この「〈旭山動物園〉革命」という本、裏表紙には、「旭山動物園、驚異の復活には、ビジネスモデルの原点がある!」と書かれています。
先のBlogでもご紹介したとおり、マーケティングやマネジメント的な面からみても、確かに参考になる内容が豊富に含まれています。
が、この本は、もっと素直に「旭山動物園を舞台にした真剣な想い物語」ととらえるべきだと思います。
この本のあちらこちらに感じられる著者の信念が、印象に残ります。
(p19より引用) 野生動物と向き合い、園長として動物園のスタッフをみていて思うのは、動物も人間も、「自分らしさ」を発揮できる環境はなにものにも替え難いということである。
(p58より引用) 自然界では、動物園のように、一種類の動物だけで生きているものはいない。何かしらほかの動物と共存している。一種類だけで固まって生きるというような、変わったことをしているのは、人間ぐらいだ。だからいろんなひずみが出る。
(p71より引用) 私がつねづね言っているのは、「地球上に生きる生物の命はみな平等だ」ということだ。サルの命はたまたまサルという入れ物に入っているだけだし、ホッキョクグマの命もたまたまホッキョクグマという入れ物の中に入っているだけ。ペンギンの命もたまたまペンギンという入れ物に入っているだけだし、私たち人間の命も、人間という入れ物の中に入っているだけ。だから、命に優劣はない。命は、等しくかけがえのないものなのである。
「あとがき」にもこう記されています。
(p178-179より引用) 動物園という世界に入って三十年以上が過ぎた。その間、折節思い出す言葉がある。それは札幌に住んでいたとき、祖母に連れられて行った寺の住職が言った言葉である。
住職がおもむろにこう質問してきた。
「地獄とはなんだと思う」
答えられないでいると、住職は言った。
「地獄とは、やりたいことができないことだ」と。・・・
いまの動物園づくりの根本にあるのは、住職から言われた言葉だったかもしれない。動物も人間も、やりたいことができなければ幸せではない。だから、それぞれの動物のいちばんかっこいいところは、彼らがやりたいことをやっている瞬間である。それをお客さんに見せたかった。これからも、動物たちのイキイキとした姿に感動していただけるような動物園にしていきたい。
あと、著者の学生時代の経験にもとづく以下のコメントも、ちょうどW杯の時期、「代表の誇りと義務」という点で考えさせられるものでした。
(p103より引用) レギュラーになれなかった控えの部員たちが、イキイキとしているか否かがそのチームを判断する重要なバロメーターであると考えているのだ。彼らが、レギュラー選手を支えるために、自分にしかできない努力をどれだけやったか。それがいちばん大事だと思う。もしそれができていれば、選手には稽古台になってくれた部員の思いが肩にかかっているはずだ。その思いが強いほど、土壇場で信じられない力が出る。あいつらのために頑張らなければという思いが力になるのだ。チームが勝ったら、実は控えの部員が偉い。そう私は思っている。
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