、「宅急便です、シュウチャン元気?」「うん、あとで行くよ・・」でした、写真を撮りに行ったのですが、このとき、シュウチャン、熱があって、居間で横になっていました・・・、あれから、3週間、減らず口もきくことなく、一人、旅立っていきました・・・、胆管ガン、享年72歳、

まったくの他人なのに、平気で「バカ」「鬼」と言い合っていたシュウチャンがいなくなって、初めての営業日、「なんだか、私のほうが、寂しくなっちゃって・・・」とは家人、シュウゾウ、ほんと、あっけなく逝っちゃって・・・、バカだねえ・・・、「こんどゆっくり飲もうゼ・・」と言いながら、ここしばらく飲んでいませんでした、臥龍山、あ、須坂の酒です、・・もう一度、みんなで、臥龍山飲んで、バカっパナシ、したかったなあ・・・、そういえば、オデン屋の白ポチャのフジコ、シュウチャンの葬儀に来てなかったゼ ! ・・・還暦近いジジイを泣かせるんじゃないヤイ !!

無邪気、天真爛漫がそのまま、72歳になったような人でした・・、合掌 !!

沼津市民文化センター

2008-10-30 10:24:13 | 操作盤
大きくて、使いやすい小屋、小屋付きもいいしね・・・、こんな小屋ばかりだといいんだけどネ・・・、間口10間、奥行き10間の舞台、操作盤、下手大臣そば、







照明は#4サスまで、電動、美術は#22バトンまで、タッパかせぎか、綱元、2,5間くらい掘り込んであります・・、綱場、下手袖奥、・・上下、袖はたっぷり・・・、ウエイト、7,5キロ、掘り込みの為、片足がストッパーの方に突っ込めなくて、中腰に、綱のアップ&ダウン、力入らず、・・・難といえば難 !







そして、もうひとつ、大黒(バック幕)がタッパのないせいか、二つ折りになっていて、ストッパーもふたつ、慣れれば、前を開放にしてて、一人で操作出来るのだけど、まあ、二人で操作したほうが、無難かなあ・・・、日本中探しても、こんなのは少なく、ここ沼津に来ると、あ、ここだった、と、思い出す、そんな、綱場、いい小屋なんだけどねえ・・?? 緞帳の二つ折りはよくあります・・??







上手袖、大きな扉が搬入口、小さな扉、照明、音響の機材室、







ホリ裏、平台、箱馬、ケコミ、が、しまってあります、







客席、キャパ、1500だったかなあ・・??







下手、綱場、







いい小屋です !




YS11が・・・、

2008-10-29 19:19:05 | 乗り物&駅舎
西武線・所沢のひとつ先、航空公園駅降りると・・・、お楽しみが・・、







駅の向こうの公園に、YS11が、展示してあります、







公園でSLが展示してあるのはよく見るのですが、飛行機はここだけじゃないかなあ・・??







所沢ミューズでの仕事の時のお楽しみ、なんだけど・・・、地元の人はなんでもないみたい・・??







そのムカシの広島空港から羽田と南紀白浜から羽田、2回だけだと思うのだけど・・、乗ったことがありました、プロペラの近くから搭乗するのだけど、そのオイルの匂い、通路を挟んで、2席づつの客席、エンジンのブルブルとした振動が客席まで伝わってきて、横風でスライドするようで、・・・鳥羽から渥美半島上空を飛んでいる時なんか、景色は堪能できたのだけど、まあ、そののろいこと、・・思い出しました・・、戦後国産初の旅客機だよなあ・・ ♪♪

福島市公会堂

2008-10-29 06:32:04 | 操作盤
福島市には市民会館、県民文化会館、あるのに何故か、ここ市公会堂が多いです、築50年は経っていると思うのですが、前進座、地人会、etc、新劇はここで演劇鑑賞会やっています・・・、操作盤、上手大臣そば、







