要約できない人生のあれこれ

気ままに日々のこと
いきづらさを抱えて。なんでもない日常のこと。ごみ捨て場。届かない。

1日1クリック応援お願いします

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 境界性人格障害へ
にほんブログ村

あるがままの心で

2013-12-15 18:09:45 | 日記





自分の書いてる文章を、好きだよと言ってもらえると
私の生きてることを認めてもらえる気になるよ。
文章をいいねと言ってもらえることがとてもうれしい。
人生すべてをいいねと言ってもらえてるよう。。






最近、レボトミンを飲み始めてから
いらいらの発作がおさまってきている。
薬が効いていると実感するのは、ODと睡眠薬以外に初めてのこと。
すごく有り難い…。

いらいらの発作は始まると、自分ではどうしようもない
気のすむまでぐちゃぐちゃにしたり騒いだり
相手を責めて
そして泣く。
そうしてるうちにおさまる

薬をもらってからも、いらいらの発作が起こりそうになったこともあった。
そういうふうになりそうだと感じたとき
いつもならそのまま感情のままにするのが楽なので
暴れてしまうところだったけど
前に好きなひとが、私がそうなっているのは「かなしい」と
言っていたのを思い出して
すこし冷静になってレボトミンを飲んで
日記に文章を書いてみた。
うまく書けなくて、字は読めないくらいにきたなくて
でも、感情をことばにしていくと
だんだん涙が出てきた。
そうして止まらなくなった。
ぽろぽろぽろぽろ、漫画みたいに泣いた。

これは怒りを悲しみに変えたんだな、と思った。
走り出したい、や、泣いて大声で叫びたい、ものを壊したい
ぐちゃぐちゃにしたいという気持ちがすっかりおさまって
ただただかなしかった。本当に、かなしかった。
しばらく涙は止まらなかった。

泣きながら、

ここは、
かなしかったり泣くのは許されるのに
ものを壊したり大声を上げて走ったり
泣き叫んだりするのは許されない世界なんだな、と思った。
それはおんなじ気持ちなのに、
あらわれ方が違うだけなのに、と悲しかった。
きっと外からみたらまったく別のものに見えるのだろう

他のひとに分かってほしかった。
そういう世界に生きれたらいいのにと思った。
かなしいだけがいいとされる世の中、
怒りも憎しみも狂気も同じ、感情なのに。
私の場合、かなしいと怒りはとても似てる。

だけど、悲しいに変えたら大丈夫なら
こうして変えていくことが大切なのかな、とも思う。
感情をコントロールするということは、たぶんそういうことだった。
それにこの前初めて気づいた。
親にもお医者さんにももう何度も言われてきて
私はそれよりも前からずっと思って、めざしてた、
「感情をコントロールする」ということが

こんなに・・
かなしいことだと初めて知った。

やるせなくて、自分の中の感情を殺してしまったことが
とてもかなしかったよ。
これを続けていたら、すごく疲れてしまうんだろうと思った。

名もなき詩というミスターチルドレンの歌がすごく好きなんだけど
その好きなフレーズが
「あるがままの心で生きようと願うからひとはまた傷ついていく」
っていうところだった。
あるがままの心っていうのをいつも思ってた。
ありのままでいることがいちばん大切だと思ってた。
そうするのが自分をたいせつにする方法だと。


そうすることが出来ない人がたくさんいるんだ
私を含め、たくさん。
このフレーズばかり、あれから繰り返してる。

私は境界性人格障害であるとしても
この性格なり考え方が、その病気、障害に当てはまる「症状」だとしても
私は私の生き方が好きだし、これを手放すつもりはない。
もしも、BPDがすっかり治るとして、その代わりに
まったく変わった性格が用意されているとしたら
それならBPDが治らなくていい。と思う。
BPDと生きていくのは本当に大変だけど
ずっと、これで生きてきたのだから。もう私の一部なんだよ…

あるがままで生きたいんだ。

泣きたいときには泣きたい、
自然に起こる感情を、おさえたくない。
感情のままに生きるといえば、親や医者はよくないと言うだろうけど

私は私を、やっぱりやめたくないよ。