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科学と技術 (科学論入門(佐々木 力))

2007-01-27 13:00:01 | 本と雑誌

Newton  科学史の基礎を勉強しようと思い読んでみました。

 明治期以降の日本での西欧科学受容の動きや、科学革命が西欧で起こり、他の文明共同体たとえばイスラーム世界や中世ラテン世界で起こらなかった理由等についての解説は興味深いものがありました。

 後者に関して、中世西欧における「科学の成立プロセス」について、著者は以下のようにまとめています。

(p58より引用) 近代科学は「高級職人」的技芸の段階にとどまるのではなく、その技芸に学んで独自の仕方で「哲学」した学者たちによって建設されたのである。

 こういう「高級職人」と「哲学者」との出会いが、数学的記述を伴いルネサンス期以降の西欧に起こったと言います。

 これに対して、イスラーム世界や中世ラテン世界の状況については、以下のように説明しています。

(p62より引用) イスラーム世界でも中世ラテン世界でも、たしかに職人層が存在し、高等教育の一定程度社会の中に根づいていた。しかしながら、自然哲学は周辺的学問にとどまり、さほど重視されなかった。それのみならず、それをテクノロジー科学へと飛躍させるのを阻む思想的歯止めが厳として存在していた。それからまたテクノロジー科学を成立させる社会的弾みも存在していなかったのである。

 両世界とも「科学」を飛躍させるために必要なプレーヤは存在していたのですが、政治的・宗教的な専制体制がそれらの融合や拡大を阻害したようです。

 その他、著者は、数学から自然諸科学を介し医学へと至る西洋諸学の方法概念について、「分析」と「総合」という対概念を特徴的なものとして紹介しています。

(p136より引用) 西洋諸学には実は古代ギリシャ以来、その基礎でおおいに働いてきたある種の方法概念が存在する。それは分析と総合という対概念である。とりわけ分析は、古代数学における証明や解の発見法として定式化され、論理学や医学でも探究の導きの糸を表す基本概念として機能した。そして、それは十七世紀の科学革命とともに自然科学一般においても重要な方法概念として再定式化された。・・・
 他方、数学における総合とは、解析で得られた、より根源的なもの(公理などの原理的なもの)から、目指す探究中の命題を証明したり、作図したりする、分析とは逆の手順をいう。数学における総合は、論証、演繹と同一視される場合がある。

 このあたりの解説はとりわけ目新しいものではありませんが、これらの方法概念が自然科学一般に定着したのは、やはり17世紀ごろであったという点は再度押さえておきたいと思います。

 このように中世西欧で花開いた「科学技術」ですが、この科学を礎とした「技術」の有り様について著者はひとつの危惧を提示しています。

(p107より引用) 一般に、技術者にとって自らがかかわっている技術の全体的ヴィジョンを把握することは、その技術にまつわる倫理的・社会的コンテクストの理解のためにはもちろん、当該技術を成功裏に開発するためにもきわめて重要である。「全体的ヴィジョン」は「心眼」とも言いかえられる。科学的工学の教育を受けただけの技術者・・・は、この「心眼」をもたない傾向性が強い。・・・
技術者が当然もつべき「心眼」をもたず、社会的モラルを欠いた科学者が引き起こす問題を、フォン・ノイマンにちなんで、試みに「フォン・ノイマン問題」と名づけておこう。

 「技術の独善」に対する警鐘です。

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