OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

俺のコストダウン (俺の考え(本田 宗一郎))

2007-01-08 14:48:25 | 本と雑誌

Honda_nsx  先のBlogに、「本田氏は、(予想外?に)バランスのとれた実践的な考え方の持ち主である」と書きました。
 以下に示すような、「コストについての考え方」にも表れています。

(p88より引用) いったい、コストというものをどういうふうに考えるべきだろうか。
 私は材料を仕入れて、商品をつくって、販売してお客さんからおカネが入るまでの経費いっさいがコストと考えるべきだと思う。ところが工場は工場だけのコストを考えるところに間違いがあるのだ。・・・だから一つの企業におけるコストというものは、そこまで一貫して、販売店のセールスのことまで考え、銀行の金利まで考えたところのものでいくらだということで考えるべきである。

 まさに「部分最適」と「全体最適」の問題です。
 本田氏は、バリューチェーンを広く捉えます。

(p89より引用) ところが、工場だけのコストダウンばかり気をつかうから、会社はますます苦しくなる。むしろ工場ではコストダウンしなくて、よけいカネを出しても、能率のいい、アクセサリーなんかもつけて、セールスマンがいなくても、お客さんの方から現金で買いにくる、そういうような品物をつくったら、工場でコストダウンしたのと同じことになる。・・・
 あるセクションだけのコストダウンというものはあり得ない。ところが大体においてセクショナルなコストダウンが多い。それで売れなくしている。

 生産工程でのコストダウンは原価を下げる基本ですから当然重要です。
 が、つくることだけのためのコストダウンを追及すると商品の魅力が薄れていきます。コストダウンを図るために、高性能や高品質、魅力的なデザインなどを犠牲にする可能性があるのです。
 そういった商品は、売れなかったり、売れた後でクレームが出たり、はたまた、折角のお得意さんを失ったりと、結局のところ在庫費用・サポート費用・営業費用等々が余計にかかることになるのです。

(p91より引用) 売りやすい品物をつくってやることがコストダウンだということを第一の条件に工場なり研究所は考えなければならないということだ。

 売れなければ、すべてがコストです。

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俺のマーケティング (俺の考え(本田 宗一郎))

2007-01-07 18:32:56 | 本と雑誌

Honda_cvc02top  自らが需要を創造すべきとの気概を抱いていた本田氏は、「市場調査」についても一家言もっていました。

(p82より引用) 需要があるからつくるというのはメーカーではない。メーカーはパイオニアである以上は、あくまでも需要をつくり出すものである。だから未知にいどんでいるはずだ。未知な製品を大衆に聞いて歩いたって答えが出っこないではないか。
 ・・・大体、自分の商売のことを人に聞かなきゃいられないという人自体、市場調査をやってもむだじゃないか。

 とはいえ、市場調査を否定していたわけではありません。
 自ら世に送り出した製品の評価・反省そのものが「市場調査」だとの認識です。

(p83より引用) 私たちがいままで新製品をどんどん出してきているのは、過去の歴史の上に立ってものを考えてやっている。こういうふうにやったら、今度はこうやればなおいいだろう、ということで、毎日毎日が市場調査である。いろいろなクレームが来るだろうし、それからお客さんからこんなようなものはというような要求もある。それ自体が市場調査である。だから市場調査といって特別改まってやるのは私はあまり感心しない。

 本田氏の考えは、「新しいものを創り出すことは未来をつくることであり、未来のことを人に聞いて分かるはずがない、そもそもそういうことを人に聞く姿勢自体がメーカーとしては許されない」というものでした。

 しかし、反面、本田氏は「過去の調査」は重要視しました。
 本田氏の技術者としての実証的思考の表れだと思います。

(p87より引用) 市場調査も過去を調べる上の市場調査は実にいい。私たちにほしいのは過去の市場調査である。・・・過去というものを理論的にみていないと、市場調査だけを信用してしまう。だからいままでの過去というものが市場調査の表をみる上に大きな役割をしているということをまず知らなければならないと思う。

