11月14日 午前中眼鏡橋と唐寺を訪ねてみました
8:00 静かな朝です 長崎名物市電が通り過ぎました

ホテルから徒歩で20分 市内中心を流れる中島川にかかる眼鏡橋が近づきました

名前の由来は川面に映った影が双円を描き眼鏡に見えるのでズバリ眼鏡橋!
寛永11年(1634)に、日本最古の唐寺である興福寺の2代住職唐僧・
黙子如定(もくすにょじょう)が架設した日本最初の唐風石橋。
江戸の日本橋、岩国の錦帯橋と共に日本三橋の一つといわれている。
この眼鏡橋、なんと!皇居・二重橋のモデルでもある





川から少し登ってお寺が並ぶ通りに出ました

日本初の黄檗宗の唐寺である興福寺は、中国・明の商人が長崎と行き来をはじめた頃に
渡来した中国人が元和6年(1620)、航海安全を祈願してこの地に小庵を建てたことが
起源となっている。
そして、当時は幕府のキリスト教禁令が激しく長崎在住の中国人にもキリシタンの
疑いがかかったため
興福寺を筆頭に仏教徒であることを証明するために次々に唐寺が建てられていった。

崇福寺

お昼は中学時代の同級生4人でとランチして楽しい一時を過ごしました
2時によこはまからのウォーク仲間を駅でお迎えして観光タクシーで市内観光へ
観光の様子は次回お楽しみに!
8:00 静かな朝です 長崎名物市電が通り過ぎました

ホテルから徒歩で20分 市内中心を流れる中島川にかかる眼鏡橋が近づきました

名前の由来は川面に映った影が双円を描き眼鏡に見えるのでズバリ眼鏡橋!
寛永11年(1634)に、日本最古の唐寺である興福寺の2代住職唐僧・
黙子如定(もくすにょじょう)が架設した日本最初の唐風石橋。
江戸の日本橋、岩国の錦帯橋と共に日本三橋の一つといわれている。
この眼鏡橋、なんと!皇居・二重橋のモデルでもある





川から少し登ってお寺が並ぶ通りに出ました

日本初の黄檗宗の唐寺である興福寺は、中国・明の商人が長崎と行き来をはじめた頃に
渡来した中国人が元和6年(1620)、航海安全を祈願してこの地に小庵を建てたことが
起源となっている。
そして、当時は幕府のキリスト教禁令が激しく長崎在住の中国人にもキリシタンの
疑いがかかったため
興福寺を筆頭に仏教徒であることを証明するために次々に唐寺が建てられていった。

崇福寺

お昼は中学時代の同級生4人でとランチして楽しい一時を過ごしました
2時によこはまからのウォーク仲間を駅でお迎えして観光タクシーで市内観光へ
観光の様子は次回お楽しみに!