ネットでも話題になっている本なので、手に取ってみました。
著者の東浩紀さんは、哲学を専門とする批評家として有名ですが、本書はそういったジャンルの著作ではなく、一見、彼が立ち上げたビジネスにまつわる奮闘記のように見えます。
ただ、ビジネスに関するあれこれのエピソードにはあまり興味は抱きませんでした。
失礼な物言いになりますが、発生したトラブルは、社員の使い込み・放漫経営・思い付きレベルのビジネスプラン・懲りない同じ失敗・・・、正直なところあまりにも無邪気なレベルでのドタバタですね。ちょっと前に、西和彦さんの「反省記」を読んだのですが、ビジネスストーリーだとすると密度も深度もあまりにも差があります。
やはり、東さんの著作ですから、「ビジネスやマネジメント」にかかる“気づき”といった内容を期待するべきではないのでしょう。
ということで、改めて、本書を読んで東さんの哲学の“リアル”を感じたところをひとつふたつ書き留めておきます。
まずは、東さんのいう「観光」というコンセプトについて。
(p164より引用) ぼくたちの社会では、SNSが普及したこともあり、「言葉だけで決着をつけることができる」と思い込んでいるひとがじつに多くなっています。でもほんとうはそうじゃない。言葉と現実はつねにズレている。報道で想像して悲惨なイメージをもって被災地に行ったり被害者に会ったりしたら、全然ちがう印象を受けた。あるいはその逆だったということはよくあるわけです。そういう経験がなく言葉だけで正しさを決めようとしても意味はない。むしろ大事なのは、言葉と現実のズレに敏感であり続けることです。ほくのいう「観光」は、そのためのトレーニングです。
この「観光」というコンセプトの説明はストンと腹に落ちますね。
もうひとつ、昨今の「新型コロナ禍」における価値観の変化について。
(p234より引用) オンラインの情報発信を「オフラインへの入り口」として使うことで、オンラインが消してしまいがちな「誤配」を仕掛ける、というのがゲンロンの哲学でした。
この東さんの哲学の実現のために「ゲンロン」の営みが存在していたのですが、新型コロナ禍で、従来の「ゲンロン」の主たる活動が実行できなくなりました。
(p235より引用) 感染症への恐怖に駆動されて、多くのひとが、「オンラインで可能な清潔な情報交換だけがコミュニケーションの本体であり、感染症リスクの高い身体的な接触はノイズである」と考えるようになってしまいました。
コロナ禍が長期的な負の影響を残すとしたら、まさにこの価値観こそがそれだと思います。
こういった状況への対応については、まだ模索中とのことですが、私も、東さんが「ゲンロン」で目指した“誤配の場”すなわち“リアルな体験(オフライン)”の重要性を感じている一人です。
こういった“ストレスフル”な状況下、新たな“誤配の場”を求めて「ゲンロン」がどういった具体的アクションにトライしていくのか、そしてそれがどの程度の影響力を拡げていくか、これは結構楽しみですし、大いに期待したいですね。
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