少年倶楽部・旅・絵日記

流離いの・・・

語り芝居と琵琶

2011-05-15 05:46:18 | マイ・フレンド

13日(金)、日暮里、本行寺で平家物語、夜18時半公演、初演はやはりここ本行寺で15年前かな、やったと

か・・、出演は語り芝居、岡橋和彦、琵琶演奏、岩佐鶴丈、案内びと、越前屋加代の三人、

本堂は芝居用に片付けてあり、もう、ここですでに、演劇的世界が出来上がっている・・、

 

 

客席は、100くらいかな・・、

 

 

立派な金屏風、6尺かな、小ぶりでした、

 

 

巧みな岡橋さんの語り、それにも増しての鶴丈さんの琵琶、越前屋加代さんの抑えたナレーション、

背中のガラス越しの夕方の明かりが、暮れとともにどんどん幽玄の世界に引き込んでゆく・・、意図した演出だった

ら、アッパレもんです・・、文語体の語り、半分もわかればいいほうだけど、平家物語独自の世界には、力強さもあっ

て、このほうがミステリアスでいいかもしれない(笑)・・、

圧巻は、さいごの章、壇ノ浦合戦の景、越前屋加代さんも加わり、平家の女人に扮しての語り、これは琵琶の演奏

も効果的で、4.5ヤマチャン・・・、

終演後、少ないスタッフ、みんな総出のお片づけ、もちろん、手伝いました、にしきや、があるからね(笑)・・、

住職のお経を読む席(?)の復帰が大変、若い娘の携帯の写真がたよりです(笑)・・、

 

 

 

 

 

 

意外とバラシ、現状復帰に時間がかかり、先発隊が不忍通りにしきやに着いたのは21時半、岡橋さんとYさんが

着いたのは22時半過ぎ、23時閉店、あっというまの反省会でした、

ひさびさにいい芝居、いい酒でした・・・ ♪♪

 

 


平家物語

2011-05-11 11:18:51 | マイ・フレンド

13日、枝垂れ桜、一茶の碑、山頭火の碑で有名(?)な日暮里・本行寺(月見寺)で琵琶と語りの平家物語がありま

す、

 

 

語りは元民芸の岡橋さん、本番中にあの滝沢さんにプロンプしてもらったという、逸話の持ち主、

琵琶は、そのムカシ、イヤーズ2という劇団の創立メンバーのリッチャンのダンナ、岩佐鶴丈さん、

 

 

DVDでは見たことがあるのだけど、実演は初めてです、楽しみです・・、

歴史文学のダイナミズムを感じさせてくれると思います・・、

「祇園精舎の鐘の声、 諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、・・」、

ついでに、時間があったら、本行寺そば、谷中霊園入り口、天王寺の沙羅双樹の花も見れたらいいネ・・・ ♪♪

 

 


昭生(ショーセイ)さん

2009-08-25 16:36:23 | マイ・フレンド
この前の「無言電話」の記事、一部訂正です、
ハナシの種明かしをすれば、なーんだ、なるほど、ということですが・・・、
そもそも、昭生さんが携帯を手にしたのは、楽屋で競馬好きの悪童連(?)にそそのかされた為、競馬の電話投票をせんがためでした・・・、5~6回、入退院を繰り返されたとのことですが、病床にありながら、競馬をしようという昭生さんの、エネルギー(ま、それくらいしか楽しみはないからネ・・・)、アタマがさがりました・・・、・・・で、JRAとジュクチャンの登録番号が近くて、キーを間違って押していた、というのが、真相らしいのです・・・、
・・・と、もうひとつ、昭生さんらしくて、面白かったのが、これは慶一さんから、焼香のあと、聞いたのですが・・・、今年かな、正月、まだ、マージャンをしていた、というのです、もちろん、家族マージャンでしょうが・・、カードにロンとかポン、チーとか書いておいて、それを、キッカケとしていたそうです・・・、闘病生活、最後は要介護5になってでも、こっちが思うほどではなく、意外と明るく楽しまれていたようです、家族の愛があればこそです・・・、

