あさやん通信

おいらの日記、徒然なるままに!

心はゴムひも

2010-01-23 01:19:20 | 日記
立花大敬さんの話で「心はゴムひも」というのがあります。ちょいと長いのですが以下に紹介してみますので、興味がある方は読んでみてください


まず、未来の一点に座標ポイントを設定します。その一点をしっかり設定することが重要で、実はそのための大切なコツがあるのです。それは、その一点における、自分の様子、周囲の様子をしっかりイメージ化することで、目標の一点に、しっかりゴムひもが固定されます。
さて、これで半分が済みましたが、残る半分が以外に困難なのです。ゴムひもが、目標点に固定されても、今の座標点から、あなたが離脱しなければ、決して目標地点まで行けません。ところが、現在の一点からどうしても踏み出せない人がいるのです。そんな状態を自己限定と言います。
つまり、自分というものは、こんな人間で、これが限界で、これ以上のことは出来るはずがないのだと、意識的、あるいは無意識的に思い込んでいる場合があって、自分で、時間、空間の小さな枠を形成してしまっていますから、その外へジャンプできないのです。
そんな思い込みから、ぜひ超脱して欲しいと思います。そんな人は、結局、世界は重いものなんだと観ているのです。それは間違いで、実際、世界は実に軽いものなのです。紙切れ一枚ほどのもの、吹けば飛ぶほどのものだと思えばいいのです。
そんな紙片一枚を、パタパタパタと折り込んで、ほら、今の宇宙全体ができました。そして、次の瞬間には、パッと、まっさらの白紙一枚にもどっています。また、次の瞬間には、パタパタとたたみこんで、次の前のと少し違う次なる宇宙ができるのです。そのことの繰り返しで、世界、宇宙は成立しています。
私たち個人も、また私たちの周囲の環境も、そんな折り紙細工に過ぎなくて、いつでもクリヤーして、もとの白紙に戻れますし、また、思いのままの形に折り込むこともできるのです。人間には、本来、実現が難しいこと、易しいことなどという区別はないのです。
テレポートなどという現象を起こせる人がいるそうですが、そんな人は、目標設定と現在の座標からの離脱を、ものの見事に決めることができる人なのでしょう。私なんか、まだまだ、ジャンプが下手で、一度ジャンプして、しばらく飛んでも、すぐ落地して止まってしまい、またジャンプして落ち、・・・その繰り返しですから、目標地点までなかなか時間がかかってしまいます。
しかし、この時間をかけるということが、どうやら地球での人生を送る意義の一つのようですから、それもまた、〈楽しからずや〉でやってゆこうと思います。ゴムひもが張っている以上、いつの日か必ず辿り着くということは分かっているのですから、心配はありません。目標設定と、自己限定からのジャンプは、訓練によってどんどん上手になってゆきますから、身近な所から実験して、成功体験を積み重ねることが大切です。
ある人が、このテーマにピッタリの話があると紹介くださったので、引用させていただきます。
「・・・栗山先生が針金を持って外に立ち、肥田春充先生が、子供のおもちゃの弓で栗山先生の持っている針金に百発百中に当てるので、栗山先生が『一万発もしましたら、一発ぐらいは当たらないこともあるのでしょうか』と肥田先生に質問しますと、肥田先生が、『当たってから弓を放しておりますから絶対にハズレることはありません』と、答えられた。」
この〈心=ゴムひも〉論は、実は比喩やたとえ以上のものなのです。本当に〈心〉は弾性体的性質を持っているのです。物理学のほうから、弾性体のもつ性質を復習してみますと、まず、
(1) 自由に形を変えることができるという性質があります。心には限界がありません。身体以上の大きさに広がることもできますし、指先に心の全体を集中させてしまうこともできます。また、どんな遠くの地点まででも引き伸ばすことが自由です。物理学のほうでは、弾性体を変形させるのは力ですが、心の場合は、それを変形させるものは何なのでしょうか。それが意識であり、思いなのです。つまり、心は思い通りの形をとります。
(2) 力を取り去ると、ただちにもとの形に復帰する。心の場合も、心にその形をとらせている思いを取り去ると、直ちにその形態が解消してしまいます。
 心というものは、私たちの思いを実現させるための実に便利な道具であり、素材なのです。私たちには思い実現のための、二種類の道具があるわけです。一つは身体ですね。身体も私たちの思い通りに動いてくれます。自信の思いが溢れんばかりの人は、その身体も堂々とした振舞いを見せますし、迷いの思いがある人は、身体も、その迷いの思いの通りに、身体は震えたり、よろけてしまったりします。
 このように、身体も実に忠実な、思い実現の道具なのですが、身体は、時間が、空間が支配している地上界の今、ココという一点にしか存在できませんし、その場でしか有効な働きができません。
 ところが、第二の道具である心は、時間と空間の制約を超えたところで、思いの実現に向けて、はるかに自由で有効な行動をとってくれるのです。ですから、心は身体よりも優れた第二の身体とも言えるのです。
 心は弾性体からなる身体で、身体ですから、どこまでも伸ばせる手もあれば、どこまでも行ける脚もあり、必要なら宇宙を覆うほどにも拡大できる頭脳もあれば、眼も耳もある・・・。これは真実ですが、もしこれが本当かどうかお分かりでなくても、そうであると信じて、そのように振舞われますと、心はその信じたとおりの形をとるのですから、思い実現に向けてありがたい味方となってくれるのです。
 要するに、目標だけ設定して、あとは忘れているほど、手放しの信頼感を持っておれたら、エネルギーも能力も、ちゃんと必要なだけやってきて、目標は実現する、そのように生命(いのち)はできているようです。}



とりあえずここまで・・・


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