 これは、「過去は『確実な事実』として存在していた」ということです。この過去の事実の中に「将来につながる多くの教訓がすでに残されている」というのでしょう。

 企業の中で、将来を見通し新しいものを創り出すという機能は、多くの場合「研究所」がもっています。
 本田氏は「研究所」の姿勢についても一言コメントしています。

(p78より引用) 研究所はいろいろやらせておけば何か出てくるだろうなどと考える経営者もいるかもしれないが、それはだめだ。研究というものは必要がなければなかなかできるものじゃない。そのためには、営業なら営業がレーダーをきかして、何年先にこれを出してもらうとうちは優位になるというような、営業自体、経営自体の全体が見通しをつけて、研究所にまかせなければいけない。

 将来の見通しは、市場と経営が見極めるべきとの考えのようです。

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俺の考え (本田 宗一郎)

2007-01-06 17:30:03 | 本と雑誌

Supercab  本田宗一郎氏の本は、以前「夢を力に」を読んだことがあります。
 今回読んだ「俺の考え」のオリジナル版は昭和38年に刊行されたとのことですから、本田氏がまだ現役社長のころの著作になります。

 もともとは雑誌に連載されたエッセイがベースなので、本田氏一流の台詞がこ気味よく聞こえてきます。
 たとえば、こういう感じです。

(p18より引用) 設備とかそういうものは金を出せばどんなにも変る。ところが一番変らないのは、考え方、いわゆる石頭だ。これは金を出してもどうしても変らない。・・・百八十度転換しなければならないわれわれ年輩の人が悩もうとせずに、若い者を悩まし続けているのが現在ではないか。

 本田氏は、自分の手でつくる、自分でやることを重んじました。「ためしてみる」という前向きの気持ちと「ためした」という実際の活動を大事にしました。

(p20より引用) われわれの知恵は見たり聞いたりためしたりの三つの知恵で大体できている。
 ・・・ためしたという知恵、これが人を感動させ、しかも自分のほんとうの身になる、血となり肉となる知恵だと思う。

 自分でやると失敗もあります。「チャレンジしたのだから失敗してもかまわない」といった安易な言い方はしません。失敗に対しても真摯に向き合います。
 失敗は「反省」を通して身になるとの考えです。

(p65より引用) 「失敗は成功のもと」というたとえがあるが、ほんとうに失敗を成功のもとにする人は何人あるか。これは正しい理論を用いて反省する人にのみ与えられたる権利だと思う。・・・
「果報は寝て待て」ということわざがあるが、あれは私の祖先かだれかそそっかしいやつが間違えたと思う。あれは「果報は練って待て」で、反省して待つことだ。いくら反省しても運賦天賦ということがあるが、よく反省して待つことがわれわれの問題だと思う。

 本田氏に対してはともかく個性的だという印象を抱きがちですが、決して個性礼讃一本ではありません。むしろ「バランスのとれた事業感覚」をもっていました。
 そのあたり、「デザイン」に関しての本田氏のことばからもうかがえます。

(p107より引用) デザインというものはどういうふうに存在するかといえば、人間には模倣性と独創性と二つある。その模倣性を利用したものがデザインの一番の勝利者なのである。あの人がやっているから私もやりましょうという、それをうまく利用したものが流行であり、デザインであるのだ。
 みんなが個性ばかり欲していたら、毎日変った品物をつくらなくてはいけないから、マス・プロにならない。みんな模倣性があるおかげでマス・プロができるのだ。われわれはもちろん個性というものを非常に尊重しなくてはならないけれども、個性を尊重しなければいけないといって模倣性を否定したら、おそらくマス・プロはできない。流行にはならないから、その辺の織りこみ方がむずかしいわけである。

 また、「設備投資」についての本田氏の感覚もなるほどと思います。

(p128より引用) ほんとうに苦しんだ人々にのみ設備投資は与えられるものであり、生きるものである。
 私は技術屋だからよく工場でいろいろなことを見ている。苦しんでいると投資しなくてもいい考えは浮いてくる。ほんとうの能率のいいというのは、何も投資せずにもうけることである。物をつくることである。