お通夜での焼香が済み、通夜ぶるまい、というのですか、お酒とか寿司とか煮物とかで一杯なのですが(←いつ頃からか、全国的なのか、よくわからない・・・、)、読経の聞こえる隣りの部屋では、多くの人達が昭生さんを語っていました・・、我々は端っこのモニターのすぐ下、蔵さん、松熊さん、森田さんをはじめ、さながら「おりん」同窓会のよう・・・、喪主で長男の慶一さんの、「オヤジ、みなさんにお金借りていませんでした・・??」から、哀しいはずのお通夜が、どんどん変わっていきました・・・、全国の演劇を志す若き青年、淑女の誤解を受けないように、注意して、このブログ、書かなきゃいけないとは思うのですが・・・、・・・昭生さんによくしかられた文化座の若き(?)劇団員たち、誤解のないように・・・、

 「おりん」2幕1場、荒磯海岸、上手から、遠藤巡査「たわらやさん、たわらやさん、よーぐ見てけれ・・」、常吉「はあ?なんだいね・・・??」、ここ、小生と故金井大さんの芝居、下手にスタンバイしているマルさん、蔵さん、昭生さん・・、この時、何故か競艇のハナシをよくしていたというのです・・?? 海だからかなあ・・??
 昭生さんはヨーロッパ公演にいっていなかった、とか、文化座では怖かった、とか、片付けた昭生さんの部屋に演出&演技ノートが何冊も出てきて、ひとつの台詞に10個くらいの考察が書いてあったとか、最後のノートには「相原クン(文学座)にエロビデオ借りる・・?」とあったとか・・・、後年、何故かガジ(俳優)がよく叱られた・・・、とか、「毛深いオンナは駄目だ(←昭生さん、テツによくいってたらしい・・??)」とか・・・、悲しみの中の笑いは倍返しです・・・、
通夜の客もほとんど引き上げ、斎場の人の好意か、出された椅子に長居をしてしまった小生たちでした・・・、

最後のお別れをしようと、だれも居なくなった斎場で昭生さんに拝顔、5日間もドライアイスで冷やされた昭生さん、ムカシの面影、微塵もありませんでした・・・、ここで、みんな、ふっと現実に帰るわけですが・・・、







不謹慎だとは思うのですが・・・、何故か顔が笑っているメンメン、左から、ガジ、丸さん、森田さん、3部9時間公演挑戦のジュクちゃん、慶一さん、テツ、不肖ヤマムラ、後ろの遺影が「あいかわらず、バカだなあ、おめえたち・・・」と言っているようです・・・、

このあと、大鳥居交差点の居酒屋へ、ナオ、ペイさん、他2人合流、いくらか涼しくなった多摩川からの風も、喪服姿じゃしょうがない・・・、笑いの絶えない弔い酒です、悲しみの中の笑いは倍返し・・・  ♪♪







9月発売のムーンライダーズのCD、昭生さんのナレーションが入っている、とか・・・、

http://www.moonriders.net/info/














 
 

無言電話

2009-08-23 15:24:03 | マイ・フレンド
今年春、それは何度かあったらしい・・・、それもきまって午前中・・・、携帯電話、便利なもので、登録さえしてあれば、着信履歴をみれば、いつ誰が電話をかけてきたかすぐわかります・・・、気にはなっていたものの、仕事の忙しさのせいにし、相手まかせにして、しばらくは折り返し電話をすることもなく過ぎていきました、また、2~3日無言電話が続きます、気になったので、相手方に電話します、が、携帯をとった様子はわかるのですが、無言です・・・、何度目かに、やっと聞こえたのは、ちょうど我々と同じ年代の息子、慶一さんの声・・・、「・・・すみません、ご存知ないかとは思いますが、じつはオヤジ、咽頭ガンで入院中で、声帯を取り、歳のせいか、足腰も弱り車椅子です・・・」

がーんとアタマを思いっきり殴られたような、そして、問題は一気に氷解・・・、

ヤマサーン、と、このハナシをしてくれたのはジュクチャン(文学座)、無言電話の相手とはショウセイさん(もと、文化座)、1980年に始まった「はなれ瞽女おりん」の長旅も終わり、はや5~6年、ショウセイさん体調がおもわしくなく入院は聞いていたけど、咽頭ガン、声帯切除、車椅子生活は知る由もなく、驚いたのはモチロン・・・!!

