OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

決断力 (羽生 善治)

2006-11-08 21:30:21 | 本と雑誌

Shogi  著者の羽生善治(はぶよしはる)氏は、1970年生まれの将棋のプロ棋士です。
 1996年2月、谷川浩司王将を4勝無敗のストレートでやぶって王将位につき、25歳で史上初の7冠王(名人・王将・竜王・王位・棋聖・棋王・王座)という偉業を達成しました。

 私は、将棋は駒の動かし方ぐらいしか分からないのですが、そういう羽生氏の「決断」についての本ということで手にとってみました。

 羽生氏ならではという記述を1・2、ご紹介します。

(p18より引用) 「これでいけるだろう」と判断する基準が、私の場合、甘いらしい。可能性を人よりも広く持っているのかもしれない。

 「甘い」という言い方に、対処の柔軟性や可能性を感じます。

 また、

(p89より引用) これ以上集中すると「もう元に戻れなくなってしまうのでは」と、ゾッとするような恐怖感に襲われることもある。

との感覚は、到底、私たちで経験することはないでしょう。

 逆に、以下のコメントのように、羽生氏でもそう(私たちと同じ)かと思う点もあります。(もちろんレベルは段違いでしょうが・・・)

(p56より引用) 経験を積み重ねていくと、さまざまな角度から判断ができるようになる。・・・
 しかし、判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるかというと、必ずしもそうはいかない。・・・経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう。

 その他、将棋ならではという面白い気づきがありました。
 判断の迷路に入った際の、「相手に手を渡す」という対応です。

(p37より引用) 指し手が見えない、つまり「これがよさそうだ」という手が一つも見えない場面も非常に多い。そういうときは、どうするか?

 こういったときは、相手の選択に身を委ねて、その他力を逆手にとる方法があるそうです。

(p37より引用) たとえば、ある場面で、Aという手を指すと、相手にA’で返される。Bという手を指すとB’で返ってくるという場合に、最初にAやBを使ってしまうと、相手に返されてしまう。そこで、第三のCという手を指しておいて、相手に先に選択させる。

 切羽詰った状況では難しいと思いますが、なるほどという感じがします。

 あと、私が、これは心しなくてはと思ったフレーズを最後にご紹介します。

(p171より引用) 何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。

決断力 決断力
価格:¥ 720(税込)
発売日:2005-07

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だまされる脳 (日本バーチャルリアリティ学会)

2006-11-07 23:40:34 | 本と雑誌

Head_mounted_display  バーチャルリアリティ(VR:Virtual Reality)をテーマにした「知覚心理学」の素人向け入門書です。

 バーチャルリアリティとは、コンピューター上に構築した環境の中で、視覚や聴覚を通じて、空間を移動したり状況の変化を体験したように感じることで、仮想現実とも言います。
 体験者はさまざまな機器をつかって、仮想の対象をあたかも実在の対象であるかのように感じ、操作することができます。そして、この自然な双方向のやりとりによって、体験者は仮想の世界と交流している感覚を得ることができるのです。

 本書の説明では、「実体そのものとしては存在しないが、機能・効果として存在するのもの(p167より引用)」ということになります。
 まさに、映画の「THE MATRIX」の世界です。

Nou  こういった本を読むと、素直に「人間の脳の性能」に驚愕します。

 本書では、バーチャルリアリティ技術を扱っていますから、特に「五感」に関する説明が中心になります。

 たとえば、「見る(視覚)」ことだけでも、改めて言われてみると、脳はものすごい処理を行なっているのです。
 「見る」という処理は、以下のように捉えられます。

(p28より引用) 三次元の世界は二次元の目によって記録され、脳によって三次元的に解釈し直されているのです。・・・
 脳は実に巧みな方法で三→二→三次元問題を解いています。このとき脳は二次元的な情報から三次元の世界を構築するために、さまざまな情報源(手がかり)を使っています。

 三次元→二次元への変換は大したことではありません。通常のカメラと同じです。レンズが水晶体で絞りが虹彩、フィルムが網膜に相当します。写真の場合と同じく、網膜上に二次元の像が結ばれるわけです。