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漢字 (白川 静)

2007-01-05 22:18:34 | 本と雑誌

Koukotsu_moji  漢字研究の第一人者と言われる白川静氏が記した、文字通り「漢字」に関する著作です。
 ともかく、著者の博識には驚かされます。文字の構造・成り立ち・背景等々、次から次へと途切れることなく豊富な知識が迸り出てくる感じです。

 白川氏によると、古代中国の殷は神話の国であったと言います。神話の国の文字として象形文字が生まれました。卜い(うらない)のための甲骨文字がそれでした。
 それに対し、周は天命による徳治の国でした。周には神話がありませんでした。

(p116より引用) 周は、西方の諸族を連合して殷をうち、帝辛が再度にわたる東征によって国力を消耗しているときに、これを破って周王朝を建てた。しかし、周には、殷に代わりうる神話がなかった。神話は、種族の生活の中から生まれ、久しい伝承を通じて形成されるものである。かれらは、その王朝の秩序の基礎として、新しい原理を求めなければならなかった。王たることは、ただ帝の直系者たるその系統の上にのみ存するものではない。それは帝意にかなえるもの、天命を受けたるものに与えられるべきものではないか。天命は民意によって示される。民意をえたものこそ、天子たるべきものではないか。民意を媒介として、天の認識が生まれる。そこに天命の思想が成立する。天命の思想は、殷周の革命によって生まれ、革命の理論であるとともに、周王朝の支配の原理でもあった。

 周代において、象形文字としての漢字は変貌を始めます。

(p122より引用) 周は政治的には支配者であっても、文化的にはなお甚だ後進の国であった。

 伝統を持たない文化的後進性をカバーするため、周には、何がしかの新たなよすがが必要でした。

(p122より引用) 周人の創造に帰すべきものがあるとすれば、それは天の思想である。そしてこの思想革命は意識の変革をもたらし、文字についても、従来の語義の内容に、かなりの変改を与えたことは、否めない事実である。

 漢字がつくられた方法には6つの種類があると言われます。いわゆる「六書」です。六書とは、象形・指事・会意・形声・仮借・転注です。
 象形に始まった漢字も、思想・概念を表す必要性にいたって、指事・仮借・転注等々、急激に増殖を重ねることとなりました。

(p15より引用) 古代の文字は象形文字であるが、仮借による表音的な表記方法の発見、すなわち象形の原理を超えたところに、文字が成立するのである。

 本書は、「漢字」に関する本ですが、その背景の説明として中国古代史に関するいくつかのエピソードも紹介されています。

 その中で、私が関心を抱いたのは「春秋時代の学生運動」についてです。

(p83より引用) 学生運動は、もっと古い時代からあった。春秋のとき、鄭の郷校の学生がさかんに国政を批判し、騒ぎは収まらず、郷校は閉鎖されようとした。このとき子産は、言論の自由を抑止するのは、河水を壅ぐのと同様に危険であると警告して、閉鎖に反対し、これを阻止した。紀元前五四二年のことである。

 その他の気づきとして、もう一つ。

 私が教えられていたことと違った説としては、「仁」という漢字の成り立ちがありました。

(p177より引用) 仁は衽席(しきもの)の衽の初文。これを二人の意とし、人間関係の根本にあるものと解するのは、仁という観念が成立したのちにつけ加えられたもので、仁は仮借字にすぎない。このような転化や仮借によって、新しい観念が表現される。

 「仁」という文字の変遷は、まさに「新しい思想・概念」の登場によるものだったのです。

(p123より引用) 語義は、社会生活とその意識の変化によって推移する。殷周の際は、そういう意味でも、歴史的に重要な一時期であった。

 殷から周への移ろいは「漢字」にとっては極めて大きな変革期だったようです。

(p188より引用) 文字が神の世界から遠ざかり、思想の手段となったとき、古代文字の世界は終わったといえよう。文字は、その成立においては、神とともにあり、神と交通するためのものであったからである。