近日中にお見舞いに行こうというハナシにはなったのだけど・・・、互いの都合がつかず、あっという間に夏、そして、この18日、鈴木昭生さん、残念なことですが、他界されました、心不全、享年82歳 !!

じつは、亡くなられる前にも、この夏、何度かショウセイさんからの無言電話があったのだと、ジュクチャン言う、くれぐれもお見舞いに行かなかったことが悔やまれます・・・、

鈴木 昭生さん、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E6%98%AD%E7%94%9F

「おりん」で知り合った人ですが、ヨーロッパ公演始め、いろんな思い出のある先輩俳優でした、ある年の春、劇団昴の先輩俳優・小池朝雄さんが若くして亡くなり、その葬儀の際、小生より早く焼香を済ませたショウセイさん、はやく行って来いと、数珠を貸してくれ、多くの焼香客の中で待っていてくれたことが何故か思い出されます・・、奇しくも、小池さん、都立青山高校で、ショウセイさんの後輩でした・・、

「おりん」では、梅コマ1ヶ月公演の時のことです、1幕弥彦神社の景、参拝客の役のショウセイさん、境内の片隅で、背中の風呂敷包みを下ろし、経木に包んだおにぎり、ゆで卵を食べ始めます、台本にはない役、台本にはない演技です、演出の木村さんとの合意のもとではあったとは思いますが・・・、このゆで卵がコロコロと舞台をころがります、あわてて拾おうとし、それを愛おしそうに口にするショウセイさん、梅田コマ劇場の大きな客席はその所作の面白さで大爆笑です、一方では平太郎に再会できた喜びを熱演する有馬さん、・・・何日もしないうちに、この、ショウセイさんの芝居、袖から見ることが出来なくなりました、・・・聡明な諸兄姉、お分かりのように、主演女優からクレームがついたのです・・・、そんなこともわからずに、ショウセイさん、あれ、やってください、とバカなオレタチでした・・・、

文化坐では役者、制作、若手の教育をやっていらしたようです、酒好きなショウセイさん、若い頃の劇団の苦労話、面白かったです、自分の父親が山形県左沢から東京に出てきて、糀谷で日本アテライト(?)かな、合成の大理石のようなものを作って成功し、そのもうけを維持するどころか、日芸から文化坐に入り、湯水のように使ったとか、芝居を売るために、全国をオルグして回った際の逸話バナシ、抱腹絶倒でした・・・、

日芸演劇科の1期生か2期生のショウセイさん、同窓会の理事です、きっと、同じく日芸の後輩のジュクチャンになにか申し送りがあったのでしょう・・・、シャイな昭和モダンそのもののようなショウセイさんでした・・・、

今日18時から大田区総合斎場でお通夜です、
棺桶に横たわりながら、1幕1場伍助宿の場の旦那・伍助さんの役そのまま、
「やあやあ、みんな、よーぐ、きてくんなさった、さあさあ、あがんなし・・・」そう、言ってるかもしれないネ・・・、

大好きでした、昭生さん、ありがとうございました・・・、合掌 !!

















