大学4年のとき、本書の著者坂本義和先生の国際政治のゼミをとっていました。もう30年ほど前、ちょうど第二回国連軍縮特別総会(SSDⅡ)が開催された頃です。
本書は、坂本先生の少年時代から現在にいたるまでの回顧録。大変興味深いエピソードが多数綴られています。
そのなかから、まず先生が東大助教授のころのアメリカ留学時の記述です。
シカゴ大学の国際政治学の大家モーゲンソウ教授に対する質問に関するくだり。当時のモーゲンソウ教授の国際政治政策は「膨張主義的な帝国主義」と「現状維持」政策の2つであるとの前提に立っていたといいます。ここに、坂本先生は「縮小政策」の可能性を指摘しました。
(上 p130より引用) 私の趣旨は、主権国家間であれ、帝国と植民地間であれ、「現状維持政策か、膨張拡大政策か」とう選択肢しかありえないという問題設定そのものが、国際紛争の解決を、はじめから困難・不可能にしてしまうだけでなく、戦争や軍備競争などによって双方に不利益をもたらしさえする。それに対して、緊張緩和や紛争解決のためには、当事者の少なくとも一方、できれば双方が、既得権益縮小政策という第三の選択肢をとるという、一見譲歩と受け取られるイニシアティヴをとることによって、実は現状維持政策や拡大膨張政策よりも実益を確保できる場合があるという視点を重視すべきだ、という点にありました。
大学での坂本先生の「国際政治」の講義の中で、今でも記憶に残っているのが、「軍縮に向かうプロセス」の一例としての「キューバ危機」における米ソ首脳の行動とその背景にある思考過程に関する解説でした。
一触即発、核戦争の危機を目前にしたケネディとフルシチョフとの緊迫の交渉、フルシチョフの譲歩を契機とした第三次世界大戦開戦回避、さらには双方のミサイル撤去等、米ソ対立が沈静化に向かう流れ・・・。このコンテクストを語った坂本先生の立論の根底にあった思想を30年の時の隔たりを経て垣間見たような気がしました。
この講義から、私は「指導者間の信頼」というある種個々人レベルの要素が、「行動(一方的イニシアティヴ)」という表象を通じて「国家間の信頼」に至る可能性があるということを知りましたし、その観点から「信頼」の普遍的な重要性を痛感したのを思い出します。
もうひとつ、坂本先生の問題意識の根底を一貫している「平和」問題、特に「核時代」という歴史認識に関する部分。
ヒロシマに投下された原爆による凄惨な被害写真を目にした坂本先生は、その意味づけをこう語っています。
(p166より引用) それを見た私の第一印象は、主権国家の終わりが始まったということでした。主権国家は、いざとなれば戦争をして生き残ることを目指す政策を常識としてきましたが、原爆を戦争に使うことが国家間で行われるようになれば、人間を殺しつくしてしまうことになる。それは戦争を手段として生き残るという形で、主権国家が戦争を当然の属性とする時代の終わりの始まりを意味するという強烈な実感でした。
戦争は国家間の紛争を解決する最終手段とはなり得ない、当事者国家の破滅に至る「採り得ない選択肢」だという強固な確信です。この確信が、坂本先生のライフワークたる「平和研究」の中核となり、その活動の動因となったのです。
人間と国家――ある政治学徒の回想(上) (岩波新書) 価格:¥ 840(税込) 発売日:2011-07-21 |
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
TREviewブログランキング
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます