(p92より引用) ・・・この現実にもとづいて、アメリカ・ホンダではいっそのことと思って、オートバイ販売の経験のない運動具店や釣り具店にやらせたり、ある州では直営店を設けた。そしたらどんどん売れ出した。・・・ 既成概念にとらわれることほど人の考えを誤らせ、道をとざすものはない。
(p183より引用) 常識は破るためにある
本田氏は独創性を重んじました。
既成概念は、自らの考え(自由な発想)に無用な枠をはめる檻のように考えているのでしょう。もっといえば、チャレンジする気概を損ねるものだと思っているのです。
その檻を取っ払って自由な発想で考え始めると一気に知恵の活動範囲が広がります。誰でも知恵だしに参加できるようになります。従来の檻のなかだと「○○の専門家」「△△の経験者」だけで考えていたものが、全く他のジャンル・世界の知識やノウハウをもった人材も活用できるようになります。
この営みは、ブレークスルーの可能性を広げると同時に、潜在化している英知を呼び起こし活性化させる、すなわち周りの人すべてに自己の存在意義ややりがいを感じさせるというもっと大事なことに寄与するのです。
(p218-219より引用) 社会の進歩する速度が緩慢な時代には、事業経営は一つに経済的資本にかかっているということは、事業経営の最も根本的な要求であった。・・・しかるに現在のように、過去における十年、二十年の進歩を、一年とか半年に縮めて行なう時代においては、事業経営の根本は、資本力よりも事業経営のアイデアにある。・・・時代に魁けるアイデアが経営を繁栄に導くのである。よいアイデアがなければ、いかに金貨の袋を抱いていても、時代のバスに乗り遅れて敗残者となるのである。資本がないから事業が思わしくないとの声をよく聞くが、これは資本がないからでなく、アイデアがないからである。(1952年)
そして、上記のように企業の源泉は「資本(金)」ではなく「アイデア」であると主張します。アイデアは人が産み出すものですから、この考え方は「企業は人なり」に繋がっています。
(p221-223より引用) いかに写真が進歩しても絵画が尊ばれるゆえんは、絵に描いた人の独自な見方-個性が盛られているからであります。個性の眼で見、個性によって感じられたものが描かれているからであります。・・・技術にしても同様であります。個性の入らぬ技術は価値の低い乏しいものであります。従来の日本の技術の大部分はこのような模倣技術でありました。・・・私は技術にも個性がなければならぬと信ずるものでありますが、最初から個性がでるものではありません。マチスにしても模倣から出発し、模倣を抜けでて個性の高さに到達したのでありますから、年若い人や経験乏しい人は模倣から出発することは過程として止むを得ませんが、模倣は飽くまで手段であって目的ではありません。私は我が国の技術にもっと個性があってもよいと思います。(1952年)
アイデアは人が産み出す独創的なものである以上、そこには「個性」が息づくはずです。逆に「個性」がないものは「他人のもの」「他を模倣したもの」ということになります。
本田氏は「模倣」を何よりも嫌いました。が、模倣のすべてを否定したわけではありません。手段としての模倣・プロセスとしての模倣は、それが将来の「個性」に繋がる限りは認めていました。
「目的」はあくまで「個性ある技術」でした。
本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫) | |
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