肉体を通してないものには魂は宿らない

2016年06月15日 | 日記



今日は平和を祈りつつ、真剣なお話しますね。

そしてひとりひとりが意識を持って本質を見極めて欲しいのです。

生活というのは声高に何かを叫ぶことではありません。

しかし、現在の沖縄では、そうせざる得ない現実が目の前にある事も事実なんです。

先の戦争でここ沖縄は、唯一の激しい地上戦を強いられてきました。

その体験者を通して僕らは幼い頃から、そう遠くもなかった戦争を身体に覚えてきました。

僕はご承知の通り音楽を生業としてるわけですが、

どんな職種だろうが、哲学だろうが文学だろうが、

肉体を通してないものには魂は宿らない、と僕は思っています。

僕が影響を受けた人達もみんなそうでした。

手塚治虫さん、岡本太郎さん、瀬長亀次郎さん、

ブルース・リー、スナフキン、ジョン・レノン

沖縄のおじぃーやおばぁー達もそうですよね。

僕のおじぃーは戦死してしまいましたが、

この辺で最後見かけたという噂を聞きつけ、カメおばぁーが小さい石コロを拾って来て、

今は静かにその石コロがお墓の中で眠っています。

もちろん石コロなので何も喋りません。

それでもその魂は、永遠にカメおばぁーの中に息づいていました。

沖縄も、僕も今揺れています。

そしてその揺れで多くの人達が分裂しています。

右派だの左派だの全く興味のない僕ですが、

人の弱みを見つけては、これ見よがしに暴言を浴びせかけたりする輩は見てられません。

明らかに本質を見失ってるんだ。

彼らには想像することや、他者に寄り添うことが欠如しています。

まるで国会中継でも見てるかのようです。

何度でも言います。

肉体を通してないものには魂は宿らない。

声高に叫ぶことだけではないです、静かに耳を傾ける事も大事なんです。

今回はすごく長い長文になっちゃいますが、僕の友人、そして知人からシェアさせてもらった、

沖縄でお医者さんをされてる本土の方の言葉を聞いて欲しいのです。

ギャーギャーとうるさい人達の声は、全然僕には響きませんが、

彼らの声は響くのです。

もちろんそれは、肉体を通している彼らの言葉だからです。

ほんと耳を傾けてもらいたいのです。

 



ー友人Kよりー


ゴメンね。シラフでドクはきます。
Facebook投稿もお休みします。
オキナワの悲しい事件

数字のウソ
"とうけい"では、米兵のはんざいはすくなくなってます。とうけいではオキナワケンミンのはんざいがおおいです。とうけいではザイニチ○○じんのはんざいがおおいです。
こんなことばにウンザリする。

まるで他人事
まるで物知り顔

ケーサツが、わがくにの"せーふ"が把握した数字が全て"現実"ですか? 

想像してほしい

決して人にいえないような恐怖と凄まじい陵辱を受けても、誰にも言えず相談もできず…泣き寝入りしながら墓場まで深い悲しみを持っていった女性たち

悲しみや憎悪をひたすらに隠し通した親と兄弟たちの胸をかきむしるような辛さが

統計に出るんですか?

数字のウソ

身近なお年寄りや、おじさんおばさん達に聞いてごらん

オキナワでは、拾い上げられないほど多くの悲しすぎる事を、見たり聞いたりしてるよ

あの悲しい事件も、数日で過去のニュースになるんだ。
みんな頭の隅にあっても…
おびただしい情報に流されて薄れていくんだ

おれは過去アメリカの軍人のナイスな奴らとたくさん友だちになった。 

ホントにいい奴らだったから、一部のゲス以下の犯罪者のせいで本気でココロを痛めていた海兵隊員も知ってるんだ。

「米兵の全てが悪者じゃない」ということば…

あたりまえだろ?
知ってますよ、バックネットで騒いでる人達よりもさ

数字のウソ

第三者の通報があったり
勇気ある被害届が出されたり
十分な証拠あって正式に起訴された事案が確認された犯罪の数字は、その条件において一握りの"統計上の事実"でしょうが

未確認の非業非道行為…
目撃者もなく証人もなく

被害者の心を一方的に破壊し、尊厳を踏みにじり、親から貰った大切な身体をもてあそび、平気で傷つけ、被害者の一生を狂わす冷酷残忍な体験を強いられた人たちの心の叫びは…

"とうけい"には表れない
決して数字に表れない 
絶対数字には表れない

その人にとって一生消えない"真実"なんだ

オキナワの人たちは長年の経験で知ってるんだ 

もうDNAレベルで刻み込まれてしまってるんだ

ミンナワルイヒトジャナイ

そう考えないと暮らせないんだよ

悲しすぎるだろ?

