いつも利用している図書館の新着本の棚で目についたので手に取ってみました。
ブルーバックスの新刊でこの手のタイトルだと、かなり気になります。よくありがちなテーマですが、メジャーな遺跡や建造物を取り上げているので解説もイメージしやすいですね。
紹介されている数々のネタの中から、特に私の関心を惹いたところをいくつか覚えとして書き留めておきます。
まずは、第3章で述べられている「エジプトとギリシャの違い」。
(p129より引用) 古代エジプト人の優れた技術、科学は非常に実践的、体験的なもので、彼らはそれらを普遍的な法則あるいは原理として遺してくれていない。特にピラミッドに関する技術については、それが「ファラオの墳墓」であり盗掘を防ぐためなのか、かの膨大な量のパピルスにもまったく記録されていないのである。古代エジプト人は、「〝科学者、というよりも優れた技術者」であった。
一方、古代エジプト人から多くの技術を学び、習得した古代ギリシャ人は、実践的経験よりもむしろ事象、現象から法則や定理を導き出すのを好んだようである。
一言でいえば “技術者と科学者の違い” ということですが、この指摘は、なるほどと首肯できますね。
もうひとつ、こちらは私たちにも身近な話題です。「土器」の位置づけについて解説されたくだり。
(p273より引用) 古代人の生活において、土器の発明は画期的であり、それまでの彼らの生活様式を一変させた。土器の発明によって、古代人は食物を煮て食べられるようになった。従来は食べられなかった物、特に、多くの植物類が食料として利用できるようになったのである。・・・ じつは、この土器の発明こそ、人類が化学変化、すなわち「科学」を応用した最初の発明なのである。
土器や陶磁器、ガラスや耐火煉瓦などは、総じて“セラミックス”とよばれる。セラミックスこそが、人類が“科学”で得た最初の人工材、人工石であった。
「セラミックス」は、現在社会を支える半導体の素材です。今につながる発明が古代アジアの土器を源としているというのは興味深い指摘ですね。
さて、本書を読んで最も印象に残ったフレーズを最後に紹介します。
(p313より引用) 現代社会では、何事も「経済性」と「効率」を最優先し、ともすると目先のことさえうまくつくろえば通用し、社会もそれを是認している風潮がある。
しかし、古代の技術者たち、それ以前に、古代社会そのものや彼らに「仕事」をさせた古代世界の支配者・指導者たちは、「経済性」や「効率」などを考えることなく、後世に遺せるほんとうによいものを求めたのであろう。技術者たちも、限られた材料、機材の中で、精一杯の智慧をはたらかせ、急ぐことなくたっぷりと必要な時間を費やしたのであろう。そして、彼らは自分たちに課せられた責任感と、それをまっとうすることの誇りをもっていたはずである。古代社会では、彼らの責任感と誇りが正当に評価され、称えられたに違いない。
「コスパ(コスト・パフォーマンス)」はともかく「タイパ」なる言葉が世に流布していますが、正直、その浅薄さには閉口しています。
“旧式の人間” 故なのでしょうが、なるほど、「あとがき」に記されたこの志村さんの指摘は、完全に納得です。