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論語力 (齋藤 孝)

2013-03-06 23:37:24 | 本と雑誌

Confucius  一昔前に「○○力」といったタイトルの本が大いに流行った時期がありましたね。本書は、それらのピークをちょっと過ぎたころに発刊されたものです。

 著者は、この手の著作でお馴染みの齋藤孝氏。
 久しぶりに「論語」関係の本を読みたくなって、軽めのものとして手に取りました。今回の「力」については、「論語の持つダイナミックさ」を表したかったというのが著者の意図とのこと。

 内容は、原文も書下し文も登場せず、またカバーしている範囲も限定的でちょっと物足りなさが残りますが、所々に著者の面白い着眼が見られます。

 たとえば、論語の中でも有名な一節「吾十有五而志於學 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而從心所欲 不踰矩」の部分。
 ここで著者は、「六十而耳順」に注目しています。

(p74より引用) 六十という年齢もさることながら、これが「惑わない」(四十)、「天命を知る」(五十)という状態より後に来ているというのもおもしろく感じます。「不惑」も「知命」も、確固たる信念を持ったあり方で、これは一見究極的な境地に思えます。けれども、そこでとどまっていてはいけないのです。・・・
 本当は、そこでさらに学び続けることが必要なのです。そうすれば、他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになる。

 「学ぶ」とは、自分以外のものから受け入れるということです。学びは受容であり、幾つになっても他者から学び続けなくてはならない。そして、それによって、他者をも包括した自己が確立される「從心所欲 不踰矩」のステージに至るのだとも解釈できるように思います。

 本書は、こういった論語の説くところの著者流の解説が中心なのですが、各章末ごとに、論語に纏わるトッピク的なコラムが挿入されています。

 その中で興味深かったのが、江戸時代「寺子屋」での儒教教育について紹介しているくだりでした。
 そこでは「金言童子教」というテキストが使われていたそうです。

(p166より引用) 『金言童子教』を見ると、漢文の原文と書き下し文のほかに、「これはだいたいこういう意味だよ」という解説がついています。・・・
 こうすることによって、レベルの高いものを薄めずに、しかし、初学者がきちんとその世界に入っていけるように配慮する、というふたつの課題を両立させています。現代の国語教科書が、教材を幼稚にすることによって、子どもにあわせているつもりになっているのと比較すると、当時の寺子屋の見識の高さが分かるというものでしょう。

 この指摘は私も同感です。

 ちょっとズレた話になりますが、「小林秀雄」の随筆を取り上げた今回の大学入試センタ試験の現代国語の出題を連想しました。

 ・「小林秀雄のせい? センター試験国語平均点が大幅ダウン」(朝日新聞)
 ・<センター試験>国語の平均点は過去最低 小林秀雄で苦戦(毎日新聞)
 ・予備校も驚く「小林秀雄」出題…センター国語(読売新聞)

 今回の出題を支持するものではありませんし小林秀雄が読めることが決して重要だとは思いませんが、易きに流れず、難解なものにぶつかっていくことにより自らを高めるという姿勢は、とても大事だと思います。


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