ナカニハイイヒトモイル

そうだよ、それもまた事実なんだ。

性根は愛に満ちたムリンコー(海兵隊員)をたくさん知ってるんだ。
彼らは無慈悲な任務にも絶対従うように徹底的に教育されてるんだ。

一方卑怯でズル賢いオキナワ人もたくさん知ってるんだ。
彼らは自分の損得だけ考え平気で嘘をついて他人を傷つけるんだ。

人種や国籍の問題ではないよ

でもね…
女性の存在価値や生きる喜びまで無残に引き裂かれた
被害者本人が、おぞましいその体験を誰にいえるかい?

言えば親が悲しむ…
あの人も悲しむ…
さいばんになったら…
もしも報復にあったら…

言えば自分も生きて行けない

死ぬほどの恥辱や恐怖を公けに告白できる女性が何人いるかい?

"とうけい"でオモテにでたのは一握りなんだと…
みんな知ってるんだよ

だから底知れぬ怒りがこみ上げるんだ

"とうけいでは…"
"数字のうえでは…"

そんな数字のウソのカラクリに
みんな辟易してるんだよ

もう一度いうよ
想像してほしい

あなたの妻が
あなたの娘が
あなたの妹が
あなたの最愛の人たちが

そんな目にあって

その本人にいえるのかい?

世界情勢がなんたら?
日米安保がなんたら?
歴史がなんたら?
基地問題がなんたら?
国益がなんたら?
タイミングがなんたら?

あぁ…
ココロに入らないね
ひびかないね…

「人が悲しいから
自分も悲しい」

「人が嬉しいから
自分も嬉しい」

ささやかなんだけど
そんな世の中にあこがれる

 
Kosho Ihaihaさんの写真
 
 

沖縄も僕も、みんなも揺れてます。

右派と左派の罵り合いとかよくわかんないけど、高山義浩さんの言葉にはうたがあります。

小さな地域に寄り添ってみませんか?マチヤーの復活です。

マチヤーは影の交番なんです。

エラソーな公共施設なんかより、ずっとずっと未来に必要だと僕は思います

では高山さんの言葉です。

 
 
高山義浩さんの写真
 · 
 

沖縄に住んでいることを告げると、「基地問題が大変ですね」とか、「やっぱり皆さん怒ってるんですか」とか、おそらく共感でも、同情でもない、何というか探るような質問を受けることが増えてきました。

たしかに私は沖縄県に住んでるんですが、ヤマトンチュ(本土出身者)ということもあって、米軍基地について判断を差し挟むような発言をしないようにしています。私なりの想いはあるのですが、たぶん、ウチナンチュ(沖縄の人)とはズレがあるはず。いや、だいたいウチナンチュが何を考えているか、よく分からなくなるときもあるのです。

たとえば、先月、売り場面積が県内最大(九州で2番目)のショッピングモール「沖縄ライカム」がオープンしました。赤瓦を基調にした沖縄らしいリゾート感覚で、地上5階建てに220ものテナントが入居した壮大なアーケードに、多くの沖縄県民が連日集い、楽しげに歩いています。ところで、この「ライカム」というネーミングですが、かつて北中城村にあった琉球米軍司令部("Ry"ukyu "Com"mand headquarters)の略に由来しています。これだけ基地問題に敏感な時期にライカムという名をショッピングモールにつけ、とくに疑念もなさそうにウチナンチュが集まっていることが、どうにもヤマトンチュには理解できません(私に知識と経験がないだけ ^^;)。

まあ、とっても複雑なんですよ。きっと・・・ だから、沖縄に住むヤマトンチュは誤解を招かないようにした方がいい。

ただし、本土で「沖縄の人は怒ってんですか?」と聞かれたときは、私は(福岡出身であることを断ったうえで)「いや、ほとんどの人は怒ってるというより、この状況を悲しんでいるように見えます」と答えています。その方が、私にはしっくりくるからです。

ここで話は、新型インフルエンザが流行した2009年に遡ります。

当時、私は、厚生労働省の新型インフルエンザ対策推進本部で全国の疫学情報を分析し、必要な対策について検討する仕事をしていました。そして、7月下旬頃より、全国に先駆けて沖縄県において急速にインフルエンザ患者が発生していることを憂慮していました。さらに、沖縄県の状況をいろいろな側面から検討するなかで、ある仮説が有力となってきました。それは、子どもたちのエイサーの練習です。