 問題は、この二次元の像をいかにして「三次元」のイメージに再構築するかです。
 ここで、脳は、様々な感覚器からの情報を駆使して複合的な情報処理を瞬時に行ないます。

  • 輻輳と調節という「眼球運動に関連する筋肉の緊張の変化」
  • 目が水平に6.5cm離れた位置にあることにより生じる「両眼視差(両眼網膜像差)」
  • 時系列的な網膜像差である「運動視差」
  • そのほかの奥行き情報としての各種「絵画的手がかり」

といった種々の情報をもとに、脳は、三次元の「視覚世界」を作り上げるのです。

 だとすると、究極のVR(Virtual Reality)は、思いのほか身近なところにあることに気づきます。

(p230より引用) 私たちが知覚しているものが物理的世界そのものでないことに気づくことによって、いかに私たちの脳がすばらしい創造を行っているかを認識することができます。
 私たちの脳が確かに意識を持った存在であることの証と考える、活き活きとした鮮明な感覚経験(つまりクオリア)こそが、実は皮肉にも脳による最大の虚構であるわけですから、私たちが知っている日常の世界が究極のバーチャルリアリティあるといえないこともありません。

だまされる脳―バーチャルリアリティと知覚心理学入門 だまされる脳―バーチャルリアリティと知覚心理学入門
価格:¥ 987(税込)
発売日:2006-09

コメント (5)
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データの罠 (田村 秀)

2006-11-05 12:56:17 | 本と雑誌

Graph  この本の内容は、統計学に基づくサンプル調査の基礎を理解している人から見ると、あまりにも当たり前の指摘です。
 が、昨今のマスコミや行政等で実施され公表されている「世論調査」と銘打っているものの中に、「如何に、意識的もしくは無知によるノイズが混じっているか」という実情を多くの具体例を示して明らかにしている点は評価できます。

 昨今のプライバシー意識の高まりや個人情報保護の動きは所与の前提とすべきでしょう。母集団の特性を正しく反映した「無作為抽出」は今や困難です。
 むしろ、バイアスのかかった調査母体の特性をキチンと理解したうえで、調査結果を補正・解釈するノウハウがますます重要になってきていると思います。

 本書を読んで再認識した点は、調査において「回収率」も重視すべきとの指摘です。

 仮に、調査対象のサンプルを適正に抽出したとしても、その回収率が低いとその調査の信憑性は著しく低下します。
 回収率が低くても、サンプル(母集団)から万遍なくその回答が帰ってきていればまだよいのですが、調査方法や調査内容によっては、回答を返してくれる人の特性自体に偏りが生じる場合があります。

 たとえば、当該調査内容がその人にとって関心の高いものならば、積極的に回答を返すでしょうし、逆に、ある人にとってあまり答えたくないような内容であれば、その層の回答は少なくなります。
 回答を返してくる層に偏りが出ると、今度は「逆の偏り」が「回答せず」の層に生じることになります。すなわち、回答層から得られた結果と回答せず層の状況との間の乖離がさらに増幅されるのです。

 調査においては、こういった「ノイズを含んだサンプル」と「低い回収率」という「二重のバイアス」が生じうることを十分に認識しておかなくてはなりません。

 これらの注意点は、昨今よく見られる「国際比較調査」や「インターネット調査」等の結果を解釈する場合には、特に重要になってきます。

 その点で、私たちひとりひとりの「データリテラシー」を高めるべきとの著者の主張は、まさに当を得たものだと思います。

 あと、(そうは言うものの、)本書を読んで思わず微笑んだくだりです。

(p188より引用) 民営化の流れが日本全体を覆い尽くしている。単純な民営化礼賛論者から是々非々論者、民営化絶対反対論者までさまざまだが、先の総選挙の結果が示すように、少なくとも郵政事業に関しては、民営化に国民のゴーサインが示されたことは明らかである。