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白洲次郎の流儀 (白洲 次郎ほか)

2007-01-03 14:17:49 | 本と雑誌

Bentley  以前、「プリンシプルのない日本」でご紹介した白洲次郎氏に関する本です。

 白洲次郎氏の美学と人柄を、妻である白洲正子さん、娘の牧山桂子さんらのエッセイと豊富な写真で紹介したもので、まさに、氏のカントリー・ジェントルマンたる所以が満載という感じです。
 特に、桂子さんの回想は、娘さんならではのエピソードをもって白洲氏のオフの人となりが描かれており興味深いものでした。

 もちろん、例の如く「プリンシプル」を重んじた白洲氏の姿も描かれています。

(p119より引用) 原則を立てないこと、自己に立脚した率直な発言をしないこと、共に白洲次郎の嫌うところだった。

 そういった白洲氏の人柄を表したエピソードとして、「はがき大の名刺」とのタイトルで小林淑希さんとの交流が紹介されています。
 小林さんは、軽井沢ゴルフ倶楽部の工事の関係の方でした。

(p63より引用) 君は自分の建築技術に自信がないのか。あるのなら堂々と胸を張っていればいいのだ。建築会社は、新しく家を建てる時は一生懸命仕事をほしがるが、いざ完成してしまうと寄って来ない。軽井沢に必要な工事屋は、年寄が多いので、襖が重いとか電球の球が切れて自分では出来ないとか、そういう小さなことをいやな顔をせずすぐ来てくれる業者なのだ。小林君はそういう気持ちで出来るか。

 小林氏は、その後、この白洲氏の言葉に応えて建築会社を興しました。白洲氏は、その小林さんの「はがき大の名刺」を自分の別荘に預かり、これはという人に紹介していたということです。

 もうひとつ、この本の面白味は、妻でありエッセイストの白洲正子さんとのやりとりです。

(p124より引用) 大袈裟な言い方になるが、二人は東洋と西洋を横断する人達でもあった。

 二人とも若いころに海外生活の経験があり似たような価値観を持っていました。その価値観を礎にして、互いに尊重しつつも、それぞれに自分を活かした生き方をされたように思います。

(p124より引用) 晩年の二人に感慨めいたものがあったとすれば、一つの社会に居おおせた満足感ではなく、様々な社会を横断しぬいた歩みの達成感ではなかったか。

白洲次郎の流儀 白洲次郎の流儀
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なぜ、あの会社は儲かるのか? (山田 英夫・山根 節)

2007-01-02 16:51:58 | 本と雑誌

Teikoku_hotel  いつも拝見しているふとっちょパパさんのブログで紹介されていたので読んでみました。

 内容は、誰でも知っているような有名企業を材料に、その経営戦略・マーケティング戦略を「会計」という目を通して分析・解説したものです。

 実例が豊富で、テーマごとにポイントが分かりやすく説明されています。

 たとえば、伊勢丹や帝国ホテルを例にした「高級化路線」という戦略について。
 何も工夫せずに差別化や高級化を図ろうとすると、コストもそれなりにかかってしまい、必ずしも高い利益率が得られるわけではないようです。

(p53より引用) 高級業態や高級品は、それだけでは高い利益率はとれない。競合が追随してくる中、常に高級のポジションを維持しつつも、顧客から見えない部分で、安くオペレーションする工夫をしていくことが必要なのである。

 この本には、こういった感じで、改めて頭の整理ができるトピックスやヒントが数多く示されています。

 M&Aやグループ経営等の際よく言われる「シナジー」については、著者たちは、まず、基本を以下のように整理します。

(p187より引用) 企業がM&Aや新規事業開発を行うにあたっては、シナジー(相乗効果)が発揮できるということが必要であると言われる。・・・
 シナジーがあるということは、技術、設備、流通チャネル、人材などの面で共有できるものがあると、両社が別々に経営を行うよりも効果が大きいということである。
 ・・・シナジーは、売上で見て、「1+1が2以上」になるか、コストで見て「1+1が2以下」になるかのどちらかで測ることができる。
 M&Aによって明確に1+1が2以上になったと断言できる事例はほとんど見つからない。

