少し前に本書の前作を読んだのですが、一味違った視点に感化されました。
前作出版後も「NHKラジオ深夜便」の名物コーナーは継続していて、本書は、その内容を第2作目として採録したものです。
先の投稿と同様、その中から特に印象に残った部分をいくつか書き留めておきます。
まずは、「中島敦ー自分にふさわしくないことが起きるという絶望に」の章から、小説「李陵」の一節を引用した頭木さんの言葉です。
(p55より引用)
常々、彼は、人間にはそれぞれその人間にふさわしい事件しか起こらないのだという一種の確信のようなものを有っていた。
たとえ始めは一見ふさわしくないように見えても、少なくともその後の対処のし方によってその運命はその人間にふさわしいことが判ってくるのだと。
これも、そうではなかった、と言っています。
これはとても重要なことだと思います。
他人から見ると、その人の人生にふさわしい出来事のように見えてしまいますが、当人にとっては、いつまでたっても、どういうふうに対処しても、自分にふさわしいとは思えないということです。
中島敦自身は、自分の人生を、自分にふさわしいとは、まったく思っていなかったということですね。
よく「人には、耐えられない試練は与えられない」といわれますが、現実を直視するとやはりそうではないこともあるのです。
2つめは、「ベートーヴェンー最も失いたくないものを失うという絶望に」の章から。
難聴に苦しむベートーヴェンは「ハイリゲンシュタットの遺書」のなかで「希望よ、悲しい気持ちで、おまえに別れを告げよう。」と記しました。
“希望を捨てて絶望へ”、頭木さんはこう語ります。
(p98より引用) 常に希望を持つのがいいと言われますけれど、決して必ずしもそうではないんですね。・・・絶望も、もちろん歪みますけれど、希望だって、やっぱり人を歪めることがあるんですね。
ベートーヴェンは希望に別れを告げますけど、つまり、治そうとあがくよりも、難聴の中で曲を作っていく決意をするわけですね。そこから名作が生まれるわけです。
絶望というのは、普通イメージすると、荒れ果てた荒野みたいなイメージですよね。それこそ草も木も生えないみたいな。
でも、実際には、絶望というのは、けっこう豊かな面もあると思うんです。何も取れない土地ではなくて、けっこう肥沃な、いろんなものが収穫できる土地でもあると思うんですよね。絶望したからこそ、いろんなことにも気づけるし、いろんな思いを抱くし、心も動くし。その中から美しい曲が生まれるというのは、やっぱりありうることですよね。
いつまでも一縷の希望に縋るよりは、ということですが、ここに至るのもまた大変辛いことでしょう。
やはり “絶望” は避けられるものなら避けたいものですが、もしそういう立場になったら、頭木さんの指摘を思い起こして、気持ちを切り替えてセカンドベストに向かうということですね。
ベートーヴェンについての頭木さんのコメントをもうひとつ。
“そうなっていないが故の発露” の実例とそこに感じる現実感です。
(p117より引用) 交響曲第六番『田園』が、実際にはもう聞こえない、想像の田園を描いているから美しいのと同じで、『歓喜の歌』も、手に入らない歓喜にあこがれている者が、必死で手をのばすようにして書いているからいいのではないでしょうか?
だから、これを聴いて感激するのは、歓喜している陽気な明るい人ではなくて、むしろ、悲しみを抱えていたり、苦悩したりしている人ではないでしょうか。
これもまた滋味のある解説ですね。
そして、3つめ。「川端康成ー矛盾を抱えて生きるしかないという絶望に」の章から。
自殺を否定しながら自らその道を辿った川端康成の魅力を頭木さんは “人間らしい一貫性のなさ” にあると話します。
(p212より引用) 人って、自分というものの一貫性を保とうとしますよね。「自分はこういう人間だ」っていうふうに思ったら、そういう人間であろうとするじゃないですか。・・・
でも川端康成は、そういう一貫性をあまり信じていないというか、重視していないというか、前に言ったことと後に言ったことがちがってもいいんじゃないかみたいなところがあるように思うんです。揺れ動いている感じが、すごくするんですよね。
本当は人間、かなり一貫性のない、ふらふらしたものだと思うんです。昨日はやさしくて、今日は冷たいなんていうことのほうが、むしろ本当だったりするわけじゃないですか。・・・
川端康成は、人を見つめ、自分もすごく見つめていた人だからこそ、ゆらゆらしているものとして人間をとらえていたんじゃないでしょうか。
ここでいう “一貫性の有無” ですが、私のように “個としての精神性” を真剣に顧みたことのない人間が示す姿とは全く別物なのでしょうね。「人を見つめ、自分もすごく見つめていた人だからこそ」というくだりの重さを痛感します。
さて、本書、前作に劣らず、とても考えさせられる刺激的な内容の著作でしたが、こういう視点からの頭木さんの本をもう一冊見つけました。またいつか読んでみたいと思います。