著者の山田真哉氏はミリオンセラーとなった「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」で有名ですね。
タイトルをみると、いかにも先年NHK大河ドラマで「平清盛」が取り上げられたことにタイミングを合わせた感ありありの著作ですが、その実は、面白い切り口からの経済・財政の入門編ともいえる内容です。
著者によると、清盛は経済的視点を持った一流の戦略家だったようです。
たとえば、清盛の手がけた事業として、日本初の人工島(現在の神戸港)の造営がありましたが、その本質的目的についてこう解説しています。
(p43より引用) 当時の日宋貿易は、輸入も輸出もすべて博多にいる宋商人(博多綱首)が仕切っていた・・・
つまり、「日宋貿易」の経済実態は、大国・宋と商売上手な宋商人の手による「宋宋貿易」であったのです。儲けはほとんど宋側のものでした。
これに対して、清盛は「経ヶ島」(神戸港)を造ることにより博多港をスルーして直接宋船を関西に呼び込みました。
(p46より引用) 清盛は、貿易の中心地を博多から神戸に移すことで、貿易実務を宋から日本に移す一大革命を起こそうとしていたのです。
こういう戦略家としての「構想力」は見事ですね。
もうひとつ、「日宋貿易」と並んで、本書で詳説しているのが「宋銭」についてです。
平安末期に大量に輸入された「宋銭」ですが、その背景にあるものは単純な貨幣経済の進展ではありませんでした。
(p105より引用)
・宋銭は「銅材」として輸入された
・その銅を求めたのは、経塚をつくりたがった高僧や貴族たちだった
・宋銭の輸入を主導したのは、寺社勢力であったとみられる
・・・いずれにしてもこの頃は、誰も宋銭を「貨幣」として見ていませんでした。
この状況の中で、宋銭を「貨幣」として流通させようとしたのが清盛だったというのが、著者の主張です。
貨幣の利便性がもたらす「取引コストの低減」による「景気の刺激」、「通貨発行権」を手に入れることによる「経済活動の支配力強化」、さらには「貨幣の普及」に伴う「金融利益の享受」。清盛は、「貨幣経済」を活性化することにより、経済面から磐石たる平家支配の確立を企図したのです。
しかし、その後起こったことは、過剰な宋銭の普及による「デフレとハイパーインフレ」そして「銭バブル」とでも言うべき状況でした。
この清盛の経済政策の失敗が、貴族や武士たちの不満を招き、源氏の旗揚げ、平家の滅亡に繋がっていったというのです。
なかなか興味深い論考だと思います。
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