五反田で仕事を終え、帰り道、コンビニに寄ろうとしたら、コンビニの前で、中学生ぐらいであろうか、女の子3人が、ジャレあっていた。
キャーキャー言う若い子達の空気は、ズタボロに汚れ疲れた私達なんかとは異な空気で、気圧されてしまい、その子達の1人が、羽織っていたカーデガンのようなものをはだけさせているのを見た先輩の、「おー脱いでるー!」という戯言にも、イマイチ乗り切れなかった。
元気だなぁと見て、ふと、何か変だなと気付く。
3人の女の子のうちの2人は、1人の女の子から逃げ、逃げられている女の子が、他の子を追っている。
一見なんでも無い光景なのだが、何か違和感を感じた。
言葉で表現しづらいのだが、逃げられている女の子の、カーデガンのはだけさせ方が、何か変だったのだ。
よくよく見れば、カーデガンの襟の辺りに、何か黒いものがくっついているではないか。
若干、イモムシとかだったらイヤだなぁ...という思いもあったものの、「取ってやる取ってやる」と言いながら、その子に近づき、虫を見る。
ちょっと大き目のアリだった。
アリを取ろうとした私の手が、仕事で汚れていたので、白っぽいカーデガンが汚れてはしまわないかと、少し心配したものの、その子は、私が取ったアリから、走って逃げ出したので、それは確認出来ず、私は「アリだぜ、ただの」と言いながら、アリを投げ捨てた。
それまでバランバランだった3人の女の子はみんな寄り添い、声を揃えて「ありがとうございましたー」。
「やーさしー!」と囃す先輩に笑ってしまったのと、ちょっと照れくさかったので、返事もせずにコンビニに入ってしまった。
まぁ、今に始まった話では無いが、メディア等が昨今の若者について色々言っていたりするが、見知らぬ人にもちゃんとこうして礼ぐらいは、虫を取ってもらった子以外までが言えるのだから、大したものだと思う。
こうした子もちゃんといるわけだし、実際は、こうした子の方が多いのだと思うし、悪ぶった子だって、我々が当時悪ぶってたのと、スタイルが変わっただけで、さして変わらないのだろうと思う。
私は、今の若い子に、別段怖さだとかを感じ無い。
目線やらの問題なのでは、と、思う。
しかし、アリぐらいで、皆が逃げ惑うのはどうだろう?
3人もいて、3人ともアリも触れないってのはどうなんだろう?
まぁ、仲良しの似たような者が集まっているのだろうから、そんなもんなのかな。
別に、アリぐらいは触れるべきだというわけでも無いしね。
会社の人と、一日一膳だなという話をした。
私はこの日、1つは良い事をしたぜと。
思えば、まるで自分の利にならない善行ってのは、案外しない物だよなぁと思った。
たとえば、誰かのために、何かしてあげる。
それは自分の利益にならないと言っても、その人に少しは良く思われるかも、だとか、そうしたわずかな欲目があったりしたりするわけで、それって、善行なのだろうかと思うと、疑問だ。
私は、募金だとかをしない。
そもそも信用出来ないし、知らない人を助けるいわれも無いと思うからだ。
しかし、たまたま、そんな気分だったからか、今回こうして、女の子を助けてあげた。
これには私にとって、まったく利が無いのだから、募金だとかもそういう事なのかなぁ...と思ったのだが、しかし、たとえば募金をした自分は、人助けをしたのだという満足感を得て、それが利になるとしたら、やはりこうした私の行為も、ありがとうございましたと言われ、気分が良くなるためにした、自分にとって利になる行為なのだろうか。
どうでもいいか。
悪い事をしたわけでは無いのだから、それで良いと言う事にしようと思った。
そして思ったのが、彼女らは、「ドカタのおじさんに、虫を取ってもらった」と、誰かに語るときには言うのだろうなぁと、先輩と笑った。
私は土方では無く、電話屋だけれど、そんな事は知った事では無いだろうし、考えてみれば、私は彼女達の、倍以上生きているのだもの。
そりゃ、おじさんだ。
間違えない。
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