今日は平和を祈りつつ、真剣なお話しますね。
そしてひとりひとりが意識を持って本質を見極めて欲しいのです。
生活というのは声高に何かを叫ぶことではありません。
しかし、現在の沖縄では、そうせざる得ない現実が目の前にある事も事実なんです。
先の戦争でここ沖縄は、唯一の激しい地上戦を強いられてきました。
その体験者を通して僕らは幼い頃から、そう遠くもなかった戦争を身体に覚えてきました。
僕はご承知の通り音楽を生業としてるわけですが、
どんな職種だろうが、哲学だろうが文学だろうが、
肉体を通してないものには魂は宿らない、と僕は思っています。
僕が影響を受けた人達もみんなそうでした。
手塚治虫さん、岡本太郎さん、瀬長亀次郎さん、
ブルース・リー、スナフキン、ジョン・レノン。
沖縄のおじぃーやおばぁー達もそうですよね。
僕のおじぃーは戦死してしまいましたが、
この辺で最後見かけたという噂を聞きつけ、カメおばぁーが小さい石コロを拾って来て、
今は静かにその石コロがお墓の中で眠っています。
もちろん石コロなので何も喋りません。
それでもその魂は、永遠にカメおばぁーの中に息づいていました。
沖縄も、僕も今揺れています。
そしてその揺れで多くの人達が分裂しています。
右派だの左派だの全く興味のない僕ですが、
人の弱みを見つけては、これ見よがしに暴言を浴びせかけたりする輩は見てられません。
明らかに本質を見失ってるんだ。
彼らには想像することや、他者に寄り添うことが欠如しています。
まるで国会中継でも見てるかのようです。
何度でも言います。
肉体を通してないものには魂は宿らない。
声高に叫ぶことだけではないです、静かに耳を傾ける事も大事なんです。
今回はすごく長い長文になっちゃいますが、僕の友人、そして知人からシェアさせてもらった、
沖縄でお医者さんをされてる本土の方の言葉を聞いて欲しいのです。
ギャーギャーとうるさい人達の声は、全然僕には響きませんが、
彼らの声は響くのです。
もちろんそれは、肉体を通している彼らの言葉だからです。
ほんと耳を傾けてもらいたいのです。
ー友人Kよりー
ゴメンね。シラフでドクはきます。
Facebook投稿もお休みします。
オキナワの悲しい事件
数字のウソ
"とうけい"では、米兵のはんざいはすくなくなってます。とうけいではオキナワケンミンのはんざいがおおいです。とうけいではザイニチ○○じんのはんざいがおおいです。
こんなことばにウンザリする。
まるで他人事
まるで物知り顔
ケーサツが、わがくにの"せーふ"が把握した数字が全て"現実"ですか?
想像してほしい
決して人にいえないような恐怖と凄まじい陵辱を受けても、誰にも言えず相談もできず…泣き寝入りしながら墓場まで深い悲しみを持っていった女性たち
悲しみや憎悪をひたすらに隠し通した親と兄弟たちの胸をかきむしるような辛さが
統計に出るんですか?
数字のウソ
身近なお年寄りや、おじさんおばさん達に聞いてごらん
オキナワでは、拾い上げられないほど多くの悲しすぎる事を、見たり聞いたりしてるよ
あの悲しい事件も、数日で過去のニュースになるんだ。
みんな頭の隅にあっても…
おびただしい情報に流されて薄れていくんだ
おれは過去アメリカの軍人のナイスな奴らとたくさん友だちになった。
ホントにいい奴らだったから、一部のゲス以下の犯罪者のせいで本気でココロを痛めていた海兵隊員も知ってるんだ。
「米兵の全てが悪者じゃない」ということば…
あたりまえだろ?
知ってますよ、バックネットで騒いでる人達よりもさ
数字のウソ
第三者の通報があったり
勇気ある被害届が出されたり
十分な証拠あって正式に起訴された事案が確認された犯罪の数字は、その条件において一握りの"統計上の事実"でしょうが
未確認の非業非道行為…
目撃者もなく証人もなく
被害者の心を一方的に破壊し、尊厳を踏みにじり、親から貰った大切な身体をもてあそび、平気で傷つけ、被害者の一生を狂わす冷酷残忍な体験を強いられた人たちの心の叫びは…
"とうけい"には表れない
決して数字に表れない
絶対数字には表れない
その人にとって一生消えない"真実"なんだ
オキナワの人たちは長年の経験で知ってるんだ
もうDNAレベルで刻み込まれてしまってるんだ
ミンナワルイヒトジャナイ
…
そう考えないと暮らせないんだよ
悲しすぎるだろ?
