2011・3・11、6:30、いつもどおりの朝でした、
八潮のトレーラー街道、街路樹の花桃、つぼみがふくらんでいます、
仕事を終え、年金増額の手続きで北品川の出張所へ、手続きを終え、チャリに乗ろうとしたのが14:46だったのか・・、揺れました、ま、当時地震が多かったので、いつもどおりと思っていたら、ちょっと違い、すぐそばの第一京浜国道と目黒通りの交差点、信号が消え、高架の京急の新馬場の駅、ほこりを立てて、ガッタンガッタン揺れています、その時、これは尋常じゃないとカンジ、ポケットラジオを耳にした次第・・、緊急地震情報です、
↓ 第一京浜と目黒通り(環)の交差点、信号が消えています、円形の建物は品川保険センター、
交通取締りをしていた警官が交通整理、
ビルからは多くの人達が飛び出しています・・、
ちょうどこのそば、品川図書館と同じ建物、六行会ホールでは知り合いの出ている芝居があり、
先輩の○熊さん、病をおして観劇の最中・・、芝居は2度の中断で中止になったとか・・、
ラジオでは緊迫したアナウンサーの声で、宮城県沖で大地震、津波の可能性ありと言っています・・、
東京で震度5強とかも・・、
街をチェックしながら帰宅、
築30年以上の免震の弱いマンションは悲惨です、
風呂の水、台所の水はあふれ、扉は開き、冷蔵庫も動き、仏壇は中身が飛び出し・・、
わが勉強部屋は、
壁の棚は全部はずれ、落下・・、
唖然 !!
つづく余震で、外に飛び出した人がしゃがんでいます、どのウチもドアは開けっ放し・・、
夜12時頃、品川から歩いて帰る人達でいっぱいの第一京浜、青物横丁駅前交差点、
阪神大震災は実感としては遠かったものの、東日本大地震それに続く大津波は身にしみて感じた恐怖そのものでした、
・・と、いまだ持って行きようのない怒りの人災・福島原発事故・・、
原発事故さえなかったら、復興は早いと多くの人は言い、自分もそう思うのだけど・・、
政府と東電の甘言にのってずぶずぶの関係を続けてきた地方首長達もやっと、民主党の弱い政治に反旗を翻しつつあって、明るい兆しは覗えるものの・・、まだまだ1年、遠い遠い復興・・、