下町のジャン・ギャバン

2008-10-31 16:06:41 | マイ・フレンド




16年前の丁度今頃、萩の花も金木犀も終わって、紫式部やホトトギスが色づく頃のこと、普通の大工なら朝8時仕事開始なのだけど、訳あっての俄か大工の我々、昼メシを食ってからの13時開始です、それを路地の向こうから伺うようにして見てた白いズボン、白い上着、白い帽子を斜に被ったオジサン、今、思うと、シューチャン、御歳56才の秋のこと、顔や身体のあちこちに、さも今まで仕事をしてた、と言わんばかりに、白い粉をつけて、「いよっ、なにかい、こんどはカラオケかい・・?」という、「バーカ、ランジェリーパブだよ・・」というのが、初対面、初会話、台東区谷中3丁目、道具と雑貨の店を造る時のオハナシ、相手のオジサンは麺、餃子の皮、ワンタンの皮をそれぞれ、粉を練る機械、延ばす機械、麺にカットする機械、3台の機械を使って朝早くから仕事に精を出してた、三和商工の修造さん、この頃はまだ、兄のシローさんが健在で、シュウチャンと奥さんのカツエサンは工場長の立場、ったって、製造は二人だけだけど、銀座の天龍の餃子の皮や六本木の支那そば・大八のメンを卸してたくらいだからたいしたもの・・・、名前の無い雑貨屋も放送作家のジュンチャンに「かなかな」という名を考えてもらっての開店は11月の2日、当時はなにもかも様子がわからずに、とりあえず、11時出勤の小生、掃除をして、水をまいて、開店なのだけど、昼間ってのはとんと客の気配がなく、ケヤキの古材で作った囲炉裏でお茶ばっかり、でした、そのときはいつも、天性の人懐っこさからか、コーヒータイムの常連というか、昔っからの仲間のような間柄になっていました、もう一人、紙きりのうまい、野村酒店のオジサンもいました・・、相変わらずのバカッパナシです、店先の床机に座っては、「いよっ、お出かけかい ?」、誰彼かまわず路地のメンメンに声をかけるシュウゾウ、まるで、映画の寅さんのようでした、・・・そういえば、しゃべるとボロが出るので、みんなで「黙ってると、日本のジャンギャバンだよ・・」とからかったこともしばしば、まさか、路地裏に道具と雑貨の店「かなかな」なんて、当時流行り始めた和の雑貨を扱う店が出来るとは思うはずもなく、シュウゾウ、店に毎日何度も入り浸りです、谷中といえば谷中生姜くらいしかイメージのない我々には路地のこと、人の関係、街の行事、いろんなことを、黙ってても教えてくれる神様のようでした・・、おかげさまで、その年は小生や家人の知り合いの客も多く、毎日が閉店後囲炉裏を囲んでの宴会状態、毎晩、隣の床屋・松竹のオバサンの糠漬け、シュウチャンのカミサンのカツエさんにご飯を炊いてもらい、の、で、千代田線最終の常連でした、店のシャッターを下ろし、翌朝のゴミ出しをお願いし、じゃあ、またね、と言うと、「サイツエン」とかるく敬礼をするシュウゾウ、・・・また、翌日は、シュウゾウ、4時に起きて麺&皮の製造で、夜になると、また、何事も無かったかのように我々と飲み始めるのでした・・・、そして、また、朝4時起床、・・当時は正月の3日間とお盆の3日間だけが休みだったようです・・、そうそう、開店以来、毎正月、かなかな、3日からの営業で、その時は丁度、谷中七福神の谷中巡りで、賑わっているので、かなかなのチラシ撒きです、シュウチャン、Yタカ君、あっちのほうが人が多いよ、と、二人三脚のチラシ撒き、でした・・、佐渡の石臼の水槽の掃除と水替え、植木の手入れ、掃除、ゴミだし、重い荷物の運び、なにか、男手が欲しい時、面倒くさいことはみんなシュウゾウにお願いしてきてしまったようです、町内でも、面倒くさがらず、なんでもやってくれるシュウゾウ、便利屋で、重宝、お気に入りだったようです、おかげさまで、道具と雑貨・やなか「かなかな」も日本のバブル崩壊直後に始めた店ですが、まあ、それなりに、谷中の土地に根を下ろし、いまや、そのての店では、老舗(?)と言われるほど・・??

3年前の暮れのこと、シュウゾウ、前からの働きすぎ(自宅の隣の工場の床はコンクリで体が冷える)、と飲みすぎ(?)、坐骨神経の方からか、右足が動かなくなり、日医大に入院、しばらくして、工場閉鎖、機械は「横浜ラーメン博物館」へ、そして、また、何ヶ月かたって、今度は黄疸がひどく、緊急入院、退院したものの、一向に良くなる気配無く、この10月、再度入院、16日20時31分、とうとう、元気な姿を見せることなく、・・・残念です、「横丁のジャンギャバン」、某宗教学会の誰かが、山田修造さんの人となりを、語った際、「東京神田須田町生まれ、昭和42年結婚、多彩な趣味の持ち主で、マッチ、バック、芸能人の色紙、時計等の収集、サイクリング等々、・・」と語ってたようだけど、どれもこれも、ネ、ちょっと、怪しい・・・、最後に会話を交わしたのは9月末、いつものように、勝手にシュウチャンとこの玄関を開け、「宅急便です、シュウチャン元気?」「うん、あとで行くよ・・」でした、写真を撮りに行ったのですが、このとき、シュウチャン、熱があって、居間で横になっていました・・・、あれから、3週間、減らず口もきくことなく、一人、旅立っていきました・・・、胆管ガン、享年72歳、