ナカニハイイヒトモイル
そうだよ、それもまた事実なんだ。
性根は愛に満ちたムリンコー(海兵隊員)をたくさん知ってるんだ。
彼らは無慈悲な任務にも絶対従うように徹底的に教育されてるんだ。
一方卑怯でズル賢いオキナワ人もたくさん知ってるんだ。
彼らは自分の損得だけ考え平気で嘘をついて他人を傷つけるんだ。
人種や国籍の問題ではないよ
でもね…
女性の存在価値や生きる喜びまで無残に引き裂かれた
被害者本人が、おぞましいその体験を誰にいえるかい?
言えば親が悲しむ…
あの人も悲しむ…
さいばんになったら…
もしも報復にあったら…
言えば自分も生きて行けない
死ぬほどの恥辱や恐怖を公けに告白できる女性が何人いるかい?
"とうけい"でオモテにでたのは一握りなんだと…
みんな知ってるんだよ
だから底知れぬ怒りがこみ上げるんだ
"とうけいでは…"
"数字のうえでは…"
そんな数字のウソのカラクリに
みんな辟易してるんだよ
もう一度いうよ
想像してほしい
あなたの妻が
あなたの娘が
あなたの妹が
あなたの最愛の人たちが
そんな目にあって
その本人にいえるのかい?
世界情勢がなんたら?
日米安保がなんたら?
歴史がなんたら?
基地問題がなんたら?
国益がなんたら?
タイミングがなんたら?
あぁ…
ココロに入らないね
ひびかないね…
「人が悲しいから
自分も悲しい」
「人が嬉しいから
自分も嬉しい」
ささやかなんだけど
そんな世の中にあこがれる
沖縄も僕も、みんなも揺れてます。
右派と左派の罵り合いとかよくわかんないけど、高山義浩さんの言葉にはうたがあります。
小さな地域に寄り添ってみませんか?マチヤーの復活です。
マチヤーは影の交番なんです。
エラソーな公共施設なんかより、ずっとずっと未来に必要だと僕は思います
では高山さんの言葉です。
沖縄に住んでいることを告げると、「基地問題が大変ですね」とか、「やっぱり皆さん怒ってるんですか」とか、おそらく共感でも、同情でもない、何というか探るような質問を受けることが増えてきました。
たしかに私は沖縄県に住んでるんですが、ヤマトンチュ(本土出身者)ということもあって、米軍基地について判断を差し挟むような発言をしないようにしています。私なりの想いはあるのですが、たぶん、ウチナンチュ(沖縄の人)とはズレがあるはず。いや、だいたいウチナンチュが何を考えているか、よく分からなくなるときもあるのです。
たとえば、先月、売り場面積が県内最大(九州で2番目)のショッピングモール「沖縄ライカム」がオープンしました。赤瓦を基調にした沖縄らしいリゾート感覚で、地上5階建てに220ものテナントが入居した壮大なアーケードに、多くの沖縄県民が連日集い、楽しげに歩いています。ところで、この「ライカム」というネーミングですが、かつて北中城村にあった琉球米軍司令部("Ry"ukyu "Com"mand headquarters)の略に由来しています。これだけ基地問題に敏感な時期にライカムという名をショッピングモールにつけ、とくに疑念もなさそうにウチナンチュが集まっていることが、どうにもヤマトンチュには理解できません(私に知識と経験がないだけ ^^;)。
まあ、とっても複雑なんですよ。きっと・・・ だから、沖縄に住むヤマトンチュは誤解を招かないようにした方がいい。
ただし、本土で「沖縄の人は怒ってんですか?」と聞かれたときは、私は(福岡出身であることを断ったうえで)「いや、ほとんどの人は怒ってるというより、この状況を悲しんでいるように見えます」と答えています。その方が、私にはしっくりくるからです。
ここで話は、新型インフルエンザが流行した2009年に遡ります。
当時、私は、厚生労働省の新型インフルエンザ対策推進本部で全国の疫学情報を分析し、必要な対策について検討する仕事をしていました。そして、7月下旬頃より、全国に先駆けて沖縄県において急速にインフルエンザ患者が発生していることを憂慮していました。さらに、沖縄県の状況をいろいろな側面から検討するなかで、ある仮説が有力となってきました。それは、子どもたちのエイサーの練習です。