 そして、実際の企業合併や業容拡大、新規サービス展開等において、「近そうで遠かったもの」「遠そうで近かったもの」の実例を挙げていきます。

 たとえば、「近そうで遠かったもの」の例としては、「基礎化粧品とコスメティクス(花王)」や「電力と通信(東京電力)」、逆に「遠そうで近かったもの」の例としては、「スーパーやコンビニと銀行(セブン&アイ)」等が紹介されています。

(p194より引用) 事業の「近い、遠い」は、表面的に見える製品・サービスの性格だけでなく、マネジメントのあり方という組織運営にまで踏み込んで考えていかなくてはならないのである。

 このあたりは結構興味深く読みました。

 そのほか、私が特に「なるほど」と思った点と、「そうかな?」と思った点をご紹介します。

 まず、「なるほど」です。
 「非日常」も反対サイドからみたり、「非日常」を集約したりすると「日常」になり、そこにビジネスのヒントがあるという点です。

(p83より引用) パソコン初心者の質問は、個々のユーザーにとっては、全く“非日常的”なものであるが、電話や注文を受ける企業側にとっては、極めて“日常的”なことである。実はここに収益源がある。「顧客にとって非日常的なことを日常的にこなすビジネスは儲かる」という法則があるからだ。

 逆に「そうかな?」と思った点は、「鉄道と通信」の相似性についてです。

(p208より引用) 小林一三が開発した事業モデル「鉄道を軸に多様な事業を組み合わせて、沿線全体の価値を上げる」の「鉄道」を「通信」と言い換えると、最近のネット企業のビジネスモデルになる。「通信ネットワークを中心に多様な事業を展開し、ネット全体の総合的価値向上を追求する」というネットワーク事業モデルは、鉄道と原型は同じである。

 確かに「原型」は似ているかもしれませんが、最近はそうともいえなくなっています。

 「通信」の方は、「(通信ネットワークを利用して)多様な事業を展開する『主体』」としては、ほとんどの業種・業界の企業が候補となり得ますし、また、その「展開する『広がり』」もボーダレスです。
 その分、「(旧来型の)通信事業者」にとっては、事業モデルにおける自社のウェイトは相対的に小さなものになっていきます。

なぜ、あの会社は儲かるのか? なぜ、あの会社は儲かるのか?
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吉田松陰・留魂録 (古川 薫)

2007-01-01 23:58:29 | 本と雑誌

Shokasonjyuku_2  吉田松陰が伝馬町の獄舎で処刑されるのは1859年(安政6)10月27日。
 「留魂録」は死の前々日から前日にかけて書かれたもので、松陰の遺書ともいえる文書です。

 身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂
   十月念五日    二十一回猛子

で始まる第1章には、やはり、松陰の信念である「至誠」が登場します。

(p78より引用) 一白綿布を求めて、孟子の「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」の一句を書し、手巾へ縫ひ付け携へて江戸に来り、是れを評定所に留め置きしも吾が志を表するなり。

 松陰は人の一生を「穀物の四季の循環」になぞらえました。自らの30年の生を以下のように記します。

(p98より引用) 義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其の秕たると其の粟たると吾が知る所に非ず。若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ざるなり。

 松陰の播いたたくさんの若い種子は、幕末から明治維新を疾走しました。
 松陰の種子たちは、松下村塾で育まれました。

(p193より引用) 松陰は、松下村塾をひとつの目的集団に仕上げようとしているかのようだった。そのためには、まず縦割りにされた人間関係を崩さなければならなかった。そして、横の結合という封建社会に希薄だった連帯の世界を創造しようとするのである。・・・
 れっきとした侍の子と、足軽や中間や商人の子が、対等な友人として結びあうとき、閉鎖的身分社会には求められなかった、まったく新しい「友情」の場がそこに生まれた。明治維新をさきがけた長州人の力を支えたものが、封建的身分関係を超越した友情であったとすれば、その機運を最初につくり出したのは、疑いもなく松下村塾の塾生たちであった。