沖縄県では、8月の旧盆前後に、各地で催されるエイサー祭りに向けて、子どもたちがエイサーという踊りの練習をしていました。ヒトへの適応の過渡期にある新型インフルエンザは、(トリやブタの平熱に近い)高体温で効率的に感染すると言われています。このため、5月から7月の小流行においても、子どもたちが高体温になって接触するスポーツ大会での流行が目立っていたものです。

エイサーの練習はかなり怪しい・・・、流行を抑止するためにはエイサー祭りを中止させるべきではないだろうか・・・? そんな疑念をもった私は、沖縄県で感染対策の陣頭指揮をとっていたE先生に電話をかけてみました。

「エイサーまずいんじゃないですか? 中止した方がよくないですか?」と私は言いました。
「高山先生・・・、それは言っちゃだめだよ。国は言わない方がいい」とE先生。
「どうしてですか?」

「沖縄の人がね。悲しむからさ・・・」

この言葉には、ドキリとさせられました。自らの無神経さを指摘されたような気がしたからかもしれません。それ以上の説明がないまま、しばらく、電話口では沈黙が続いていました。

ついに、私は「わかりました」と言いました。「エイサーのことは沖縄にお任せしたいと思います。もし、やっぱり中止すべき状況になって、そのとき県で決定するより、国から要請した方がよいという場合には連絡ください。こちらで泥をかぶります」

「ありがとう。そのときはよろしく」とE先生は言って、電話が切られました。

実は、このあと相談した他の人からも、「悲しむ」という言葉が聞かれました。あのときは、よく分からなかったんですが、いま沖縄で暮らすようになって、何となく理解できるようなってきました。どうにもならない不条理、矛盾・・・ こうしたことに腹を立てる沖縄の人たちもいます。でも、どうすれば良いかわからず、悲しんでいる沖縄の人たちが大勢いるのです。

沖縄に暮らすヤマトンチュとして、そして医師として、これ以上、沖縄の人たちを悲しませないでほしいと思っています。沖縄の人たちの多くが、どうすれば良いかわからずにいます。それは、沖縄の責任ではありません。沖縄が解決すべき問題でもないはずです。

なかには、「沖縄は日本の安全保障を軽視している」とか、「日本を裏切って中国にすり寄ろうとしている」とか、ひどい言葉を平気で発する本土の人たちがいます。でもですね、大田中将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を引用するまでもなく、沖縄ほど日本の安全保障のために住民と土地を犠牲にしてきた県はないのですよ。また、その後のアメリカ占領下においても、日本人であろうとする想いを沖縄の人々は貫き通してくれました。どこの県民よりも、沖縄県民ほど、日本人であろうと努力した人々はいないのです。そんな真の愛国者に投げつけられる、あまりにも無知で軽率な言葉の数々に、ヤマトンチュの私ですら深い悲しみを覚えずにはいられません。

行政の役割とは、住民に泥をかけることではないと思っています。不条理とか、矛盾とか、そういう困難に直面している住民たちの前で、泥をかぶってみせるのが行政の役割じゃないでしょうか。せめて、沖縄の人たちの声に耳を傾けてください。それは、基地の前でシュプレヒコールをあげている人ばかりではありません。飛び交う砲弾と裂け散る閃光のなかを生き抜き、同胞のいのちを奪った軍隊に占領され、依存して生きるように求められ、それでも日本人のひとりとして繁栄の時代を築いて、そして静かに年老いている沖縄の人。そんな人たちに向かい合うことができずに、いったいどんな政治があるのかなと・・・ そう感じています。

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僕はこの高山さんの、静かだけど真摯な言葉には胸打たれました。
 
僕は30年ずっとマチヤーの復活を望んできました。

小ちゃなことからなんです。何気ない生活の中で大事なものを、

失ったものをまた育むこと。

年中日夜開け続け、いつでも食できる便利なコンビニもいいでしょう、

でも健康健康と騒ぎ立てている昨今、医学が進歩してるわりには増え続ける患者を見るにつけ、

なんか物凄い世の中の矛盾を感じたりします。

とあるおばぁーが、コンビニの前でたむろする若者に言いました。

「お茶はお家に帰ってゆっくり飲むものだよ〜」ってね。

みなさん、たくさんの言葉を聞いてくれてありがとう。

最後にこの映像観てもらいたい。

虚像と実像。本質を見極めなければ、いつまでも世界はこのままだ。

根源を立つ。それ以外の平和はありえないのです。

 

