テレサテンが、
正確にはテレサの歌が嫌いだった時期があった。
あのいわゆるテレサが"不倫ソングの女王"だった頃の話。
時代が時代だとはいえ、やれ不倫は文化だとか、
とにかく世の中は歌もドラマも、そういう世界に上手く便乗してた。
テレサのデビューは、70年代初めから始まった外国人歌手ブーム時で、
欧陽菲菲やアグネスチャン等と混ざって、
どやどやと登場した感じだった。
イメージ的にはド派手な欧陽菲菲、可愛らしいアグネスチャン、
テレサはどちかと言えば地味な印象な歌手だった。
しかし、それが80年代に入ると、テレサは見事に化けた。
時代と共に化けたのだった。
純朴なイメージがあったテレサはどちかと言えば好きだったんだけど、
この一連の不倫ソングが嫌いだった。
テレサがどうこう以前に作詞家に嫌悪感を抱いた。
なんちゅー歌テレサに歌わせてんねん !みたいな。
でもこの嫌悪感の理由には、実は当時付き合ってた彼女にも原因があった。
はは、こんな話していいんかい。
当時お付き合いしてた娘が夜おアルバイト始めちゃって、
当時はカラオケのクオリティーがもの凄く上がった時期で、
その店は連夜たくさんの客で賑わってた。
でだな、
彼女の仕事としてはだな、
カラオケを客と歌うというのも含まれてるわけで、
よくステージで客と歌わされてた。
そうそう、当時は恐ろしいことにステージに上がり、
カラオケをお客さん全員の前で歌うというシステムだった。
どこもかしこもカラオケは。
で、その時よく彼女が歌わされてた(あくまでも)曲が、
例のテレサの不倫ソングだったわけだ。
♪優し過ぎたのあなた〜♪つーて。
♪明日は他人同士になる二人♪つーて。
いや、単純に、
なんでお前が俺の好きな娘と馴れ馴れしく歌ってんだよ!
なんて嫉妬心のようなものがあったかもしんない。
理由はどうあれ、
それからテレサの一連のこの辺の歌が嫌いになったのだ。
もちろんテレサ自身に罪はない。
しかし不思議なもので、あんなに毛嫌いしてたこの辺の曲が、
最近妙にいい感じに沁み入るんですな。
当時はそういう世界が大っ嫌いな若者であったんだけど、
今なら曲書く人間として、
その辺りの曲もゆっくり聞き込む事が出来るようになった。
今ならプロの仕事として作詞家 作曲家の素晴らしさがわかるんだ。
特に「時の流れに身をまかせ」の
♪だからお願いそばに置いてね♪
の歌詞とメロディーのハマり具合ったらない。
匹敵するのは聖子ちゃんの「赤いスイトーピー」
ぐらいしか思いつかないぐらい。
そしてやっぱりテレサの柔らかい歌唱だよね。
不倫ソングというのは向こうのソウルミュージックにも多いのですが、
テレサのそれはちょっと違う。
純朴で弱々しいテレサが歌うから、
この世界観が成り立ってる…。
これはテレサ以外の歌手ならこうはならない。
♪だからお願いそばに置いてね♪なんて、
やはり小柳ルミ子や欧陽菲菲じゃこうはならない(しつれい笑)
渡辺真知子や大橋純子のような、
歌力がある人達でももちろん不可能だったと思う。
やっぱテレサのこの柔らかさじゃないと、
きっと同性から共感を得なかっただろう。
しかしやはり、
荒木とよひさ・三木たかしの仕事は、
ユーミンに負けぬほどの策士ぶりですな。。
おじさん二人が夜な夜なこういう歌世界を、
作り上げてると思うと怖い気もしますが、
この二人じゃなかったら、
テレサの再ブレイクもなかったかのかもしれません。
そういや昔WALTZのMr.T.Kが「ホテル」というどうしようもない、
救いようのない不倫ソングよく歌ってた。
♪一度でいいからあなたの肌に爪を立てたい♪
なんてホントどうしようもないオチなんだけど、
そこでこのアホは事もあろうかこぶしを効かすんよ、、、
死なしたぁーい!
つうか、ここであいつがこぶし回す度に、
決まって僕らはT.Kにピーナッツを投げつけてた♪
あいつ元気かな?
またピーナッツ投げたいなぁ♪
でもうちのお袋なんかテレサが好きで、よく一緒に歌ってた。
きっと女性は感覚的に、不倫ソングがどうのこうの以前に、
テレサの柔らかさを理解出来たのかもしれないね。
でも僕が1番テレサの歌で心に残ってる曲が、
この「私の家は山の向こう」。
テレサが関係者や家族の制止を振り切り参加した、
有名な89年の民主化支援コンサートで歌った歌だ。
か弱い女性像を演じる日本での彼女とは違い、
叫びにも近いそのリアルな歌に僕は胸を打たれた。
その感動はサムの歌った「A CHANGE IS GONNA COME」以来だった。
テレサ・テン「我的家在山的那一邊(私の家は山の向こう)」(日本語字幕あり)