 ここで郵政民営化の是非について論ずる気はありませんし、また、大上段に議会制民主主義の仕組みをとやかくいうものではありません。

 が、現在の衆議院選挙制度である「小選挙区比例代表並立制」による「死に票」の問題、また、当該選挙における投票率(本書では、「回収率」に相当)の水準、さらには、どの程度の有権者が「郵政民営化」の是非を基準に投票したかの実態・・・等々、多くのバイアスやノイズが混じった(と私は思っている)選挙結果を持って、「民営化に国民のゴーサインが示されたことは明らかである」とあっさり断言されてしまうと、(あげ足取りではないのですが、)この本で論じた著者の主張は一体何だったのかとついつい思ってしまいます。

データの罠―世論はこうしてつくられる データの罠―世論はこうしてつくられる
価格:¥ 714(税込)
発売日:2006-09

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職人の誇り (手仕事の日本(柳 宗悦))

2006-11-04 14:00:31 | 本と雑誌

Kihachijo  柳氏は、自分の足で全国各地をくまなく歩き、実物に触れ、日用の安価なものであっても手間を惜しまない正直な仕事を拾い上げています。

(p82より引用) 羽後の国にはたった一ヵ所だけ焼物の窯場があります。神宮寺という駅から少し南に行ったところに楢岡と呼ぶ村があります。ここにわずか一基の窯があって親子水入らずの仕事であります。・・・最も貧しい窯の一例でありますが、出来るものを見ますと誠に立派で活々した仕事であります。雑器のこと故、極めて無造作に作りはしますが、中から選べば、名器と呼ばれてよいものに出会います。・・・貧しい安ものを焼く小さな窯でありますが、東北第一と讃えても誤りはないでありましょう。

 各地に残る正直な仕事は、無名の職人の手によります。手仕事には心がこもります。私が作ったものだという自負です。

(p186より引用) 仕事をする人たちも、自分の名誉にかけて作る風が残り、・・・古鍛冶に見られるような銘を刻むことを忘れません。伝統が今も続いていることが分ります。このような品物は、いわば職人気質が残っていて、粗末なものを作るのを恥じる気風があって、仕事の裏に一種の道徳が守られているのを感じます。

 世の美術家は名を売ります。「署名(銘)」により作品に残します。
 巷の職人は、決して「名」で仕事はしません。

(p228より引用) 彼らにも仕事への誇りがあるのであります。ですが自分の名を誇ろうとするのではなく、正しい品物を作るそのことに、もっと誇りがあるのであります。いわば品物が主で自分は従なのであります。・・・彼らは品物で勝負をしているのであります。物で残ろうとするので、名で残ろうとするのではありません。・・・この世の美しさは無名な工人たちに負うていることが、如何に大きいでありましょう。

Mashikoyaki  職人は伝統を重んじます。伝統の力は仕事に現れます。

(p87より引用) 荒屋新町などの仕事で眼を引くのは絵附けであります。銀杏だとか桃だとか富士山だとか、三、四の定まった模様が古くから伝わり、今も描き続けます。慣れているので筆がよく運び、絵に勢いがあり、新柄のものに比べて段違いに活々したところがあります。伝統の力で模様に成り切っているので自由さがあるのだと思われます。

 時に「伝統」は窮屈なものとして捉えられます。伝統は「ある種の制約を課するもの」のように考えられるのです。
 しかしながら、柳氏は、一見「制約」とみえることが、実は「理に適った道」であると説きます。

(p232より引用) 実は不自由とか束縛とかいうのは、人間の立場からする嘆きであって、自然の立場に帰って見ますと、まるで違う見方が成立ちます。用途に適うということは、必然の要求に応じるということであります。材料の性質に制約せられるとは、自然の贈物に任せきるということであります。手法に服従するということは、当然な理法を守るということになります。人間からすると不自由ともいえましょうが、自然からすると一番当然な道を歩くことを意味します。・・・美と用とは叛くものではありません。用と結ばれる美の価値は非常に大きいのであります。