空席の国会演説 バーニー・サンダース 1991年 (日本語字幕)

 

 
 
 
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僕と英国女子

2016年06月15日 | 日記



昔から英国女子の声が大好きなんだ。

ヘレン・シャピロやペトゥラ・クラークに始まり、 ジャッキー・マクシー、サンディ・デニー、

マリアンヌ・フェイスフルやヴァシュティ・バニヤンまで多数。

どうしても英国の場合、その抜けない空や空気感、閉塞感と若者達、なんてイメージがあってね。

これが僕の五感を刺激するわけだ。勝手な思い込みですが(笑)

 


まずはこの人ヘレン・シャピロ。「you don't no」もうこれが決定的な英国女子と僕の出会いです。

HELEN SHAPIRO - YOU DON'T KNOW

その野太い声、彼女当時14歳ですよ!あーたぁ!!!

ほんと大好き!子供の頃から聴き続けてるのにまったく飽きない。。

 


そしてペトゥラ・クラーク!この「恋するダウンタウン」。。もう涙腺決壊でございます・・。

Petula Clark Downtown. original version

若きウィノナ・ライダーやアンジェリーナ・ジョリーが出演してた、

映画「17歳のカルテ」の中でも使用されてましたが、その映画の良さも手伝ってか、

その時も僕は涙腺完全決壊でしたな。。はは。

なぜこんなにキュンキュンとするんだろう?

もうイントロのピアノから来ますが、歌い出すと急に静かになったりして、

凄く変わった構成の曲なのですが、そこがまた英国的な魅力なのです。

昔はね、よくラジオから流れてたんだよ。それもAMね。

こういう古い曲は断然AMで聴くのがいんだな。

 

 


ジャッキーマクシーはやっぱこれでしょう!

 Pentangle - Hunting Song

 

この映像を昔手に入れた時の興奮は忘れられません。

僕の大好きな英国的なアコースティックバンド「ペンタングル」。

なんたって英国を代表するフィンガーピッカーのジョン・レンボーンとバート・ヤンシュが在籍してましたし、

奇才ダブルベースのダニー・トンプソン(彼の参加作品はなんでも好き!)、

木こり吟遊詩人ドラムのトニー・コックス 。とにかく破格の集合体なのです。

ジャッキーってどこか浮世離れしてるというか、妖精のような、

どこかムーミン谷にでも住んでいそうなムードいっぱいなんですよね。

その風貌や声も相まってヨーロッパの神秘って感じです。

そういえばジャッキー来月来日するんだよ。うちのガチャピンさん観に行く!って張り切ってました。

興味のある方は是非!

 

Sandy Denny - The Quiet Land of Erin

 


サンディ・デニーはとにかくミュージシャンズミュージシャンという人で、

レッド・ツェッペリンを始めその筋ではファンが多い事でも知られています。

ツェッペリンの「限りなき戦い」でロバート・プラントとデュエットしてるのが彼女で、

そこからロックファンにも広く知られていくことになります。

 サンディは「Who Knows Where the Time Goes?」、「Crazy Lady Blues」

Late Novembe」とオリジナル曲も素晴らしいのですが、

「Green Grow the Laurels」や「Fhir a Bhata」といった伝承歌を歌わすと凄まじい威力を発揮します。

なので、ここではこの「The Quiet Land of Erin」を紹介。

名曲ですよね。

最初僕はこの曲、アメリカのフォークシンガーが歌ってるのを聴いて好きになったのですが、

元々アイルランド民謡で、ここでもなんかひとつアメリカンフォーク・ミュージックへと繋ぐ、

強い糸のようなものを感じたんです。

それをサンディが歌うのですから、これまた涙腺決壊でありまして。

これはサンディが自宅録音(カセット?)したもので、後に海賊盤の形で世に出ます。

僕もこの曲聴きたさにやっと探したのですが、けして良質な音源ではないですが、

この美しい声を前にすると音質なんぞどうでも良くなっちゃいます。

サンディは31歳の若さでこの世を去る事になるのですが、

その伝説は永遠に語り継がれることでしょう 。

 


