ちょっと気になるタイトルの本ですね。
内容は、「弱さ」をテーマに、作家の高橋源一郎氏と文化人類学者の辻信一氏が語り合った対談を採録したものです。
現代社会の潮流へのアンチテーゼとして、とても興味深い指摘がお二人の会話の中から湧き出てきます。そのいくつかを覚えとして書き留めておきましょう。
まずは、フィールドワークとしてお二人が訪れた「祝島」の話。
祝島は瀬戸内海に浮かぶ小島で、島民は対岸の上関原に予定される原子力発電所建設に長年反対運動を繰り広げているのですが、辻さんは、その過疎と高齢化の島の暮らしが「持続可能な未来のひな型」なのだと語ります。
(p70より引用) 離島は、発展という面から見ると非常に不利だと見られてきた。なぜなら中央への依存度を増していくのが開発であり、発展であり、依存すればするほどいいみたいに考えられてきたから。・・・でもそうしていると、世の中に大きな変化が起こったときに真っ先にだめになっちゃうんです。・・・小さいからこそ、遠くて不便だからこそ、つまり「弱い」からこそ、逆にいろんなことが可能であるという例です。
自給自足の生活はいざというとき強い、小さなコミュニティならではのセーフティネットが自然に機能している、お二人が指摘する「弱さの強さ」です。そして、さらに辻さんのコメントは続きます。
(p71より引用) ぼくは、3.11後に「シフト」という言葉が盛んに使われたとき、「絶望が足りない」って思ったんですよ。福島の絶望的な事態をしっかりと受け止めきれないからこそ、シフトすればなんとかなるっていう考え方が出てくるんじゃないかって。絶望を、敗北を抱きしめる前に、もうさっさと希望を語りはじめる。そういうふうに語られるシフトって、たいがい技術的なことなのね。ぼくたちはこれまで、いつでもシフトが可能であるかのように生きてきたから、原点までもどって見直すということがしにくいし、苦手なんです。
本書でのお二人の仕事ぶりは、こういったフィールドワークに基づく指摘の明晰さに表れていますが、さらにそれを伝える言葉使いも見事だと思います。「絶望が足りない」「絶望を抱きしめる」という言い回し、こういった表現で語られる謙虚な心の在り様は今はまったく失い去られているようです。
(p78より引用) 人類とともに、分かち合いが始まったという考え方がある。・・・それが人間になって発達する理由はなんなのか。それはまあ、唯物論的に言うと、飢えをしのいでいく生存の方法だと言えるわけだけど、ぼくの好きな考え方は、「それが心地よいから」ということ。人間の快の感覚が刺激されて、分かち合うことによってつながったり仲良しになったり、いい雰囲気がパッと生まれてきたり、ということのほうに注目したいんです。これが人間がもともともっている「弱さ」をある意味逆手にとって、自分たちを人間的な存在へと押し上げた、「弱さの強さ」のひとつの例かもしれない。
ホモ・エコノミクスが求める経済合理性とは全く異質で対極にある考え方ですね。
お二人が話されているように、3.11の未曽有の大災害のあとの無心のボランティアのみなさんと被災した方々との間に生まれた心の交流は、まさにこういったものだったのでしょう。
もうひとつ「弱さ」に関するトピックとして私が面白いと感じたのは「ゴリラ」の進化についての話でした。
霊長類学者の山極寿一さん(現京都大学総長)によれば、ゴリラは「負けない」という特徴を進化によって身につけたのだそうです。「負けない」は「勝たない」であり「勝ち負けをつけない」ということです。決定的な対立や暴力的な衝突を避けるためのひとつの知恵です。
(p161より引用) 「弱さの思想」というのは、あえて勝たないという考え方。「勝たないし、負けない」。「勝ち負け」そのものを超えることではないかな、と。これは人類の最初からの根源的な知として、我々に備わっていたのではないかとも思うんです。
さて、本書を読み通しての感想ですが、とても刺激的でしたね。お二人の語り口はいたって穏やかなのですが、その「視座の転換」を求める主張にはとても強烈なインパクトを感じました。高橋源一郎さんも辻信一さんも若いころは思想的にも行動的にも“過激”であっただけに、そのお話には迫力を内に秘めた説得力がありますね。
弱さの思想: たそがれを抱きしめる | |
高橋 源一郎,辻 信一 | |
大月書店 |
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