いつも聴いている大竹まことさんのpodcastの番組に著者の奥田祥子さんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。
奥田さんは現在近畿大学教授。以前は大手新聞社の勤務経験もあるとのこと。本書は、そのころから取材を続けている“男性の生きづらさをテーマにした社会学的考察”をまとめた著作です。
20年以上にもわたる継続的インタビューを中心に、地道なフィールドワークから導かれた多面的な考察にはなかなかに面白いものがあります。
「男らしさ」という旧来の固定観念を保持し続けようとあくせく勤める姿。「イクメン」「ケアメン」といった新たな“男性像”を無条件によしとしてそうあろうと無理をする姿。それらの背景には、「世間の目」という“社会的圧力”があり、それに抗いつつも拘ろうとする心情があると奥田さんは指摘しているようです。
たとえば、介護の場面ではこういった具合です。
(p166より引用) 「他人を頼る弱々しい男と思われたくない」「家内の面倒も自分で見られない、頼りない惨めな男と思われたくない」などの語りからも、男たちが古い「男らしさ」の固定観念に囚われていることがわかる。
確かに、奥田さんの長期にわたる継続的インタビューではそういった男性像が実存しているのですが、どうにも私には理解できないところです。
“男はこうでなければ” と思うことは否定しないにしても、そう思い込みそう振る舞おうとする要因が“他人の評価”だというのでは、どうにも主体性がありません。ましてや、それで自分を苦しめ家庭を崩壊させてしまうとなると、何とも本末転倒で救いがありません。
第三者の無責任な“目”にどうしてそこまで拘泥するのか、そうならざるを得なかった当事者の精神性の背景が大いに気になります。「世間の目」は、“閉鎖的村社会”の特徴として従来からの“日本人論”の中でも挙げられる要素ですが、近隣との付き合いが希薄になりつつある現代、それも都市部においてなお、ここまで意識されているのですね。
一般化した言い方は正しくないのだと思いますが、その精神的呪縛の強さには驚かざるを得ません。
その呪縛から逃れる方策について。
(p238より引用) 「男」の呪いを解き、誰一人取り残さない多様性と包摂性のある社会を実現するのは、男女・多様な性や年齢、職業などにかかわらず、あなた自身なのである。
奥田さんは本書の最後にこう語りますが、簡単に一言で「あなた自身です」で結論付けられるとちょっと辛いですね。
本人の思考にも課題はありますが、取り巻く社会(世間)のあり方にも問題はあるでしょう。具体的な原因は何か、その原因を取り除く方策は何か、これに対する分析的・具体的な論考がないのはとても残念です。
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