まったくの他人なのに、平気で「バカ」「鬼」と言い合っていたシュウチャンがいなくなって、初めての営業日、「なんだか、私のほうが、寂しくなっちゃって・・・」とは家人、シュウゾウ、ほんと、あっけなく逝っちゃって・・・、バカだねえ・・・、「こんどゆっくり飲もうゼ・・」と言いながら、ここしばらく飲んでいませんでした、臥龍山、あ、須坂の酒です、・・もう一度、みんなで、臥龍山飲んで、バカっパナシ、したかったなあ・・・、そういえば、オデン屋の白ポチャのフジコ、シュウチャンの葬儀に来てなかったゼ ! ・・・還暦近いジジイを泣かせるんじゃないヤイ !!

無邪気、天真爛漫がそのまま、72歳になったような人でした・・、合掌 !!

ステージ・ドア

2007-02-19 01:02:39 | マイ・フレンド
下北沢、小劇場・楽園、本多劇場地下です。本多劇場が出来た時、鳥海亭だったかな西田敏行たちがスナックをやってました。が、ステージ・ドアになって、紘子になって、また違う居酒屋になって、等々変遷があって、いまの小劇場・楽園です。まだ、出来たばっかりのようです。客に窮屈なおもいをさせたくないというのが、コンセプトのようです。入り口から下へ行く階段は昔のまま、中はガラリと変わっていました。こじんまりとしたいい小屋ですが、かつての渋谷・JEANJEANのようにL字型の変形です。総スペースのど真ん中に3尺のコンクリート柱があるのです。・・で、舞台から見ると正面に柱、柱をはさんで上手に40くらいの客席、その上に調光卓、PA卓があり、下手にはやはり40くらいの客席。・・池袋ル・ピリエも大きな柱が邪魔してました。



写真は下手客席から見た舞台、最前列に桶川美女軍団が・・・。右奥が上手客席。



上手客席上の調光・PA卓です。
 で、芝居、根本 和史「五つの大罪、死刑 ! ぴたっ 」です。面白かったです。8年ぶりの再演ですが、まるで違う(?)芝居に仕上がっていました。4ブラボー !!

※失礼しました、鳥海亭は2Fでした。下北来訪の際は「ふるさと」へ、一見、割烹ふうで若い人達、来ません。納豆大根、さば塩、おすすめです。「おりん」初演の頃、まだ、生まれていなかったケンチャン、ヨッチャン(息子達)が料理してます。親父愛用のトランジスタラジオあります。ケイコさん、今年、還暦だって・・・。一番のおすすめはおにぎり、小千谷の米です、大きいです、漬物、浅漬けで、美味也。アサリの味噌汁、時々あります。サイコーです。隠れメニューでネギの入った、ケイコさんの玉子焼きがあります、これも、美味也 !
 

組長奮闘、一人芝居 !!

2007-02-07 17:30:53 | マイ・フレンド
ご存知、組長こと根本 和史先輩の一人芝居です、只今稽古佳境です。



思えば1999年初秋以来の久々の再演です。今回もプロデュース・出演と八面六臂の活躍です。下北沢、本多さんの言うシニアの為の劇場、小劇場・楽園で2/17~21、公演です。楽園、地図をよく見ると、本多劇場の下、元ステージドアというか、紘子のあったとこです。「ふるさと」、四辻の隣りです、いい酒飲めると思います。



こんなこと言うと、「バッキャヤロウ・・」と叱られそうですが、初演の時、死体を洋服ダンスに押し込み、目張りのガムテープ、見事に、あざやかな手つきで貼ってました・・、一見の価値あり? さて、今回は・・・???






みんなが大好きな、

2007-01-27 22:59:51 | マイ・フレンド
バタヤンです、桶川市民劇団DACの迷優です。バイオリンは弾く、ベースも弾ける、タキシードの似合う、なんとも言えない味のある台詞まわしの出来る俳優です。カミサンがカオリンといったかなぁ、メチャ、可愛いらしい・・、本日17時より「七福」で飲んでたらしたい、で、この体たらく、前言、信じられる? まあ、母性本能擽られるのはたしかか(?)・・・、27日夜10時。