返り咲いた歌姫ヴァシュティ・バニヤン

 Vashti Bunyan - Just Another Diamond

Day


その牧歌的な素朴で叙情的な歌に、ぼくは瞬時で魅了されました。

ギターに笛がからみ、優しいそよ風のような声が響いた瞬間、

ふわぁ〜と英国の田園風景が目の前に広がります。

もう僕なんかヴァシュティを聴くと、こう深い森の名へ迷い込んだような気分になって、

幻でも見てるような錯覚さえ起こします。

やっぱお城の国ですし、環境が音楽を育んでいくのが手に取るように分かりますよね。

ヴァシュティは元々スウィンギン・ロンドンを闊歩してるような女の子だったらしく、

このアルバム以前はポップな作品をたくさん残してて、

ミック・ジャガーやキース・リチャードのプロデュース、

"Some Thing Just Stick In Your Mind"という曲でデビューしています。

このアルバムを最後にヴァシュティは音楽シーンから遠ざかるのですが、

突如90年代後半から復活して新作もリリースして、確か来日公演も行ないました。

こういうシンガーとデュエットしたいです!ぼかぁ〜。。

さぁちゃんの「僕が君を見つけたあの夏は」も相当凄いですよ!

そうですね、ヴァシュティだったら「舵のない舟」か「cherry feilds」辺りを一緒に歌いたいな。

妄想ですのでほっておいてね(笑)

こういう素晴らしい作品がCDで再発されるなんて、ほんと幸せな時代です。

このアルバムのオリジナル盤は何でも高値で取引されてるらしく、

僕は再発でリリースされたアナログ盤を大事に聴いています。



 

そして大トリがマリアンヌ・フェイスフル嬢。

まさに60年代のスウィンギン・ロンドン象徴のような天使マリアンヌ。

もうこの愛くるしい表情に若き日の僕と悪友のNはメロメロでした!



 Marianne Faithfull - Yesterday (with lyrics)


まずは敢えて嫌いな「 Yesterday」から(笑)

なぜにこの Yesterday」を嫌いかと申しますとですね、

小学校の時だっけ?

廊下でほうきか何か片手に持って、気分よく「エスタデ〜」なんて僕が歌ってたんです。

すると僕に近づいて来たハーフの女の子が言ったんですね、

「あんたの英語でたらめだから!」と。

ガビ〜ン。。それ以来廊下で軽く歌う事なんか出来なくなりましよ、そりゃ〜さ。

あの娘元気かな?

会って「エスタデ〜」なんてまた聴かせたいな。

「今も全然ダメ!」とか言われたりして(笑)

そういや10代の頃、その悪友Nと「OH マリアンヌ」って歌作ったっけ。

どんな歌詞だったか忘れたけど、ミックをこき下ろした内容なのはしっかり覚えてる。ハハ、青春だーね。。

確かベースの牧さんもマリアンヌ大好きで「ミックなんか大嫌いっ!」って言ってましたね。

もしかしてマリアンヌ好きはみんなミック嫌い?

彼女は今では女優さんで有名ですが、当時は歌手としても人気でした。

マリアンヌは歌がどうというよりですね、ただたんにこのムードにまどろんでいたい!みたいな(笑)

この Yesterday」の美しさにみんなやられちゃって下さい!

でも「As Tears Go By」だけはミックよりマリアンヌの方が好きかな。

そして珍しい、66年パリはオランピア劇場での公演から。


 Marianne Faithfull - Live at L’Olympia, 1966 (Come & Stay With Me, Plaisir D'Amour, As Tears Go By)


この映像観てびっくりしたのですが、なんとギターがあのジョン・マークさん!



殆ど方が知らないと思われますが、あの英国メソメソ男のジョン・マークさんです。

このアルバムで75年にソロデビューするマークさんですが、60年代ロンドンでスタジオの仕事してたり、

ミックやニッキー・ホプキンスと交流があったことは知ってましたが、

マリアンヌの伴奏者として巡業してたとは知りませんでした。。これは貴重な映像ですぞ。

このマークさんのアルバムもよく亮くんと聴きましたね〜

「亮、今夜はメソメソしてぇーか!メソメソグズグズしてぇーか!」みたいな感じで(笑)

この爆音小僧はですね、実はこういう映像的なセンチなメソメソ音楽も好物なんだ。

マークさんは霧がかったようなベルベット・ヴォイスでですね、

のっけからメソメソとやられちゃうよ。

そういえばいつも亮くんは間奏のガッドギターが入って来るとこで、「ヤバイヤバイ!」と連呼してましたね。はは。

 

Jon Mark - Signal Hill


 


Skydust

Koko