沖縄県では、8月の旧盆前後に、各地で催されるエイサー祭りに向けて、子どもたちがエイサーという踊りの練習をしていました。ヒトへの適応の過渡期にある新型インフルエンザは、(トリやブタの平熱に近い)高体温で効率的に感染すると言われています。このため、5月から7月の小流行においても、子どもたちが高体温になって接触するスポーツ大会での流行が目立っていたものです。
エイサーの練習はかなり怪しい・・・、流行を抑止するためにはエイサー祭りを中止させるべきではないだろうか・・・? そんな疑念をもった私は、沖縄県で感染対策の陣頭指揮をとっていたE先生に電話をかけてみました。
「エイサーまずいんじゃないですか? 中止した方がよくないですか?」と私は言いました。
「高山先生・・・、それは言っちゃだめだよ。国は言わない方がいい」とE先生。
「どうしてですか?」
「沖縄の人がね。悲しむからさ・・・」
この言葉には、ドキリとさせられました。自らの無神経さを指摘されたような気がしたからかもしれません。それ以上の説明がないまま、しばらく、電話口では沈黙が続いていました。
ついに、私は「わかりました」と言いました。「エイサーのことは沖縄にお任せしたいと思います。もし、やっぱり中止すべき状況になって、そのとき県で決定するより、国から要請した方がよいという場合には連絡ください。こちらで泥をかぶります」
「ありがとう。そのときはよろしく」とE先生は言って、電話が切られました。
実は、このあと相談した他の人からも、「悲しむ」という言葉が聞かれました。あのときは、よく分からなかったんですが、いま沖縄で暮らすようになって、何となく理解できるようなってきました。どうにもならない不条理、矛盾・・・ こうしたことに腹を立てる沖縄の人たちもいます。でも、どうすれば良いかわからず、悲しんでいる沖縄の人たちが大勢いるのです。
沖縄に暮らすヤマトンチュとして、そして医師として、これ以上、沖縄の人たちを悲しませないでほしいと思っています。沖縄の人たちの多くが、どうすれば良いかわからずにいます。それは、沖縄の責任ではありません。沖縄が解決すべき問題でもないはずです。
なかには、「沖縄は日本の安全保障を軽視している」とか、「日本を裏切って中国にすり寄ろうとしている」とか、ひどい言葉を平気で発する本土の人たちがいます。でもですね、大田中将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を引用するまでもなく、沖縄ほど日本の安全保障のために住民と土地を犠牲にしてきた県はないのですよ。また、その後のアメリカ占領下においても、日本人であろうとする想いを沖縄の人々は貫き通してくれました。どこの県民よりも、沖縄県民ほど、日本人であろうと努力した人々はいないのです。そんな真の愛国者に投げつけられる、あまりにも無知で軽率な言葉の数々に、ヤマトンチュの私ですら深い悲しみを覚えずにはいられません。
行政の役割とは、住民に泥をかけることではないと思っています。不条理とか、矛盾とか、そういう困難に直面している住民たちの前で、泥をかぶってみせるのが行政の役割じゃないでしょうか。せめて、沖縄の人たちの声に耳を傾けてください。それは、基地の前でシュプレヒコールをあげている人ばかりではありません。飛び交う砲弾と裂け散る閃光のなかを生き抜き、同胞のいのちを奪った軍隊に占領され、依存して生きるように求められ、それでも日本人のひとりとして繁栄の時代を築いて、そして静かに年老いている沖縄の人。そんな人たちに向かい合うことができずに、いったいどんな政治があるのかなと・・・ そう感じています。
空席の国会演説 バーニー・サンダース 1991年 (日本語字幕)