Sealionsバレーボールクラブ

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Sealions冬合宿終了~!

2007-01-14 23:59:59 | スキーネタ
Sealionsの冬合宿 in 志賀高原が無事に終了した。
昨夜は25時半頃までしゃべりまくってしまった、ワタクシいちけんであるが、今日はきちんと7時半からの朝食を摂り、幹事としての仕事をこなしてから9時ちょっと過ぎに滑走開始。

鄭さん、呉さん、誉、レッキー、冬将軍と私で、丸池からスタート。
蓮池をタラタラと滑り、すっかり上手になった鄭さんと呉さんに宿への帰り方を教えてから、日本人だけでサンバレーへ。3連休の後の休みのためかガラガラの一枚バーンを快適に滑走する。動画も撮影した。(後日UP予定。)
ちなみにこのサンバレーは昔は「法坂」と言っていて、リフト名は今でも法坂第一などとして残っているが、そんなことは普通の人は知らない。が、私は母などから昔の話を聞いて育っているので、志賀高原の玄関口であるサンバレーは今でもあくまで「法坂」であるのだ。話しているとつい「法坂」と言ってしまい、みんなから「どこ?」と聞かれてしまう。困ったものだ。

法坂を3本ほど滑り、再び蓮池へ。今度はジャイアントへ移動しようとしたが、ここでトラブル発生。みんな(日本人)がついてこないのだ!いくら待っても来ないので、仕方なく引き返す。すると、蓮池のリフト乗り場でみんな(日本人)が待っていた。
「どう行ったらいいのか分からなかった」とのこと。
「昨日通ったでしょ?ロープトゥのあるところですよ!」と言ったが、憶えていないとの返事。まぁ仕方ない。あきらめてもう一度リフトに乗ってジャイアントを再度目指す。ここでレッキーが疲労のため脱落。
ジャイアントへはロープトゥを使って移動するのだが、誉は昨日失敗したらしく、苦手意識があるようだった。そこで手本を見せる。我ながら見事なロープトゥさばきだったと思ったが、彼には参考にならなかったようだ。何とかプラスチックのバーを掴んだものの、掴むことに集中し過ぎて足元がお留守になってしまい、転倒。結局昨日と同じく歩いて登ることになってしまった。これに懲りずに誉にはロープトゥの乗り方をぜひ習得してもらいたい。

ジャイアントもガラガラであった。これではスキー場がつぶれるのも当然か?と思われるような人の少なさである。寒いところで一生懸命練習するなんてこと、今の人はしないのであろうか?
今日はジャイアントを2本滑ったが、1本目に恐ろしい体験をした。
ちょっと飛ばし気味で中間点から下の急斜面を大回りで滑っていたのだが、右側に人が居たので、向かって左側を滑走し始めた瞬間だった。目の前にギャップが現れたのだ!もはや回避もできない状態だ!
カービングで全体重を両足にかけている最中に最初のギャップでジャンプしてしまった。あやうく飛ばされそうになりながら体勢を立て直したら、今度は2つ目のギャップが現れた。日陰で見えなかったのだ!これは最初のよりもはるかに大きいギャップであり、しかも私のライン上にある。もうプレジャンプで逃げることもできない。仕方なく突っ込んでジャンプした(というより飛ばされた...)。
着地した瞬間、生きていることを実感した。思わず大声で叫んでいた。恐怖から開放された瞬間であった。(この叫び声は誉に聞こえていたらしい。)

再び蓮池に戻り、リフトに乗って丸池方面へ戻って私の今回のスキーは終了。幹事なので、みんなの世話をしなければならないので、12時で終わりにしたのだ。
ホテルに戻ると、鄭さんと呉さんがすでに戻ってきていた。車にしまった荷物を取り出して着替える。みんなも続々と戻ってきた。
ちなみにE世話役は前日くつずれを起こしてしまい、今日は滑走せずホテルロビーにてご休憩。かわいそうであった

13時にホテルを出発し、ハギーご推薦の有機野菜系食べ放題の店(長野市南部のR18沿い)へ。ちょっと迷いつつもなんとか到着。元を取ろうとみんな食べまくる

15時半に長野ICから高速へ。車の流れは順調である。横川と三芳で休憩&ドライバーチェンジをして、ハギー(19時半)、E世話役(20時)の順に降ろしていく。
鄭さん、呉さん、冬将軍は相鉄線沿線ということで、二俣川駅で降ろす。これなら保土ヶ谷BPからあまり離れずに帰れるからだ。さらに誉宅経由、JR町田駅でレッキーを降ろして任務完了。E51エル様8人乗車でスキーに行けることを実証した。(但し板は4本が限界。長さも170cm以上はラゲッジ内ではたぶん無理。)

21時半にいちけん宅着。今回は事故も無く、本当に無事に帰宅できた。
今回はいろいろなことがあり過ぎて、書ききれない。明日もたぶん書き残したことを書くかもしれない。
とにかく楽しくてうれしくて、素晴らしいスキーであった。