 松陰は、思想家であり行動派でした。ある時期から、その考えは世情から離れた特異なものになりますが、元来は先進的かつ現実的な主張でした。

(p145より引用) 吉田松陰の攘夷論は、アヘン戦争など列強による東洋植民地化政策への警戒にもとづくものではあったが、単純な排外思想ではなかったのである。欧米の情勢を把握し、その先進文明を積極的に吸収しようとする開明的な方向に視線を据えていたのだといってよい。

 松陰の思想・行動は、多くの若者を自らの元に惹き付けました。
 しかし、松陰自身は、政治家でも策士でもなかったようです。策謀は巡らすことはあっても成功していません。あまりにも真っ正直な策です。

 その真っ正直な至誠の姿勢が、皮肉なことに松陰の死期を早めたとも言えます。意図してかせずか、尋問の場での松陰の付言が事を大きなものにしてしまいました。
 萩の野山獄から江戸の藩邸に送られた松陰は、7月9日にはじめて幕吏の訊問を受けました。訊問の内容は、梅田雲浜との密議の有無などでしたが、それについては身の潔白を証明しました。

 そこで終わっていればよかったのですが、松陰は、自らの主張を幕府に開陳すべく、幕府の一連の政策を激しく批判し、あげくは公卿大原重徳の西下計画や老中間部詮勝に対する要撃策を口に出してしまったのです。松陰は、すでにそれらのことは幕府に露見していたと早合点していました。しかし、実際は幕府にとっては寝耳のことでした。
 松陰自ら、自身の命を縮めたと言わざるを得ないでしょう。

 「留魂録」は、門下生に贈る松陰の遺書ですが、その数日前に、松陰は、両親・親族に宛てた遺書「永訣書」を書いています。

 親思ふこころにまさる親ごころけふの音ずれ何ときくらん

吉田松陰・留魂録 吉田松陰・留魂録
価格:¥ 861(税込)
発売日:2002-09

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2007年 元日

2007-01-01 01:10:38 | 日記・エッセイ・コラム

Inosisi  あけましておめでとうございます。

 昨年は、半ば仕事がらBlogはもとよりSNS(mixi、GREE、ものしり天狗coco★ist)、写真投稿サイト(OCNフォトフレンド)、動画投稿サイト(ClipLife)等に登録してみました。

 そういったバーチャルなコミュニケーションから、偶然にもリアルなコミュニケーションにつながったこともありました。
 Blogで知り合ったtakekuraさんと仕事関係でお目にかかる機会ができたのはその最たる好例でした。

 いろいろと登録してみて再認識したことは、至極当然ではありますが、自らがコミュニティに乗り出して行かないと参加している意味がないということです。
 単なるread onlyの傍観者では、せっかくのコミュニケーションを広げ深める貴重な機会を無駄にしていることになります。

 今年はちょっと踏み出してみるかなと思っています。

 読書については、昨年はじっくり読むことが少なかったように感じています。
 あれやこれやいろいろなジャンルの本を読んで見たのですが、どれも同じような力加減で読んでいました。

 今年は、食わず嫌いをなくして、さらにジャンルを広げたいと思います。と同時に、手を抜いて読むものと腰を落ち着けて読むものとのメリハリをつけてみましょう。
 腰を落ち着けてという点では、昨年読んだ本のうちこれはと思うものをもう一度読むのもいいかもしれません。(私は、同じ本を読むことはほとんどないので・・・(今までに二度読んだ記憶があるのは、夏目漱石の「私の個人主義」ぐらいでしょうか))

 読書はマイペースで、通勤電車の中でぼちぼちと続けましょう。

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