 伝統は決して「停滞」ではありません。
 積極的な姿勢です。

(p225より引用) もとより伝統を尊ぶということは、ただ昔を繰り返すということであってはなりません。それでは停滞を来したりまた退歩に陥ったりしてしまいます。伝統は活きたものであって、そこにも創造と発展とがなければなりません。・・・吾々が伝統を尊ぶのはむしろそれを更に育てて名木とさせるためであります。

手仕事の日本 手仕事の日本
価格:¥ 735(税込)
発売日:1985-05

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工芸の堕落 (手仕事の日本(柳 宗悦))

2006-11-03 10:27:53 | 本と雑誌

Hagiyaki  柳氏は、本書の中で、工芸の堕落の原因をいくつか挙げています。

 ひとつには、商業化の波です。

 陸中の増沢村の漆器の紹介でこういう記述があります。

(p88より引用) この村で面白いことは今まで商人と取引したことがなく、いずれも在家から直接注文を受けて仕事をすることであります。世にも珍らしい生産の形で、これがどんなに仕事を実着なものにさせているでありましょう。多くの場合工藝の堕落が問屋や仲買の仲介によることは、歴史の示す通りであります。作る者から用いる者へ、直ぐ品物が渡ることは最も望ましいことだと思います。

 また、浜松の機業の評価についても以下のように記しています。

(p111より引用) 遠江の都は浜松で、・・・これとて目星しい手仕事の跡を見ることは出来ません。むしろよい仕事を希う人は、取り残された状態にあります。周囲は余りにも多くの量と早い時間と、少ない費用とを目がけて進むからであります。仕事は悦びで為されるよりも、儲けのために苦しみを忍ぶ方が多くなってしまいました。

 商業化への対応は、多くの場合、機械化の進展を伴います。
 柳氏によると、機械化は、手仕事のもつ「誠実さ」を壊すものだと見なされています。
 そのあたりは静岡の評価にも表れます。

(p112より引用) 静岡は昔は色々な手仕事の栄えたところと思います。・・・安く早く多く作る技の上から見れば、進んだ土地でしょうが、それが誠実なものでない限り、遅れた土地ともいえるでしょう。

Yuki_tsumugi  また、工業化、とくに自然の素材にとって代わる化学材料の浸透にも疑問を投げかけます。
 徳島の名産「藍」の記述です。

(p184より引用) 時勢といえばそれまででありますが日本人は人造藍で便利さを買って、美しさを売ってしまいました。この取引は幸福であったでしょうか。そうは思えないのであります。・・・美しさにおいても正藍を越える時、始めて化学は讃えられてよいでありましょう。化学は天然の藍に対しては、もっと遠慮がなければなりません。

 工芸は、その純朴な仕事に歪みが加わったときにも堕落が始まります。
 たとえば、焼物における茶趣味の悪影響です。

(p165より引用) 長門の国には「萩焼」と呼ぶ名高いものがあります。・・・さすがに昔のは素直な出来で、温い静な感じを受けます。しかし段々茶趣味が高じて来て、わざわざ形をいびつにしたり曲げたりするので、今はむしろいやらしい姿になりました。自然さから遠のくと美しさは消えてゆきます。

 柳氏は、有名な南部鉄瓶に関しても、無理やりに凝った形に陥るとかえって美しさを損ねてしまうと指摘しています。

(p85より引用) 南部といえば誰も鉄瓶を想い起します。・・・しかし、現状を見ますと、大変見劣りがするのはその形で、これは江戸末期の弊を受けたのでありましょう。いたずらに凝って作るため形に無理が出来、美しさを殺してしまいます。もっと単純に素直に作ったら、どんなによく改まることでありましょう。

 美しさは、質素な中にあります。

(p197より引用) 質素な性質があればこそ、美しさが保障されて来るのだという真理が分ります。・・・贅沢や遊びはとかく悪の原因になることを工藝の世界でも学ぶことが出来るのであります。

手仕事の日本 手仕事の日本
価格:¥ 735(税込)
発売日:1985-05

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