いろいろな方の読書案内は、自分では気がつかないような本を知るよいきっかけになります。本書もそういった期待をもって手にとってみました。
井上ひさし氏といえば、私の世代は「ひょっこりひょうたん島」の原作者という印象が強いですね。
恥ずかしながら、氏の小説や戯曲は読んだことがありません。少し前に「この人から受け継ぐもの」という小文を読んだぐらいです。
本書は、井上ひさし氏が読売新聞で連載していた読書エッセイ等を採録したものです。2~3ページで1冊の本を紹介しているのですが、その中からひとつ、心に留まったくだりを書き留めておきます。
山崎正和氏の「二十一世紀の遠景」をとりあげている章から。
インターネットの普及等によって情報の入手が圧倒的に容易になっている昨今、“知者” について語っている部分です。
(p81より引用) 自分の知っていること、学んだこと、考えたことを、揉んで叩いて鍛えて編集し直して、もう一つも二つも上の「英知」を創り出すことのできる真の知者が、思いのほか少ないのでがっかりしてしまうのです。
そういった中で、井上氏は、山崎正和氏こそ数少ない知者のひとりだと言い、「二十一世紀の遠景」からの一節を引いています。
(p83より引用) 〈情報や知恵とは違って、知識の有用性は避けがたく間接的です。今日は雨だという情報は直接に役に立ちますが、今年の雨量がなぜ多いかという知識は、すぐには役に立ちません。しかし、そうした一見無用な知識の有用性を忘れるようでは、人間の文明の将来は危ういというほかありません。〉
この状況において山崎氏は、「たとえ明日世界が滅びるとしても、それでも今日、一本のリンゴの木を植える」という言葉をもって、知識を貴ぶことで将来を楽観視しようとしています。
(p84より引用) 筆者もまた、人間の現状に悲観しつつ地球の未来に一筋の光明を見る悲観的楽観主義者の一人なので、右の言葉がとても身にしみました。
そして、その覚悟に井上氏も共鳴しているのです。
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