右手、定式幕がシブイ ! インカム、ありません、照明さん、音響さんの連絡は、劇場のトランシーバー、しかし、接触が悪い・・??  照明、#3まで、電動、美術バトン、#6まで、手動、ウエイト、8キロ、10キロ、バランス、まあまあ、反響板が邪魔している、大黒、割り黒です、↓綱場、下手、袖奥、







↓ ホリ裏、灯体が並ぶ、ローホリ、引き枠に乗っています、







上手、搬入口と操作盤、左の箱は手製のピアノ庫、







客席、1200だっけなあ・・、キャパ、・・・2階席、深い、音響さんは大変だと思います・・・、椅子席他、近年改修したとか・・・、椅子、ちどりになっています・・・、







福島市公会堂といえば、この下手袖から花道に続くとこにあります、箱馬、平台、所作台がしまってあります・・、







驚いたのはトイレ、洋式便所、ドアを開けると、便器の蓋がしぜんと上がる高級機になっていました・・・、








なんだか、ここだけ、浮いていました ♪♪




狭山ビッグバンド ピラミッド

2008-10-27 09:52:38 | 絵日記
25日、桶川市民ホールで、市民芸術祭の一環として、狭山から、狭山ビッグバンド、ピラミッドを招いて、ジャズのコンサートがありました、カウントベーシー、グレンミラー、ハリー・ジェームス、クインシー・ジョーンズ、ベニー・グッドマンの演奏、ゲスト歌手のボサノバ、シナトラの歌、で、高い年齢層の観客はもう、しびれっぱなしのようでした・・・、


1ベル後の面々、






演奏が始まりました・・、






下手、袖でもしびれてしまいます・・・、







このバンド、10年位前に狭山市で社会人ビッグバンドとして結成されたようで、20~60歳代のいろんな職業のオジサン達です、演奏中の衣装もいいのだけど、演奏前後の楽器搬入、搬出の姿もいい、ふつうのオジサン達です、狭山から4~50分かけてみんな、車で来たようです、アマチュア精神で多くの慈善事業に接し、各地の演奏会にも出かけているようですが、その音のレベルは群を抜いていると思います、2010年、再来年、NYのカーネギーホールでのチャリティ演奏会を目指しているようですが、フレーフレー、応援歌、歌いたいと想います !! 5ヤマチャン ♪♪

冬の到来 !

2008-10-27 09:12:58 | 絵日記
ラジオで稚内で初雪、冬の到来を告げています・・・、小生も[TWR]りんかい線から、冬の到来をお知らせしようと思います・・、先週より、自販機にコーンポタージュが入っています・・??







・・と、折からのバナナブームとは関係ないと思うのですが・・、コンビニで、発見、バナナチョコレート・・?? ん・・? 中身もバナナ色でした・・??






日本中の鉄ジジイ&鉄ババアに告ぐ !!

2008-10-25 00:57:31 | 乗り物&駅舎
今となっては、ブルートレインが少なくなって、ちょっと哀しいけど・・・、沼津駅東口を出て、西武の前辺りを左に入る、と、ちょっとした飲み屋街あり、ラーメンとか餃子とか、焼き鳥とか、まあ、オジサン好みの古い佇まいの・・・、昭和の飲み屋街、そこの、とある路地のつきあたり、満月という、ラーメン居酒屋(?)があります、どーってことはないのだけど、日本一の景色があるのです、カウンターの前の、ちょっと大きめの窓、その外は、沼津駅下りホームです、「あさかぜ」や「さくら」、「銀河」やいろんな寝台列車が沼津駅に停車する時、ここのカウンターで安酒かっくらって、ラーメンすする時間が丁度その時で、旅情をかきたてられたものでした・・・、夜汽車の発車とともに我がこころまで、ついていってしまう・・・、なーんちゃって・・・、







そうです、写真の室外機のある窓、そこにカウンターがあるのです・・・、いまは「富士&はやぶさ」「サンライズ瀬戸&出雲」しかブルートレイン走ってませんが、沼津駅到着時間をみはからって、ここで飲むのも一興 !! 
 今日、どこだっけなあ・・、とさがしてたら、やっぱり、ありました・・・、一度、行ってみるべし ♪♪